こんな自虐的な記事が、ヤフーに有りました。
滓でも、残っているだけまし。
これからは、理系でさえ中途半端なら、滓にもなれないかもしれません。
小学4年の壁が有ると言われています。
何故、小4なのかというと、算数が四年生から文章問題になるからです。
三年生までは、四則演算だけで、ただの計算問題だけです。
文章問題は、文章が何を言いたいか理解出来ないと、計算が始まらない。
小学生の文章問題は、まず、文章の読解です。
文章をバラバラにして、誰が、何を、何して欲しいか、理解する事です。
あくまで、算数ですから、何をして欲しいのか、目的が必ず有ります。
本当は、答えさえ合えば問題はないはずなんですが、先生は納得しません。
答えだけ書いてたら、カンニングしたんではないかと疑われるからです。
だからって、天から、舞い降りて来たでは、神は許しても、
先生は許してくれません、しっかり、屁理屈が必要なんです。
私はこんな事を言ってた学生でしたから、一部の先生には嫌われていました。
筆者は一番最初の文章問題から理解できず、そのまま大学まで入っています。
それでも、現在はIT系の仕事をされています。
数学は公式だけ覚えて、それを当てはめて、どうにかなってた。
理科は全くダメだったと言っています。
残り滓とは、ある程度理解しているから言えるので、
本当に理解出来ていなければ、残り滓という判断も出来ない。
全く残っていないですから。
私がこれからの時代、本当に重要と思うのは、
読解力、コミュニケーション能力で、文系としての能力が、一番必要です。
そして、その為の幅広い知識、合理的な考え方。
AIは、ほっといても進化し続けるので、フルに活用しようと思えば、
自分のやりたい事を、しっかり伝えられる事だと思います。
計算は勝手にやってくれるので必要なくなりますが、
何をしたい、させたいかが求められる。
だからこそ、はっきりさせたくない、曖昧にしたい、隠したい、誤魔化したい
と思っている人には、仕事は辛くなるかもしれません。
資本主義社会なのに、中身は共産主義の矛盾が今でも破綻を招いています。
だから、残り滓なんて言ってないで、東大生の3割がアスペルガーの
バカな状況から早く転換すべきです。
私が思う一つの方法は、学校の黒板を無くして、先生、生徒同士で
ガンガン議論する、全員に意見を言わすような教育をすべきです。
喧々諤々、丁々発止です。
数学でも、一つの問題をみんなで納得するまで意見を言い合うべきです。
ただ、数をこなすような勉強だから、アスペルガーを育てているんです。
これからは、計算はAIがしてしまうので、必要なくなります。
日本の文系社会は、いろんな形で、自然を感じ、利用し、楽しむ、
という事を極めていくべきだと思うんですが、どうでしょう。
残り滓なんて卑屈になっている暇が有るんなら。