今日は入学式のところが多いみたいだね~
私が今朝遭遇したのは、保育園・高校の入学式へ
参加する親子たち。私が乗る女性専用車も親子
連れでけっこう混雑してたなぁ。
こんな嵐の中、大変だねぇ~
逆に後になって良い思い出にもなるかな。
そういえば、この嵐の一晩のせいで、今年は寿命が
長く居た桜たちがあっと言う間に坊主になってしまった。
まさしく花散らしの雨となった。
入学式といえば、高校の入学式、私は入場の際に
躓いてこけそうになった(汗)入学式にこんな縁起でも無い
ことが起こって・・・と一人冷や汗をかいたのと、周りに
笑われた変なプレッシャーが自分にのしかかったのを思い出す。
ま、今思えばその出来事が私の高校時代を予感させていたの
だと思う。
1年のときはとても優秀で成績も良く、担任からは短大の推薦枠も
あるから目指してはどうか?と商業高校ながらも大学への進学を
進められていた。ところが、2年になり、段々と雲行きが悪くなって
きて、学生生活の公判は学校にあまりいかなくなった。それでも
勉強は偶然にも出来たので進級も出来たのだ。だが、その3年生に
なってからクラス替えのメンバーがあまりにも私を苦しめるメンバー
であったのと、家の中での揉め事があったのとで前半ほとんど学校へ
行かなかった。で、私は1学期の終わりに勝手に学校へ電話をして
辞めるという話をして、そのまま家出をしたのだった。
家出・・・そのままどうにでもなってしまえ!と思ったが
数日間は良かったが、その後は行く場所が無くなって当時
姉が結婚していたのでその家に転がり込ませてもらったのを
思い出します。
その間、母親と兄貴が学校へ高いお酒を買って謝罪しに行ってどうにか
学校へ復学させると誓いに行っていたそうなんだが、そんなことは知らずに
私はどうやって1人で生きていこうか?とそればかり考える日々だった。
そんな時、心配して連絡くれたり話を聞いてくれたりそばに来て私を
元気付けてくれたのが今でも親友のAだった。こいつとはバイト先も一緒で
1年の時、私にバイトを紹介してくれたのがきっかけで仲良くなっていった。
こんな私を心配してくれる友人が他にも沢山居て、私はその子たちの応援と
助けもあって2学期から復学したのだった。ところが、休んでいた私には
かなり過酷な条件が突きつけられた。あと1日休んだら留年決定!というのだ。
どうしよう・・・絶句
いくら休んでしまったツケとは言え、これは無理だろうと思っていた。
だが、副担任がこういうのだ。
「 実は過去にもあなたと同じ状況になった女の子が居た。
そのこは無事に卒業したという伝説がある 」
と・・・私もそれにつづけるんだろうか?と半信半疑。自分に自信もない
怠け癖はあるは。。。でとにかく絶対に無理だと思った(笑)
が、やるしかない!とその時は思ったのだった。いまとなってはどうして
そんな風に思えたのかもわからんのだが。
そして、それから、私は、毎日遅刻はしても欠席はせず、遅刻も朝9時
までに教室に入らないとその授業は欠席扱いになるというので
毎日9時を目標に学校へ向かうようにしていた。ここからも察するに私の
なめ腐った態度が伺える(笑)
その遅刻が縁で仲良くなった子も居る(笑)一緒に校庭の草むしりを
遅刻のペナルティでやらされて仲良くなった子が携帯水没ちゃんだ(笑)
そうして、そんなこんなして、3月3日の卒業式には間に合わなかったが
体育のプールの時間に参加しなかった私にペナルティが嵩み、私は校庭を
3日間毎日4キロを25分59秒内に走り切るのを繰り返し、赤点を返上し、
私は皆に遅れたとったけど、無事に卒業を迎えたのだった。
今となっては、高校を卒業してよかったと思う。
協力してくれた友達にも感謝したい。
心配してくれて援護してくれた学校の先生達にも感謝したい。
私は恵まれていたと思う。
その時にも暖かく声をかけてくれた友人のうち1人は、今は天国へ
行ってしまった子も居る。。。。
「三十路ぃ~ちゃんと学校へ来ないと駄目だよぉ~」と優しく声を
かけてくれた森ちゃん・・・
この時期になるとそこ子と自分の学生時代を思い出す。
いまだに夢も見る。
「これ遅刻したら卒業できない!やばい!!」とあせる自分が夢の中に居る。
こんな私だって今では立派ではないが普通に会社勤務してる。
あの頃見えなかった想像仕切れなかった自分の未来に居る。
なんだか不思議だ(笑)
劣等性だった私は今でも相変わらず劣等性な三十路派遣社員より
私が今朝遭遇したのは、保育園・高校の入学式へ
参加する親子たち。私が乗る女性専用車も親子
連れでけっこう混雑してたなぁ。
こんな嵐の中、大変だねぇ~
逆に後になって良い思い出にもなるかな。
そういえば、この嵐の一晩のせいで、今年は寿命が
長く居た桜たちがあっと言う間に坊主になってしまった。
まさしく花散らしの雨となった。
入学式といえば、高校の入学式、私は入場の際に
躓いてこけそうになった(汗)入学式にこんな縁起でも無い
ことが起こって・・・と一人冷や汗をかいたのと、周りに
笑われた変なプレッシャーが自分にのしかかったのを思い出す。
ま、今思えばその出来事が私の高校時代を予感させていたの
だと思う。
1年のときはとても優秀で成績も良く、担任からは短大の推薦枠も
あるから目指してはどうか?と商業高校ながらも大学への進学を
進められていた。ところが、2年になり、段々と雲行きが悪くなって
きて、学生生活の公判は学校にあまりいかなくなった。それでも
勉強は偶然にも出来たので進級も出来たのだ。だが、その3年生に
なってからクラス替えのメンバーがあまりにも私を苦しめるメンバー
であったのと、家の中での揉め事があったのとで前半ほとんど学校へ
行かなかった。で、私は1学期の終わりに勝手に学校へ電話をして
辞めるという話をして、そのまま家出をしたのだった。
家出・・・そのままどうにでもなってしまえ!と思ったが
数日間は良かったが、その後は行く場所が無くなって当時
姉が結婚していたのでその家に転がり込ませてもらったのを
思い出します。
その間、母親と兄貴が学校へ高いお酒を買って謝罪しに行ってどうにか
学校へ復学させると誓いに行っていたそうなんだが、そんなことは知らずに
私はどうやって1人で生きていこうか?とそればかり考える日々だった。
そんな時、心配して連絡くれたり話を聞いてくれたりそばに来て私を
元気付けてくれたのが今でも親友のAだった。こいつとはバイト先も一緒で
1年の時、私にバイトを紹介してくれたのがきっかけで仲良くなっていった。
こんな私を心配してくれる友人が他にも沢山居て、私はその子たちの応援と
助けもあって2学期から復学したのだった。ところが、休んでいた私には
かなり過酷な条件が突きつけられた。あと1日休んだら留年決定!というのだ。
どうしよう・・・絶句
いくら休んでしまったツケとは言え、これは無理だろうと思っていた。
だが、副担任がこういうのだ。
「 実は過去にもあなたと同じ状況になった女の子が居た。
そのこは無事に卒業したという伝説がある 」
と・・・私もそれにつづけるんだろうか?と半信半疑。自分に自信もない
怠け癖はあるは。。。でとにかく絶対に無理だと思った(笑)
が、やるしかない!とその時は思ったのだった。いまとなってはどうして
そんな風に思えたのかもわからんのだが。
そして、それから、私は、毎日遅刻はしても欠席はせず、遅刻も朝9時
までに教室に入らないとその授業は欠席扱いになるというので
毎日9時を目標に学校へ向かうようにしていた。ここからも察するに私の
なめ腐った態度が伺える(笑)
その遅刻が縁で仲良くなった子も居る(笑)一緒に校庭の草むしりを
遅刻のペナルティでやらされて仲良くなった子が携帯水没ちゃんだ(笑)
そうして、そんなこんなして、3月3日の卒業式には間に合わなかったが
体育のプールの時間に参加しなかった私にペナルティが嵩み、私は校庭を
3日間毎日4キロを25分59秒内に走り切るのを繰り返し、赤点を返上し、
私は皆に遅れたとったけど、無事に卒業を迎えたのだった。
今となっては、高校を卒業してよかったと思う。
協力してくれた友達にも感謝したい。
心配してくれて援護してくれた学校の先生達にも感謝したい。
私は恵まれていたと思う。
その時にも暖かく声をかけてくれた友人のうち1人は、今は天国へ
行ってしまった子も居る。。。。
「三十路ぃ~ちゃんと学校へ来ないと駄目だよぉ~」と優しく声を
かけてくれた森ちゃん・・・
この時期になるとそこ子と自分の学生時代を思い出す。
いまだに夢も見る。
「これ遅刻したら卒業できない!やばい!!」とあせる自分が夢の中に居る。
こんな私だって今では立派ではないが普通に会社勤務してる。
あの頃見えなかった想像仕切れなかった自分の未来に居る。
なんだか不思議だ(笑)
劣等性だった私は今でも相変わらず劣等性な三十路派遣社員より