エリヤの落ち込み原因があります。それは人と比較したことです。
この御言葉をお読み下さい。
「自分は荒野へ一日の道のりをはいって行った。彼は、えにしだの木の陰にすわり、自分の死を願って言った。「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」(第一列王記19:4)
エリヤが柳の木の下の幽霊のように暗く落ち込んだ理由は内なる病とも言うべき、考え方が誤ったからです。そもそも人と比較すること自体、間違いであり、悪魔の思う壺です。
悪魔が入ったペテロからイエス様が叱責で悪魔を追い出されたとき、その語られた御言葉は重要な教訓を与えます。
「しかし、イエスは振り向いて、ペテロに言われた。「下がれ。サタン。あなたはわたしの邪魔をするものだ。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている。」
(マタイ16:23)
人のことを執拗に思い、考えるとき危険です。比較思想が働くからです。
イエス様は人のことばかり気にする性格のペテロに復活以降も教訓されました。
「ペテロは彼を見て、イエスに言った。「主よ。この人はどうですか。」イエスはペテロに言われた。「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」(ヨハネ21:21,22)
いつもペテロとヨハネとヤコブの3人はイエス様と特に多く行動を共にされたため、ペテロは12弟子の中でもベストスリーに自分は位置しているのでは、と勘違いしていたかもしれません。そこで中でも本命のライバルと一方的に決め付けたヨハネについては気になってしょうがありません。
そこであるときペテロが自分の殉教のさまについてイエス様から預言の御言葉を戴いた時、すぐに知りたかったことが、ヨハネについてのことでした。
「主よ。この人はどうですか。」
信仰生活は他人を干渉しないことです。
誤った質問をするペテロにイエス様は
「それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい。」
と教訓されています。クリスチャンは人と比較しない、神様と個々人が直接の関係を結ぶ存在です。世はすぐに他人と比較して優越感に浸ったり、劣等感に落ち込んだり、水平的に行きますが、クリスチャンは違います。人を見ないで垂直的に神様を見上げてハレルヤです。
あなたにはあなたにしか出来ない仕事と神様のご計画が本当にあります。
誰かがある領域で成功しても皆が同じく成功できるものではありません。
あなたならではの賜物と使命を見いだし、神様のご計画に限りなく従って生きることが本当の成功です。
偏差値重視の横型競争社会に生きてきましたが、教会では絶対比較しないで下さい。教会と教会も比較しないで下さい。
すべて神様のものであり、状況もご計画もすべてが異なります。
エリヤが比較して失敗した対象は
「主よ。もう十分です。私のいのちを取ってください。私は先祖たちにまさっていませんから。」でした。先祖たちと言ってもエリヤの場合、預言者として自分の父やおじいさんではなかったと思います。
彼が常日頃、比較して意識していたのは旧約の同じく預言者たち、有名なモーセとかアブラハム、イサク、ヤコブ、ヨセフ・・・いつも比較していたのではないでしょうか。簡単に言って、モーセは海を裂いて対岸に行った人、アブラハムはイサクを捧げた信仰の父、ヤコブは、ヨセフは、説明するのも大変、みんな違うからです。エリヤもまた、別の計画の人です。
絶対比較しないことが神様の知恵です。教会で用いられている人、親や兄弟など比較するときむなしくなります。神様が一人一人に異なる賜物と個性的な独自の御計画を持たれているからです。イエス様を信じて自分らしい自分になればそれでいいのです。
全ての人に神様は行くべき道を備えておられ、自ら成すべき生涯の使命を発見するように導かれます。ですから人と同じになる必要はなく、ただ神様の私に対して立てておられる御計画を知り、それを実践できるようになることが大切です。絶対、人と比較しないこと、それがエリヤのような憂鬱症にかからないためにも必要なことです。
エリヤのうつ病にはまだ他にも原因があります。不規則な睡眠時間と無謀な食生活です。
それが分かるのは御使いがこれらエリヤの乱れた状態を微調整したからです。
御使いがエリヤを癒していく過程の御言葉に注目です。
「彼がえにしだの木の下で横になって眠っていると、ひとりの御使いが彼にさわって、「起きて、食べなさい。」と言った。彼は見た。すると、彼の頭のところに、焼け石で焼いたパン菓子一つと、水のはいったつぼがあった。彼はそれを食べ、そして飲んで、また横になった。それから、主の使いがもう一度戻って来て、彼にさわり、「起きて、食べなさい。旅はまだ遠いのだから。」と言った。そこで、彼は起きて、食べ、そして飲み、この食べ物に力を得て、四十日四十夜、歩いて神の山ホレブに着いた。」(第一列王記19:5-8)
憂鬱症患者の大半は夜遅く起きていて午前中は起きられないものです。規則正しい生活を取り返すだけでも相当分、癒されます。早寝早起き、御使いは少ない食事をエリヤに与えているので腹八分、そして栄養のバランスを考慮していないお菓子類による過度の糖分摂取や偏食、過激ダイエットによる栄養不足なども回避することです。栄養バランスの不安定が精神の不安定をも連動します。御使いは食後のエリヤにホレブ山まで歩かせています。適度な運動は心身ともにリフレッシュさせ、歩くことは体にとてもいい生活習慣です。
医学的には歩行すると、骨盤環内で、仙骨のうなずき運動が起き、ポンプを動かすような作用が起きて、脳脊髄液の循環が起こるため、脳の興奮が治まり考えがすっきりします。
また、歩行すると、腓腹筋の収縮が起こり、筋肉のポンプ作用が働き、静脈血を持ち上げる事により、心臓に血液が十分入るため血圧も安定します。
また、血液を十分に送り出す事により、血管を拡張しますので血管壁の圧力も下がります。
寝て安静にしているより、正しい歩行が望ましく、適度の歩行は心臓を強くして、血流も左右より規則正しく入ることになり、腎臓に振動が伝わって、血液の濾過機能の目詰まりを治す事ができます。このほかにも、歩行すると、骨折の予防の効果、骨を強くする効果、肥満を予防する効果、大腸の蠕動運動を促進する効果、身体の構造を治す効果もあり、成人病の中でも特に心筋梗塞、狭心症、突然死、心不全、不整脈などをおこす、いわゆる虚血性心疾患の予防に有効です。ただ、だらだら歩くのではなく、エリヤがホレブ山を目標に目指して歩いたように前向きな意志を持って正しい姿勢で積極的な歩行が望ましいです。
秋田県の村に住む65歳以上の男女約1000人の体力と健康状態を10年間、追跡調査したデーターでは、その一環の歩行テストで、速く歩けるお年寄りほど体力があり、健康状態のいいことが分かっています。筋力、心肺機能、平衡性、持久力、日常生活動作、生活の質のいずれも、速く歩ける高齢者ほど優れており、元気で長生きしているというウオーキングの有効性が実証されています。憂鬱症が感じられたら引きこもって眠らずに、むしろ積極的に出歩いて神様が創造された被造物をよく観察してみましょう。