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41歳からの哲学

本を読むことを意識し始めると、1冊の本から次に読んでみたい1冊が見つかり、といったつながりが出てくることがあるようです。
この池田晶子の「41歳からの哲学」は、ちょっと前によく書店で見かけたギャルが大写しになっている本、そう坪田信貴の「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話」からの流れです。
学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話
坪田信貴
KADOKAWA/アスキー・メディアワークス
まずこちらの本ですが、興味はあったのですが表紙の派手さに、なんとなくわざわざ購入するのは…とためらっていたところ、人吉図書館で発見してラッキー、という本でした。読み終わってみると、お金出して買ってもおしくはなかったな、とおもいました。
さて、この本の中で偏差値を40上げるための課題の一つが、池田晶子の「14歳からの哲学」です。アマゾンで購入する時に「41歳からの哲学」も見つけて同時に注文。つい懐具合を気にして中古の方をプチっとやったら、41歳が先に届いたのでこちらを先に読みました。
週刊新潮に連載されていた、「死に方上手」という記事のまとめのようです。
その時々の時事ネタを取り上げて、例えばフセイン、オウム、北朝鮮のミサイルなどですが、そこから人間の死について語っています。
読み始め、なんだか文句ばっかり言っているおばさんだな、という印象。だけどそのはすっぱと表現していいのか、独特の語り口に惹かれ、また、読みやすい文章に惹かれました。
読みやすい文章でいつものようにサクサク読んでいくと、あれっ、とわからなくなる。立ち止まって、かんがえないと。
ちょっとバラバラとページをめくってみると、「存在しているのは今だけだとわかる。流れない時間は永遠である。一瞬一瞬が永遠なのである。有限のはずの人生に、なぜか永遠が実現している。」なんて一節。読み飛ばしてしまうには惜しいかなと思いました。
この本については、1回で捨てずに何回か読み直して、考える材料にしようと思いました。

本の著者の紹介の欄で確認すると1960年生まれ。ほぼ同年代ではないですか。おお、これはなかなか興味深い人を知ったと、早く次の14歳からの哲学も読もうと楽しみにしていました。
「41歳から」を読み進むうちに、何しろ死をテーマにしているので、死刑囚との公開での手紙のやり取りの話が出てきました。それこそ関連図書で幅を広げようと、読書を中断してアマゾンで確認。レビューを読んでやっぱり買いだなと、さらに読み進めていたら、死刑囚より1年早く作者の方が先に亡くなっているという記載。ちょっとショックでした。
本の中で、いずれ文部大臣になっていろいろ改革するというようなことを何度か書いています。早すぎる死はさぞや無念だったろうかと想像しますが、死そのものについては、「現実に自分が死ぬという経験をするときには自分はいないのだから、自分の死というものは現実には有り得なくて、やはり観念なのである。」など語っており、死ぬことは怖いことではないと結論づけていることがなんとなく救われる気分です。

しかしウィキなどでどんな人だったか見るにつけ残念です。もしかしたらファンレターくらい出したかったし,文部大臣になるの応援したかったなと思います。
 
41歳からの哲学
池田 晶子
新潮社

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