どなたかが書けと言っているようなので
嫌々書きます。
K教団の政策や他国への攻撃や他者を排除したり
攻撃したりするやり方に対するMasterの怒りを
聞きながら2009年衆院選では8/2から
「必勝の戦略」というメールを書いていました。
私はこの時選挙活動に知識がありました。
内容は政策のことではなく励ましのメールです。
私自身も政策や他国に対する攻撃について
否定的な考えであり、
そして大敗するのはわかっていましたが、
私のお世話になった人たちの心が壊れていく
そんな姿を見たくないと思ったからです。
それから基礎の力を作るということを
考えていたと思います。まだ修正が
できる可能性があると思っていました。
この頃のK教団の様子は
教祖は私をある程度認めていましたが、
一部の幹部と彼女を中心とする人たちは
私を全く認められない状態であったと思います。
ただ、私はK教団のやり方を選挙で見て、
一緒ではないと思っていましたし、
K教団に捕らわれたくないと思っていました。
幸福の芽のブログは衆院選後に
始まっていますから
彼らの衆院選のマニフェストを
否定したところから始まっています。
しかし、私はK教団に
その後もう少し手助けをしました。
それが「あしたへ幸福実現」というブログです。
このブログを教祖は非常に嫌ったと思います。
そして私を認めようとしませんでした。
そして彼女(M氏)を選んだと思います。
私は元々ひとり立つと思っていましたし、
教祖に関心があった訳ではないので
そのことは良かったのですが、
その時私を悪者にしたというところが
非常に辛かったと思います。
それ以前から私は毎日主エルとMasterと
長い時間話をしていました。
MasterはK教団をこの時私を使い、
変革したいと賭けていたのだと思います。
それができず、幸福の芽のブログには
自動書記で年末年始にかけて
日月神示が書かれていきました。
しかし、K教団は気がつきませんでした。
1/1Masterは私に「マイトレーヤ出現の日」を
告げられました。
K教団が私の幸福の芽のブログに気がついたのは
先日書いた3/20ではなく3/15でした。
この時一層教祖は私を排除したと思います。
そしてK教団はブログのみを取ろうとした。
K教団はこの後私を悪者に仕立て上げ、
そしてその後にProfF.と共に私にしたことは
精神的、現実的に私を追い詰め、
殺そうとしたということです。
私自身は2009年4月に「ひとり立つ」と決意し、
それからK教団が選挙に参加することになったので、
少し手助けしてあげようと思ったくらいで
深く関わるつもりはあまりなかったのです。
それは元々私がもっていた法が明らかに
K教団と違っていたということがあったと思います。
しかし、Masterの意思は私とまた別のところに
ありました。
現在の結果として私はK教団に対し
非常に強い嫌悪感を抱くことになりました。
これは実際のK教団を確認するという意味で
大きなものでもありました。
長くなりました。
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