小和田家と守谷家の女性陣には、
・フランス語が堪能でフランスとの関係が深い
という共通点がある。
だから、ベトナムなのだろう。
ベトナムはフランスの植民地だった事から、今でもフランスの影響が色濃く残っている。
守谷慧さんの母親は、子供達に教育機会を提供し自立を支援するNPO法人国境なき子どもたちの専務理事だった。
立ち上げたメンバーでもある。
国境なき子どもたちは、2000年からはカンボジアやベトナムでの活動開始。
雅子様には礼子さんと節子さんという双子の妹がいる。
礼子さんは1991年9月から3年間ベトナムの国際連合難民高等弁務官事務所に勤務。
難民の救済活動なので、当然子供達の教育機会の提供や自立支援も含まれる。
その後、国連職員として国際連合児童基金、ユニセフに勤務していた時期があった。
礼子さんは守谷慧さんと同じ慶應大学出身。
父親の小和田恒さんのフランス勤務では大学在学中だったが同行し、1年間ソルボンヌ大学に留学した。
つまり、守谷家のフランス在住時に礼子さんもフランスのOECD大使館で暮らしていた、守谷家と顔見知りだった可能性がある。
もう一人の妹の節子さんは東大出身で、父親の渡仏には同行しなかった。
東大卒業後に民間企業に就職し海外勤務。
その後、ハーバード大学の大学院に行き、「ベトナム農村の家族と社会変容」をテーマに博士号を取得。
現在は公立大学の教授だが、以前は「世界こども財団」のある星槎グループの大学で教えていた。