何が記憶に残っているかといえば、
それは、タケルが4年生の時。
タケルは6年生に混じって、
2番ライトでスタメン出場した。
その大会は、第1回のスポルトカップだった。
県営球場で行われたその大会で、
EJは、黒石東SF(スカイファイターズ)と対戦。
その試合は、4-4で7回戦を戦い抜き、
ツーアウト満塁からの特別延長となった。
後攻のEJは、8回表に相手4番に
満塁のランニングホームランを浴び、
8-4とされた。
8回の裏のEJの攻撃。
(後がない。)
この回トップの岬は、
内野フライでワンアウト。
満塁とはいえ、点差は4点差。
「うーん・・・。」と、唸った
その場面で、2番タケルに打順が回った。
タケルは相手の6年生ピッチャーから、
左中間を破るタイムリーヒットを放つ。
30度ほどのやや高い放物線を描いた打球は、
テンテンとレフトの外野フェンス方向に転がり、
これが3打点のタイムリー三塁打となる。
「いいぞ、タケル!」の大合唱とともに、
スコアボードは、8-4から8-7に変わった。
1点差。
しかも、ワンアウト3塁。
どうやっても1点は入る・・・。
しかし、その試合は負けた。
負けはしたものの、タケルの勝負強いバッティングは、
そのときに開花したと私は思っている。
学年が2つ違うピッチャーから、
切羽詰ったあの場面で、
4年生が、タイムリーの長打を放つのだから、
(6年生になった頃には、
どれだけ打つか分からない・・・。)
と、誰しもが思った瞬間だったろう。
と、思ったほどは、
打たなかったが・・・(笑)。
それでもタケルは、今年度、
打点、打率、出塁率の全てでチームトップ。
(タケルに繋げば、何とかしてくれる。)
そんな、気持ちをチームメイトに抱かせる
まさしくチームの大黒柱だった。
タケルは、今春、家庭の都合で、
十和田に移り住む。
先日、市内某所では、タケルを送る会が行われた。
ぼくとつとして、
親も認める大人(たいじん)気質のタケル。
二つ違いの妹に将棋で負けそうになると、
盤をひっくり返すらしい。
送る会では、チームメイトみんなが、
涙ながらに
ほとんど言葉にならない
別れのメッセージを送っていた。
本当は、もっと以前に十和田に移り住む予定だったが、
「イースト・ジュニアを最後までやり抜きたい。」と
本人が望み、
そして両親も望み、
ここに至った。
(TAKEパパだけが、単身赴任で苦労した。)
(ご苦労様でした。)
タケルと供に、イースト・ジュニアで、
全国大会を目指そう!!
今となっては、「夢物語だったんだな。」
と思わざるを得ないが、
私は本当に、
「できる!!」と思っていました。
小学生時代の野球は、
満願かなうことは出来なかったけれども、
山本監督は、よく言うじゃないか。
「イースト・ジュニアの選手のみんなには、
高校野球で頑張って欲しいんだ。」
「その手助けが、できればと思っているんだ。」って。
イースト・ジュニアから甲子園球児が出るとすれば、
タケルが最有力だろう。
ならば、タケル君!!
無理な願いかもしれないが、
高校進学は、
青森市内への越境入学を選択し、
再度、共に全国・甲子園を目指そう!!
私は本当に、それを夢見て、
息子にも、高校野球まで頑張らせ続けたいと
思っています。
(万一、敵味方になったらヨロシクネ!)
イースト・ジュニアでの少年野球が、
更なる今後に繋がりますように・・・。
Thank you TAKERU player's number"0".
See you again.

サードタケル4年生夏。
あおもりカップ:三大ビックサンズ戦

ピッチャータケル5年生冬
サンドーム大会:蟹田J戦

タケル6年年春
エキサイティングBBJ大会:三和あすなろ戦

EJ10期生6年生秋
サンドームグランド納め
To Be Continue・・・。
By mino
それは、タケルが4年生の時。
タケルは6年生に混じって、
2番ライトでスタメン出場した。
その大会は、第1回のスポルトカップだった。
県営球場で行われたその大会で、
EJは、黒石東SF(スカイファイターズ)と対戦。
その試合は、4-4で7回戦を戦い抜き、
ツーアウト満塁からの特別延長となった。
後攻のEJは、8回表に相手4番に
満塁のランニングホームランを浴び、
8-4とされた。
8回の裏のEJの攻撃。
(後がない。)
この回トップの岬は、
内野フライでワンアウト。
満塁とはいえ、点差は4点差。
「うーん・・・。」と、唸った
その場面で、2番タケルに打順が回った。
タケルは相手の6年生ピッチャーから、
左中間を破るタイムリーヒットを放つ。
30度ほどのやや高い放物線を描いた打球は、
テンテンとレフトの外野フェンス方向に転がり、
これが3打点のタイムリー三塁打となる。
「いいぞ、タケル!」の大合唱とともに、
スコアボードは、8-4から8-7に変わった。
1点差。
しかも、ワンアウト3塁。
どうやっても1点は入る・・・。
しかし、その試合は負けた。
負けはしたものの、タケルの勝負強いバッティングは、
そのときに開花したと私は思っている。
学年が2つ違うピッチャーから、
切羽詰ったあの場面で、
4年生が、タイムリーの長打を放つのだから、
(6年生になった頃には、
どれだけ打つか分からない・・・。)
と、誰しもが思った瞬間だったろう。
と、思ったほどは、
打たなかったが・・・(笑)。
それでもタケルは、今年度、
打点、打率、出塁率の全てでチームトップ。
(タケルに繋げば、何とかしてくれる。)
そんな、気持ちをチームメイトに抱かせる
まさしくチームの大黒柱だった。
タケルは、今春、家庭の都合で、
十和田に移り住む。
先日、市内某所では、タケルを送る会が行われた。
ぼくとつとして、
親も認める大人(たいじん)気質のタケル。
二つ違いの妹に将棋で負けそうになると、
盤をひっくり返すらしい。
送る会では、チームメイトみんなが、
涙ながらに
ほとんど言葉にならない
別れのメッセージを送っていた。
本当は、もっと以前に十和田に移り住む予定だったが、
「イースト・ジュニアを最後までやり抜きたい。」と
本人が望み、
そして両親も望み、
ここに至った。
(TAKEパパだけが、単身赴任で苦労した。)
(ご苦労様でした。)
タケルと供に、イースト・ジュニアで、
全国大会を目指そう!!
今となっては、「夢物語だったんだな。」
と思わざるを得ないが、
私は本当に、
「できる!!」と思っていました。
小学生時代の野球は、
満願かなうことは出来なかったけれども、
山本監督は、よく言うじゃないか。
「イースト・ジュニアの選手のみんなには、
高校野球で頑張って欲しいんだ。」
「その手助けが、できればと思っているんだ。」って。
イースト・ジュニアから甲子園球児が出るとすれば、
タケルが最有力だろう。
ならば、タケル君!!
無理な願いかもしれないが、
高校進学は、
青森市内への越境入学を選択し、
再度、共に全国・甲子園を目指そう!!
私は本当に、それを夢見て、
息子にも、高校野球まで頑張らせ続けたいと
思っています。
(万一、敵味方になったらヨロシクネ!)
イースト・ジュニアでの少年野球が、
更なる今後に繋がりますように・・・。
Thank you TAKERU player's number"0".
See you again.

サードタケル4年生夏。
あおもりカップ:三大ビックサンズ戦

ピッチャータケル5年生冬
サンドーム大会:蟹田J戦

タケル6年年春
エキサイティングBBJ大会:三和あすなろ戦

EJ10期生6年生秋
サンドームグランド納め
To Be Continue・・・。
By mino
EJの6年生皆が現チームの皆のあこがれ。
こうしてチームは永遠に続いて行く。
EJは永遠に不滅です。
この場をお借りしてお礼を申し上げます。
EJ第10期生のみんな!! 祝入学
明日から中学生として新たな第一歩が始まります。
野球はもちろんのこと、勉強、道徳、規律をきっちり会得して三年後の高校野球で花開けるよう、しっかりとこれからの三年間を過ごして行きましょうね!!
高校野球で会いましょう
ありがとうございました。
新入部員・・・
今のところ5名・・・。
もちろんKOUTAとRYOTOROを入れての人数です。
こうなると、TAKEの抜けた穴は、
想像していたより大きいような・・・。
まっ!これから入部する選手もいるでしょう。
以上、近況でした。