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いじめ対策の核心

2012年12月08日 | 教育情報
 滋賀県大津市の中学2年生が2011年10月に自殺した。この「いじめ」問題が大きくメディアに取り上げられてから、紙面は全国の「いじめ」の実態の様子を取り上げない日はない。社会問題化していると同時に、2011年度に文科省で把握された小中高校のいじめ件数は7万231件、前年より7399件(9.5%)減少している。ただし、自殺者は44人増の200人で過去最多。警察庁の調査では353人と開きがある。200人の自殺者の内、「いじめ」によるものは4人、150人は動機不明で片付けられている。
 2011年3月に起きた東日本大震災では死者・行方不明者1万6千人以上、被害総額25兆円ともいわれる大災害を私たちは経験している。人々の絆や助け合いが日本人全体の意識に目覚めた恥にもかかわらず、このいじめは行われていたことになる。「自殺の練習」を繰り返し強要され、恐喝金品強要、万引き強要、持ち物破損、繰り返し行われる暴行、さらには自分の安全地帯でもある自室に踏み込まれ部屋を荒らされたという。遺書がなかった。恐らく遺書を書かないように自殺の練習でも強要されていたに違いない。いじめた生徒が、自殺現場にいて、殺人ともいえる教唆をしていたとの疑いも出ているほどだという。この「いじめ」の悪質さは前代未聞「ここに極まれり」といえるほど凄まじい内容だ。
 私たちは日々、中2の生徒達と接しているが、ここまでのいじめを個人的には聞いたこともない。震災の多数の死者と命のはかなさが、子供達にどう取り込まれていたのか。かつて神戸淡路大震災の際、神戸須磨区の連続児童殺傷事件と猟奇的な殺人事件を覚えているはずです。多くの人々が震災で命を落とし、自然の驚異に対する生命のはかなさを思い知らされた時期に、ある少年が起こした実も毛もよだつ惨殺事件だ。今回の異常な「いじめ」と自殺も、東日本大震災との関連があるのではないかと危惧している。社会不安や、あまりにも自然の驚異に生命のはかなさを見せつけられ、これらが子供達にどう心理的に影響しているかは、大災害が与える影響を社会全体で考えるべき新しい世界的なテーマといえる。
 今回の大津市の「いじめ」対する学校側の対応は、自殺当初も「いじめ」を認識しておらず、教師に当該生徒は何度となく「いじめ」の訴えをしていた。しかし、まともに対応してもらえず、むしろ教師は見て見ぬふり、ついには一緒に笑っていたという。以後2回に渡るアンケート調査結果を市教委は公表せず、「自殺といじめとの因果関係は認められない」と公表。教育委員会の隠蔽体質と同時に、教育者としては不適格としかいえないような対応に徹した。この憤りは全国にも広がっていた。しかも3回も両親は警察に調査申請書を提出に行ったが却下したという。社会ぐるみで、一人の少年の死を無視し、闇に葬り去ろうとしている結果になった。さいたま市の19歳の少年が義憤から教育長を殴打しに行ったという。暴力も殺人も許されないが、誰しもが正義の鉄拳制裁を下したい思いに駆られても不思議ではない。前代未聞の出来事はさらに続き、警察が学校と教育委員会に調査に踏み込んだ。異常事態の最中7700万円の損害賠償請求を、市と学校を相手取って、両親が訴訟を起こした。
 まず国、都道府県、市町村と学校という体系列の中央集権的権力機構は、国や地方自治体、東電などと同じだが、我が国の支配構造に貫かれている。末端にいる学校の構成員である生徒個人や保護者達が、はまるで全体から見れば駒のようだ。この組織体系が教育の意図からはかけ離れた扁平と抑圧的な権力姿勢を平然と見せた原因だ。例えば首長が教育長を任命し、給与を自治体の税金で支払っているにもかかわらず、自治体とは独立し、人事権や行政権への介入は一切できない。不思議な組織としかいいようがない。いったい誰が責任者なのか。いじめがある学校で起きたとしたら、学校長、担当教員ならびに教員達が責任者のはずが、首長から不透明に選人された教育委員と教育長は、教員の人事権を持ち、都道府県の職員でありながら基礎自治体に所属している。ともするとPTAは我が子が愛しいあまりに、改善や批判などは一切言わず無批判全面協力で、やり過ごす事なかれ集団になりかねない。外部からの適正な眼が入りにくくなっている。隠蔽は仲間の教員相互で表沙汰にせず、もみ消して人事評価には影響させないという特殊集団だった。このような組織が、子供の生命優先、個性尊重の考え方をできるわけがない。この組織体系は全く転倒すべきだ。つまり生徒がこの組織の中で、もっとも重要な位置に置かれ、それをサポートするのが教師あるいは、保護者や地域で子供達を支える住民、副校長、校長だ。
 最も大切な、一番の主役は子供達であることを考え方の上でも、組織体制もすべて組み替える必要がある。ここでは文科省など必要ない。学校に権限財源を移譲し情報公開を生徒、保護者に徹底していく。すべて、学校の裁量に任せて上は一切口出ししない。より自由で学校毎に独自色の出せる、私立型の教育で、学区制を撤廃し、学校の選択権を生徒、保護者にゆだねて競い合えば、少しは今より前進できる。
 また、子供達はまだ精神の成長段階で未熟な状態だ。発達に応じた内面の指導が欠かせない。特に現代は、古い儒教思想が解体し、モラルを失っている時代だ。だからこそ、人や社会と関わる上での倫理を習得させていくことは、大人として社会としての当然の責任だ。「自分がやられて、嫌だと思うことは相手にはやるな!」この基本的な内面のモラルが獲得できて、共有さえされていれば「いじめ」など起きるはずもない。自分が死に体から人を殺すという馬鹿な理屈しか言えないお粗末な人間たちを量産している。微積分の学習より、こっちの方がはるかに大事なことだというのに。最も簡単で基礎的な対人関係の獲得するおろそかにされ、成績優先、カリキュラム優先のみに偏った教育が相変わらず大勢を占めてい、誰も手を付けずにいる。
 評論家達はいじめっこの行動パターンを分析し、ボスの対処法を解いている。また新聞記事を見ると、いじめに対する警察への直接の訴えを認め、また学校への介入といじめた子供への厳罰化を進めている。これは本末転倒だ。社会のルールは犯罪には処罰が待っている。学校がその機能を失っている以上は警察が介入し、いじめた子供達を一斉に検挙しようとしている。強圧的な抑止だ。それこと、子供達の精神の教育に真っ向から背を向けた外部注入にほかならない。今、欠落していた内面の心の成長に重点を移し、また子供達のひとりひとりとの心のふれあいと声調を見守れる体勢が十分にできる教育環境の整備が求められる。また、いじめを解く鍵は、親と子の二世代で考えていくべきことの視点も忘れてはならない。

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