もともと私が興味を持っていたのは
欧州の財政と政策だったので
以前、私のブログに
インフレターゲットについて書きましたが、
あの時自由主義での
インフレターゲットについて
何度か思慧を繰り返しました。
その時の思慧の内容を書いてみたいと
思います。
それから新興国の金融政策についての
提案を続けて書きます。
まず、以前
インフレターゲットと量的緩和について
思慧をした時の内容です。
思慧の最初はいずれ各国の量的緩和が
全世界の恐慌につながるイメージでした。
ただ、以前の世界恐慌の形や状態ではない。
なぜか、
資本家の人たちはなぜかご存知の方も多いはずです。
それからいずれです。今ではない。
次に現在の自由主義でなおかつ
グローバルな経済の中で
インフレターゲットはどう設定したら
良いかを考えました。
目標は立てられるが達成する時期が
見えないというところでした。
ではあの時インフレターゲットの政策が
なぜよしとされたのか、
△からの出発でなおかつ最初の崖が目の前で
この国でこの時において
「他に選択肢がなかった」というのが
答えでした。
それからこの政策をずっと続けてはならない、
成果がある程度見えたら次の政策に
切り替えなくてはならないというものでした。
量的緩和の規模、時期を決めないほうが
良いと思われる場合は
金融政策と違う成果の達成を時期とすると
いうことができると思います。
それから崖を崖であると思っているのは
国家であり、国家財政です。
企業や投資家はそういう視点をもたない、
これをどうするか、
いくつかのロジックがあると思います。
例えば「自由と平等」の平等理論がひとつ
一個人としての負担としての平等です。
これについてこの国はどう結論付けるか。
まだ他に違うロジックが存在すると
考えています。
以前私のブログに書いた
「invisible hand of God 神の見えざる手 」
これは自由主義経済が発展していくと
結果として全体の利益が達成されると
いうものですがグローバル社会では
そうではないという結果が見えています。
どうするか、「自由と繁栄」について
どうするかということになると思います。
それから
新興国の金融政策についての
提案を続けて書きます。
最初の生産までの投資ではなく、
自国通貨の過小評価について望ましくない資本が
増すということについてです。
投資によって増した資本は
資本家に戻っていくものと
状況によって引き上げるということもあると
思いますが(上にあがるという意味ではない)
普通の新興国ではそこまで経済政策など発達して
いないと思います。
これについて早期に政策をたてることで
リスクを減らすことが
できるのではないかと思います。
しかし、これだけでは十分でないと思います。
長くなりました。
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