えび燿子のひとりごと

日々のなにげない事柄を、いろんな角度でクローズアップして、ボソボソと「ひとりごと」を言っています。  

「悲しいことには、きっと良いことがついてくる」

2009年10月23日 11時00分08秒 | 日記

八千草薫さんの台詞ではないけれど、「悲しいことには、きっと良いことがついてくる」
少し前に、知り合いの突然の死にあい、普通の思考が出来ないほどの悲しみの中にいた私の心に、光を与えてくださった山田さんのトーク、どの言葉も深く沁みてきました。
それにしても、YAYOIさんの取材能力は素晴らしい!
「ドラマファン」サイトのカキコに、ほとんど書いてくれています。(*^^)v
ありがとうございます。

始まる前に、会場の前にいると、丁度山田さんが富澤教授(演出家)と歩いてみえるのをみつけ、ふたりでご挨拶しました。
山田さんの頭の中では、大学なので学生ばかりのイメージだったのでしょう、
「こんなのありですか?」
とあの照れ笑いで応えてくれて、
「学生には見えませんが(^_^)」
とこちらも返しました。

美大なので、モネ、マネ、の話もされて、
「優秀な画家には違和感があった。逆らうようなドラマなんだこりゃがマネかもしれない」
カフカの「変身」の話では、毒虫になった男性を家族が邪険にしてしまうことから、その毒虫を不良になった息子とか認知症になった老人とか置き換えて具体的なリアリズムだと話されました。
高橋講師(映画監督)が、
「太一さん(山田さんと言わずにこう呼ばれていました)は、ドラマの前に必ず取材をされると聞いていますが」
という質問をされて、山田さんは、
「どの仕事でも、プロに任せますが、現場に取材に行くとその場所が焼き付くのです」
と言われていました。

天野 忠さんの詩「しずかな夫婦」を紹介されて、他者と言うのものはわからないと言う話しをされました。
その話の中で「とろろソバ」と言われていて、山田さんは何度も、うろ覚えで間違っていると思いますが・・・と言われていたので、調べてみました。

    「しずかな夫婦」    天野 忠   

  結婚よりも私は「夫婦」が好きだった。
  とにかくしずかな夫婦が好きだった。
  結婚をひとまたぎして直ぐ
  しずかな夫婦になれぬものかと思っていた。
  おせっかいで心のあたたかな人がいて
  私に結婚しろといった。
  キモノの裾(すそ)をパッパッと勇敢(ゆうかん)に蹴(け)って歩く娘を連れて
  ある日突然やってきた。
  昼めし代りにした東京ポテトの残りを新聞紙の上に置き
  昨日入れたままの番茶にあわてて湯を注いだ。
  下宿の鼻垂れ息子が窓から顔を出し
  お見合だ お見合だ とはやして逃げた。
  それから遠い電車道まで
  初めての娘と私は ふわふわと歩いた。
  ―――ニシンそばでもたべませんか と私は云った。
  ―――ニシンはきらいです と娘は答えた。
  そして私たちは結婚した。
  おお そしていちばん感動したのは
  いつもあの暗い部屋に私の帰ってくるころ
  ポッと電灯の点(つ)いていることだった―――
  戦争がはじまっていた。
  祇園まつりの囃子(はやし)がかすかに流れてくる晩
  子供がうまれた。
  次の子供がよだれを垂らしながらはい出したころ
  徴用(ちょうよう)にとられた。便所で泣いた。
  子供たちが手をかえ品をかえ病気をした。
  ひもじさで口喧嘩も出来ず
  女房はいびきをたててねた。
  戦争は終った。
  転々と職業をかえた
  ひもじさはつづいた。貯金はつかい果した。
  いつでも私たちはしずかな夫婦ではなかった。
  貧乏と病気は律儀(りちぎ)な奴で
  年中私たちにへばりついてきた。
  にもかかわらず
  貧乏と病気が仲良く手助けして
  私たちをにぎやかなそして相性でない夫婦にした。
  子供たちは大きくなり(何をたべて育ったのやら)
  思い思いに デモクラチックに
  遠くへ行ってしまった。
  どこからか赤いチャンチャンコを呉(く)れる年になって
  夫婦はやっともとの二人になった。
  三十年前夢見たしずかな夫婦ができ上がった。
  ―――久しぶりに街へ出て と私は云った。
     ニシンソバでも喰ってこようか。
  ―――ニシンは嫌いです。と
     私の古い女房は答えた。

 

山田さ~ん、ニシンソバでした。
山田さんは、学生さんへのサインも全く嫌な顔もされずに、気持ちを込めて応じていましたよ。
改めて、山田さんの驕りなど全くない人格には頭が下がりました。
私たちふたりは、終ったら少しご挨拶をと思っていたので、ちょっと離れたところにいたのですが、
サインなどが終ったら、すぐ、山田さんの方から来てくださって、それもあろうことか、
「来てくださってありがとうございます」
と頭をさげられたのです。
恐れ多いです(-_-;)
少しだけ会話をして、
「お疲れ様でした、お気をつけて・・・」
と、心から言ってそこを失礼しました。

YAYOIさんの情報のおかげで得ることができた至福の時間も、あっと言う間でした。

YAYOIさん、新宿の夜も楽しかったですね。\(~o~)/いろいろありがとうございました。

「本当はささやかなことやちょっとした微笑によって人は救われることがある」

本当に、私も山田さんとYAYOIさんの笑顔に救われました、元気もいただきました。
ありがとうございます。

※ちょいと本音を言うと、山田さんは帰りに、「どういう風に来たの?」とか言われていたのですが、答える雰囲気ではなかったので(教授さんなどとお食事かな?と思って)あやふやに終りましたが、「国分寺から」とか言ったら、「では国分寺でお茶でもしましょう」と言ってくださったかも・・・などと、都合の良い想像をしています(^_^;)
あいどんさんがいて下さったら、そういうこともあったかも・・・ちょっと残念。

 ※トークショーの一部です  ↓

http://www.youtube.com/watch?v=Q3ekrH6NiCk&feature=player_embedded


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7 コメント

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Unknown (えび燿子)
2009-10-25 00:08:27
おっ、YAYOIさんOKでしたね(*^^)v
※名前とURLを記憶する□
の□にチェック入れておけば、次からYAYOIさんの名前は書かなくてもいいですからね。
クッキー機能がついているので便利かな?

( ̄ー ̄(_ _( ̄ー ̄(_ _ ウンウン
大人しそうな方でしたね(^_^;)
返信する
 (YAYOI)
2009-10-24 23:58:20
そう。
とってもすてきな声の人でしたね。
30代くらいかな。
終了後会場の外にいらしたので「ドラマ・ファン」をご覧になったのか伺おうかなと思いつつ声を掛けそびれてしまいました。
返信する
質疑応答 (えび燿子)
2009-10-24 09:37:08
やはりネットを介してこられた一般人の男性が、山田さんに質問をされていました。
その方の話しでYAYOIさんと私が同じことを感じていました。
それは、「声が良い」ということです(^_-)-☆
返信する
フットワークは学生気分? (えび燿子)
2009-10-24 00:48:28
>山田さん、笑顔で「いえ、見えますよ~」って仰ったんでしたね。

えぇ~!!!ドキドキしてて、それ知らなかった(^_^;)
まぁ、嬉しいことを(随分無理をなさって(-_-;))言ってくださったんだぁ~(*^_^*)ポッ
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トークショー (YAYOI)
2009-10-24 00:33:24
えび耀子さん、丁寧に補って下さり有り難うございます。

病み上がりでしたし、興奮でぼおっとしていたのでメモも不充分でしたので嬉しいです。

「しずかな夫婦」のご紹介も有り難うございます。いい詩ですね。何とも言えないペーソスに満ちていて。山田さんが取り上げて下さらなかったら出会うこともなかったかも知れない詩です。
解り合えない他者の存在の面白さ。だからこその関係性の妙。色々に感じさせてくれますね。

イベントの前に山田さんにお会いしたときえび耀子さんがささっと近くに行かれて私は慌てて付いて行ったのでした。
「学生に見えませんが」とえび耀子さんが言ったら、山田さん、笑顔で「いえ、見えますよ~」って仰ったんでしたね。
あらら~図々しい。こんなこと書いて失礼しました。

今回えび耀子さんのおかげで私も行くことができました。
本当に感謝です。
おしゃべりもゆっくりできてとっても楽しかったです。
有り難うございました。
返信する
聞き上手 (えび燿子)
2009-10-23 14:06:09
かこグランマさんは、優しい言葉を掛けている人だと思います。
聞き上手ですし。
YAYOIさんとかこグランマさんのお話しもしましたよ。
今度上京されたら、YAYOIさんもお会いしたいと言われていました(*^^)v

山田さんは、やっぱり素敵です
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Unknown (かこグランマ)
2009-10-23 13:06:02
素敵なひとときを過ごされたのですね・・・(^^)
人間は、悲しみのどん底に突き落とされた時、本の一言でも優しい言葉を掛けられると、その一言一言が、心にしみて、また這い上がる勇気を貰いますよね・・・
私も、何気なく人に温かい言葉を掛けられるような人間になりたいです・・・
そのためには、やっぱり、悩んでいる人の立場に共感を持って、聞き上手になることなんだわ・・・と思った事でした・・・
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