スナック どん底

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幼児殺しの元少年、児童ポルノで逮捕 英国

2010年03月11日 08時55分19秒 | どん底日記カタルシス
【3月9日 AFP】(一部修正)英国で1993年、2歳の幼児を殺害して社会を震撼させた当時10歳だった2人の男児のうちの1人が児童ポルノがらみの容疑で逮捕された。

 英国内の報道によると、児童ポルノ規正法違反で逮捕されたのはジョン・ベナブルズ(Jon Venables)容疑者(27)。同容疑者は10歳だった93年、イングランド北西部リバプール(Liverpool)の線路で、同じ年の友人ロバート・トンプソン(Robert Thompson)元受刑囚と共にジェームズ・バルガー(James Bulger)ちゃん(当時2)を撲殺し、英国中の嫌悪の対象となった。2人は少年犯だったため後に改名などをされ、01年に釈放された。

 逮捕後のベナブルズ容疑者に対する取り調べは現在進行中だが、今後の裁判で先入観などによる影響が出ないよう、閣僚らは発言に慎重になっている。

 一方、93年に殺害された被害者ジェームズちゃんの母親、デニース・ファーガス(Denise Fergus)さんは、今回のベナブルズ容疑者逮捕の報に接し、拷問に等しい苦しみを受けていると語った。

 ファーガスさんはITVテレビのインタビューに「頭が混乱して、なにがなんだか、まったく分からない。彼がなにをしたかなんて知らないわ」と答え、ジェームズちゃん殺しの犯人のどちらかが釈放条件を破った場合、ファーガスさんに知らせるとした約束を当局が破ったと非難した。

 メディアによる圧力の高まりにもかかわらず、当局はベナブルズ容疑者が逮捕された事件の詳細を明らかにしていない。ジャック・ストロー(Jack Straw)英司法相は下院議会で、詳細を公開する検討もしたが、「時期尚早な情報公開は刑事司法制度の整合性を損ないかねない」という警察や英公訴局(日本の検察庁に相当)長官の助言に従っていると語った。




~1993年に起こった事件~

ジョン・ベナブルズとボビー・トンプソン(ともに10歳)は学校をさぼり、ショッピングセンターをうろつくうち、2歳の幼児に出会った。幼児の名はジェームズ・バルガー。
バルガー夫人がふと目をはなしたすきに、ジョンとボビーは彼の手をひき、連れ出してしまう。
2人はジェームズを殴ったり蹴ったりしながら何キロもの距離をひきずりまわし、線路脇の土手で、彼に向かってレンガを投げつけはじめる。さらにはペンキの入った缶や石を頭部や顔面めがけて投げ、鉄パイプで殴りつけたりもした。
ジェームズは倒れるたび、よろよろと起き上がろうとしたが、ボビーは「ちくしょう、寝てりゃいいんだよ」と怒鳴り、レンガを投げつけた。
ジェームズが動かなくなると、彼らは脱がせた下着を彼の顔にかぶせ、線路の上に置くと、「もう顔を見たくなかったから」レンガを重ねて顔を覆った。
そのうち列車がやって来て、ジェームズの下半身をはね飛ばした。裸体の下半身は上半身から4メートル以上離れたところに落下した。
発見されたジェームズの死体は殴られ、蹴られたあざが無数に付いており、下唇は顎からちぎれかけていた。頭蓋骨は粉々に砕けていたが、殴打のあともしばらくこの2歳の幼児は死にきれず、じわじわと生きていたようだった、という。
ジョンは、先天性の障害を抱えた兄と妹にはさまれ、放置気味に育った。両親の気をひくため兄の仕草を真似たりしているうち、同じように癇癪の発作を起こすようになるが、のちには兄妹のためのカウンセラーが、ジョンのほうにかかりきりにならなければならないほど、その奇行は激しくなった。ジョンは情緒障害と診断され、学校でも「目立った問題児」であった。
ボビーの母はアル中の父親の暴力のもとで育ち、のちにそれと同程度か、それ以上のアル中の男と結婚し、4人の子供を生んだ。その3番目の子供がボビーである。
父親は子供と妻に暴力をふるい続けたあげく、姦通癖のある女とデキて家を出ていった。体重100キロを越える、摂食障害の母親は以来酒びたりとなり、子供たちに虐待をはじめる。
母親に代わり、年長の子供が家事をまかされることになったが、虐待の連鎖は切れず、今度は年かさの子供が年少の弟たちに暴力をふるうようになった。3番目のボビーは、つねに「虐待を受ける側」だった。
普段からイニシアチブをとっていたのは、ボビーのほうであったようだ。ジョンは警察で被害者や被害者の家族に謝罪の言葉を口にしたが、ボビーからその言葉は絶えて聞かれなかった。