雑木囃子

備えは寄り添い

311を忘れない。
忘れられるなら忘れたい方々もあるのでは。
語り継ぐ311。
能動的に知ろうとする人を育むことを目指したらいいのでは。
と、人の心に水をかけるようなことから始まる、311投稿なんだけどね。
じゃあみてなよ。311前にはやけに番組増えても、313くらいからはそんな話題はほとんど見なくなるよ。そんな程度の忘れまいや語り継ぎが主流だがまあそんなものだ。

311という記念日に近づくと、忘れていたことを忘れようとするかのように、おっと思い出したぞという風な番組やインターネッツニュースになる。
急に思い出すのは派手で良いし、イイコトした気持ちになれる。涙が出そうになる演出も心が温まるけど、急になに。
父の日母の日敬老の日みたいに、記念日に急に良い人になるのが、私は苦手だし嫌いだ。
子どもの頃に学校で押し付けられ気味に募集された、赤い羽根も母の日カーネーションも苦手だった。買わなきゃいけない圧力がかかっていて、子どもの頃からそういうのは嫌だった。
そんなどうでもいい買わなきゃいけなそうなもののために、母に金銭の支出をお願いするのもとても嫌だった。

記念日にこんなイヤミングすることもないか。
いやいやいや、イヤミではなくてほんとにそう感じてしまっている。
忘れてよいのではないか。
忘れるから進めらることもあるんだよ。
忘れたくても忘れられないことがあるし、そんなのは人やメディアに言われなくても、急に派手にやらなくても、いつも胸にある。
みんな個々に胸にある。
311イベント的な思い出しなんてどうでも、忘れられないつらさから毎朝が始まる人々がある。

生きてゆく中で飛び込んでくる慰めも感謝もつらさも常に胸内フローラで育てているし、長く生きるほどそのフローラ園は広がってゆく。
だから胸内フローラ園を管理するのは大変だし、とてもくたびれる。
いつか、フローラ園ではなくて、ビオトープになるといい。感謝や慰めや怒りや幸福が自然に関係し合って、自分で管理しなくても感情たちがうまく作用し合いながら暮らすの。
俺のフローラは暗い色の花や毒虫ばかりになるんだろうけどな。

例えば、正月だけ初詣でご利益ゲッツしたい人がもりもり出てくる。
辻の地蔵に毎日お参りしている方々と正月だけパワースポットだのご利益だの求めて勇んで出掛ける人々。どうしたって辻で手を合わせる方々が美しく、敬いたい。
イベントと日常の違いか。
で、ようやくキャンプと照らし合わせが始まる。

キャンプをイベントと思うか、日々の一幕だと思うか。
私達は日々の一幕、チャンネルのひとつ。日常の一部、そう思っている。大勢に馴染まず、非日常である!なんて思えない。
派手なコマーシャルで袖触れ合う程度の縁からのヤッホー収益に期待してない。そんなことは遊園地がやればいい。
出会えて一緒にキャンプをしたなら、日常に参加してしまうわけだから当面は育てる人々、親や学校やなんかと責任を分担し立場の違う育み役になる気持ちでやってる。

キャンプはイベント性の高い育ち合う場ですから、イベントと思ってもいい。皆さんがどう思おうが、私達は関係してしまった責任を手放さないから、褒めちぎり叱り励ましつつ諌めるようなことをする。
イベントなら、おもてヅラだけ楽しげに、いいね!すごいね!ばえてるね!めっちゃだね!ってやってりゃいいけど、そういうセンスは持ち合わせていなかった。
なんて不器用なことだろう。

できないんじゃなくて、やらない。
何百人のキャンプやってたわけだから、儲かるイベントとしてのまやかしキャンプもできるはずだけど、そんなことはもう何年も前に止めたからな。
そんな芋洗いキャンプはもうやらない。
あでも、キャンプ起業とかで勇んでイキってる団体は、そういうことやったらいい。大量の子供と物資を数多のステークホルダーの顔色見ながら転がすのは大変ですし、勉強になるからね。
で、いつか飽き飽きしてこちらの仲間になれる日が来るから。
私も飽き飽きしたし、本当に安全で安心なのはどういうキャンプか、芋洗いキャンプ含めやってきたからよくわかっている。

キャンプはね、小さくてもたくさんあるといいんだ。
小規模で親切で遠慮のないキャンプが全国にたくさんあるといい。
そういう場を、子どもたちは得たい。
何をするかよりどこに居るかのほうが大切だと、大人も子どももわかってる。
小さくて親切なキャンプとして私たちを見つけてくださった方は幸運だ。と思う不遜かもしれない気持ちもある。

親切さは私たち任せになっちゃうけど、それでもよろしかったらの話。


311。大災害。
キャンプが災害時に役立つとされている。
テントが立てられますとかかな。テントは説明書みれば多くの人が立てられるけど。
寝袋やロープの扱いかな。ロープなんて災害に見舞われた皆さんとても工夫してがんじがらめでもなんでも雨露をしのいでおられた。
キャンプでの行為なんてたいして役に立たないんだ本当は。

役立つのは行為ではなく、キャンプという場に集まって暮らし合った経験だ。
にわかに集まった仲間で、嫌なやつもいるし指導力の足りないスタッフもいるし、それでもみんなで暮らし合う。

暮らし合う経験がキャンピングであり、またキャンプの本分である。
なおそのキャンプ文化があるのは日本だけではないか。日本の文化に根ざしたコミュニティで暮らし合うと云う点で、被災時とキャンピングは少し似ている。
ということは、キャンプでやらねばならないのは、愉快で派手でバエるイベント体験なんかじゃない。
だからキャンプは難しいし、難しいから力を合わせなきゃならないし、その経験が万が一のときに少しだけ役に立つ。

さて、繊細なことだから慎重に書いているうちに311から313に日が進んでしまった。どうかな、テレビやメディアは。(投稿日は311になるように調整してる。)
311メモリーイベントが終わればそれで良しになっているのでは。
そんなもんでいいのがイベント。
それでは済まないのが日常の暮らし合い。

311イベントに文句はないが、前年のハイチで20万人以上が命を失った震災のことはなんら話題にならないのは不思議だ。

近所の記念日にだけしんみりしてはいられない。
だからやれるのは、備え。
しんみりしていても仲間や家族は救えない。
記念日のイベントに落ち着いてなんかいられない。
毎日どこかでつらさがあることを忘れず、つらい思いで生きている方々、切ない死をなさった方々を思うなら、備え。
被災した方々に寄り添うなら、誰かが同じ思いをしないよう願うお気持ちを大切にし、誰もができのは備えることだと強く思う。

ふふふ。
烏骨鶏が備えだと知ってた?
ヤギは家族だけど、烏骨鶏や畑は備えなの。
資材も道具も備え。
わかった?
ここまで備えているキャンプ場は他にないと自負できるだけはやってる。

誰も知らなくても、私にはよくわかってる。
ふざけて生きてるように見えるだろうけど、ふざけているんじゃなくておどけてるだけだぜ。


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