【 七つの封印を解くのにふさわしいイエス様 】
「また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」(黙示録5:1-5)
昔、私がいつものように大通公園へ伝道に行ったとき、数十名の若者たちからなるクリスチャンの群れが芝生の上で輪になって立ち、元気に賛美していました。当時流行のアップテンポなリズムのゴスペルソングです。
「♪今まで、あなたの燃える愛に、気付かずに歩んできました。でも今、深い哀れみのゆえに、あなたはあがなってくださいました。主ーよ。誰よりもあなたを愛し、誰よりもあなたを求め、いつもあなたと交わるなら・・・」
嬉しくなった私はその輪に飛び込んで「ハレルヤ!どこの教会の方ですか!」とニコニコしながら話しかけ一緒に賛美をしようとすると、彼らは全員、互いに顔を見合わせながらニヤニヤと非常に不気味でいやな笑いをしてフレンドリーに接した私を無視して問い掛けに答えません。「何か雰囲気がおかしい!」と思ったその瞬間、聖霊様が私に臨まれて霊を見分ける力の賜物が働きました。そのため、突然どこからともなく人糞の強烈な悪臭が周囲を満たしました。「くさい!だからこれは汚れた霊だ!」そう思ったとき、彼らひとりひとりの足元に置かれていたアンケート用紙のファイルに気付きました。「あ!これは統一原理協会の異端グループだ!」私は悪臭ゆえに気付かされ、輪を離れました。彼らは私が伝道する際、しばし妨げる人たちでした。異様な群れの賛美終了後、彼らは気合を入れて叫んでから勧誘活動の為、いっせいにクモの子が散るように四方八方にアンケート用紙片手に走って散っていきました。考えてみると彼らの歌っていたゴスペルソング自体はもともと素晴らしい賛美だけれど「♪主ーよ」と歌われた歌詞全体には一切「イエス様」の御名と「十字架」の言葉と「血潮」は含まれていない曲であり、異端さえもこれらのキーワードを含まない「主」「あなた」という賛美なら堂々と盗んで歌っているのです!驚きました。もっとも彼らの歌う対象の主はイエス様ではありません。賛美をつくる時、できるだけ敵に盗まれないようイエス様の御名と十字架血潮をキーワードにほめたたえる賛美が望ましいです。更に考えると、あの人糞の強烈なにおいの元はすぐ近くにあった植え込み花壇の肥料であったと分かりました。その悪臭を用いて聖霊様は私に状況を適切に教えて下さいました。ところで彼ら異端者は熱心だけれども礼拝の対象が根本的に間違っています。救い主が誰であるかを始めから誤認しています。他にも無数の神々と呼ばれるものや各種の宗教がありますが、救い主にふさわしい神様は唯一イエス・キリストだけです。では、なぜイエス様だけが全世界の救い主にふさわしい唯一のお方なのかをお話しましょう。
「あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」(詩篇115:15,16)
創めに神様が天地を造られ、今でも天国は神様のもの、悪魔には永遠に奪われませんが、この地上は「人の子らに与えられた」ので、その支配権は人間にゆだねられています。この地上を神様の栄光の為に用いて栄光を帰すか、罪を犯して悪魔に手渡すかは一切、人間の選択次第でした。愛の神様は人間をロボットには作られず、自発的に神様の言葉に従って生きる自由も、背いて罪と罪の主人なるサタンに従って生きる自由さえも与えられました。神様の御心は根本的に人間が神様の愛の命令に自発的に従って生き、祝福されることである事が次の御言葉によく表れています。
「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:28)
神様は確かに最初の人間アダムとエバを祝福して子孫の繁栄と万物の支配権を与えられました。ところがアダムとエバは天国から追放され、地上のエデンにやってきたサタンに誘惑されて、心を汚し、自由意志を乱用し、自らの判断で善悪の木の実を取って食べることを選択し、神様の禁止令よりサタンの言葉に従い、神様の支配下よりサタンの支配下に身を置く行動を取り、堕落した罪人になってしまいました。これは取り返しのきかない人類史上最大の過ちです。
「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。」(ローマ6:16)
アダムとエバが善悪の木の実を取って食べたということは、合法的に神様との愛と忠実の契約は破られ、罪の奴隷に転落し、地球の支配権もろとも、その服従した相手である罪の主人サタンに身売りする行為だったのです。悲しいことに罪人に転落したアダムが自分と同じく罪人である子孫たちを生み、ふえ、地を満たし続けました。まさに人は生まれつき奴隷の子孫である奴隷の身分、生まれつきすでに売られた存在として地球の支配権を持たないものとなったのです。ノアの時代、主は仰せられました。「それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」(創世記9:1)
愛の神様の御心は変わらず人を祝福することですが、アダム以降はすべて「地を従えよ。」
(創世記1:28)という創世当初にあった支配権が人間から喪失した為、命じられていません。
人間が地球を従わせる支配権を行使できない!そして自らも自分を救えない売られた罪の奴隷の立場!このことのゆえに人類史にはいつも悲劇が繰り返されたのです!コントロールできなくなった地球と人類ゆえの地震、疫病、戦争、汚れ、殺人、偶像崇拝・・・まさにアダム一人の堕落が全人類まで波及した全面的な地球規模の堕落となったのです!誰もが認めたくないけれどこれが現実の世界の実態です。もはや支配権なきコントロール不能な個人と地球環境です。
使徒ヨハネが天国で目撃した七つの封印で封じられていた巻き物とはまさに地球とそこに住む全人類の権利証書です。
古代ユダヤでは、貧しくなって土地を管理できなくなった破産者が自らと土地をセットに身売りするケースがしばしありました。この場合、購入者は土地とその破産者両方を引き受け、その破産者を購入以降、土地を耕す小作人としてそのまま雇って働かせることになります。そして、売買の際は売り手と買い手双方が同じ内容の契約書を巻物として互いに持ち、七つの封印をします。その目的は、あるいは身売りした破産者である小作人が後に豊かにさえなれれば、あるいは買い戻せるという哀れみの希望的観測から、買い戻しの権利が認められていたからです。
「あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」(レビ記25:24,25)
ただし、そのときは契約書に記された条件すべてを満たして代価を支払わなければ到底買い戻せません。このような事情で契約書の巻き物は大切に金庫保管されていたのですが、使徒ヨハネが見た神様の御手にある巻き物こそ、アダムの判断ミスによる大失敗によってサタンに売り飛ばされた地球と人類の命運を分ける権利証書です。ところが七つの封印を解いて記された条件をすべて満たして買い戻せる実力ある該当者がどこにも見当たらなかったので、このままでは永遠にサタンに売られたまま地球と人類は奴隷のまま失われてしまうことを悟った使徒ヨハネは、全人類を代表して涙なき天国で激しく号泣したのです。
「ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。」
(黙示録5:2-4)
使徒ヨハネのリサーチは深いです。彼は単純に天国だけを眺めたのではなく、「天」も、「地」も、「地の下」さえもその巻き物を開くことのできる者はいないか真剣に捜し求めたのです。