雑木囃子

おおらかでゆこう

おはよう。
みんな元気かな!
仕事初めはやる気満々で!

トイレの窓にずっと乗ってるケヤキの葉っぱ小枝。
長い間ここにいるので、いつの間にか友達になった。
俺をトイレで待ってる葉っぱ。
葉っぱに会いにトイレに入る俺。
トイレは人生の多くの時間を費やす大切な場所。

竹ご飯だって。
横の丸いのは手焼きせんべい。

餅も焼く。
ヤキモチ焼かれても、そんなのに取り合っていたら毎日面倒だから、ヤキモチなんて無視だ。
でも、初日に搗いた餅は焼く。

伊万里焼の大皿におせちング。

無くなることのないおせち。
私の伊達巻もあるよ。
伊達巻を伊達巻として作ってもおいしくない。好きになれない。だから、伊達巻型の他のものにしている。
お気に入りは、エビ伊達巻。干しエビをたくさん入れる。ソフトなエビ満月みたいな感じでなかなか良い。

白菜スープもある。




竹ご飯は、ラクト君の研究テーマだから、人の研究は邪魔しない。
成功パターンは一つのケースでしかない。
一つのケースから何万通りのパターンを想定できるか、がキャンプにまつわる研究のキモになる。
なぜならビコーズ、何かの条件が必ず大いに違うから、その不確定要素は不確定過ぎてパターン化できない。

竹というのはもちろん縁起物だ。
竹は、短時間でまっすぐに伸びる。その様に神々しさや神秘を感じ、神格化されまた神の依代になっている。竹取物語はその代表でもある。
竹は雄々しく成長するゆえ、日本各地の男根信仰にも通じ、子孫繁栄の象徴でもある。
なお、杵と臼の関係も子孫繁栄を願うものである。子孫繁栄と豊作はほとんどの場合同じ意味にとらえられ、奉られる。
そうしたややセクシャルにも思える文化的風習はまだコンプライアンスの憂き目に遭わず綿々と各地で執り行われている。
これら豊かで大らかな祭また風習がコンプライアンスバエ社会により抹消されるならそれは、日本の文化を捨て去るまさに世も末になっちゃうからとても案じている。

まとめると
ファンキーでいいじゃない!
ってことだ。
ファンキーというのは粋を英訳したものであるから、粋がおおらかに認められなくなるなら、わかる仲間とだけ粋なつまりファンキーな暮らしをしようと思う。

山のお正月。
縁起と豊かさをもりもりに、もうすぐお開きとなる。

おおらかな世界にできるはずだ。
私のようなちゃらんぽらんでも、このキャンプのようにおおらかな小さな世界をつくれるわけだから、賢い人たちはもっと大がかりにやってくれるでしょうて。
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