『なくなったThe FAカップ銀杯を探しましょう』
戦時中の金属供出で鋳つぶされたのではないかと聞きましたが、日本人はそこまでバカではなかったと思います。
どこかにだいじに保管されているけど、保管された方が戦死されたため、行方不明になっているだけだと思います。
インターネットという道具を使って、みんなで少しづつ分担して探しましょう。
そこで、「君の使命」だが
①まず、戦中、戦後の混乱期に大日本蹴球協会の役員と事務局員だった人の名簿を捜してもらえませんか。
それから、東京市?協会の事務所と日本協会の事務所が同居していた可能性が高いので、東京市蹴球協会の役員さんと事務局員の名簿もほしいです。
FAカップは第20回の優勝が慶応BRB
21回~25回が中止
1946年 第26回の優勝が東大LB
FAカップが大日本蹴球協会に返還されたのか、それとも慶応BRBが保管していたのかも調べてほしい。
慶応BRBが保管していたのなら、慶応BRBの役員と選手の名簿がいります。
慶応のOBの方、頼みます。
②次に、役員さんの出身の旧制中学と師範学校の校長室か倉庫にねむっている可能性が高いと思います。
疎開先より可能性は高いと思います。疎開先は後回しにしましょう。
まず、出身の旧制中学か師範学校を調べましょう。
この旧制中学見つかりませんでした、というふうに一つひとつつぶしてゆくしかないです。
調査員の報告をお待ちしております。 敬具 探偵団団長 『メリーの子羊』
『日本協会役員名簿』
1941年、昭和16年の役員名簿を見つけました。
日本サッカー協会のホームページ、サッカーミュージアムの図書館のヒストリアルアーカイブをクリック。
大日本蹴球協会機関紙、蹴球9巻1号 を見てください。
それから、東京市サッカー協会というのはなかったかも? 関東蹴球協会はあったようです。