イエス・キリストの福音

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日本(聖書に従う国)に関する祝福の終末預言!イスラエルから1年半の道程アルツァレトなる祝地!天皇家はユダ族末裔で世界の終末時計の使命がある 2023年7月23日 純福音立川教会 泉パウロ

2023-07-24 06:25:04 | 日記
日本(聖書に従う国)に関する祝福の終末預言!イスラエルから1年半の道程アルツァレトなる祝地!天皇家はユダ族末裔で世界の終末時計の使命がある 2023年7月23日 純福音立川教会 泉パウロ

最終回 一度目、イエス・キリストは空中から雲に乗って来られ、すべての聖徒たちを御許に引き上げて、私たちの朽ちる体を朽ちない新しい栄光の体に変化させ

2021-05-21 04:00:00 | 日記

一度目、イエス・キリストは空中から雲に乗って来られ、すべての聖徒たちを御許に引き上げて、私たちの朽ちる体を朽ちない新しい栄光の体に変化させ、まずは人を贖われます。続いてその7年後にもう一度イエス・キリストは空中から私たちと一緒に地上のオリーブ山に降り立ちます。失われ奪われた全地を贖う為です!その日が来れば異邦人に奪われた地球の土地はすべて神様に帰し、主権は回復され、聖徒らは1000年間、ある者は五つの町、ある者は十の町と相続地を支配権を行使して全面相続できます。千年王国では新しくなった本当にこの地球の土地です。まさに主の待望、地球の贖いです。その後は1000年が満ちると更に優れた都の土地を相続できます。それは大音響のうちに巻き物が巻かれてなくなるようにこの天地が消え去るとき、我ら贖われたクリスチャンは正義の住む永遠の都、天国のエルサレムという名の天国本体に引越しして永遠に祝地を相続できるのです!ハレルヤ!

「イスラエルよ。主を待て。主には恵みがあり、豊かな贖いがある。主は、すべての不義からイスラエルを贖い出される。」(詩篇130:7,8)

天国にはすべて地上の出来事が記録されています。

日本軍の占領下にあった韓国でアン・イースクという名の姉妹が天皇と神棚を拝まない為、牧師や伝道者たちと共に投獄されました。

その過酷な獄中生活で神様から与えられた慰めは唯一天国の幻でした。姉妹が幻で美しい天国に入ると、その一角には、地上における聖徒たちの生涯の重大な出来事の数々が証拠写真となって記録され、なんと壁一面に張り出されている場所があったそうです。まるで地上の写真家が深く記憶に残っている写真を選んで展示させるギャラリーのようです。そして個々人の一生の行い全てが記録された本もありました。中を開いて見ると人生の長い記録の文章の所々、地上でその人が悔い改めた悪い行いに関してはすべてイエス様の血潮で洗われて、その部分だけ字が薄くなっていたそうです。この幻を切欠に姉妹は強くなり、以後、同胞たちが迫害され、獄中で日本軍の刑務官らに打たれるのを見る度に、こう祈るようになりました。

「神様!急いで天使を送って写真を撮って下さい。」

やがて、あすがどんな日か、殺されるのはあすか、あさってか、未来が全く見えない獄中生活から奇蹟的に開放され、姉妹は戦後、牧師と結婚して渡米し、一生涯教会で神様にお仕えしました。彼女が作った有名な賛美の歌詞です。

「あすはどんな日か 私は知らぬ

晴れか 嵐か 曇りになるか

だけど私は心配しない

あすを守られるイエスがおられる。

わが主の聖霊 わがうち清め

御国に行くまで 守りたまえや。」アーメン。

イエス・キリストは、よみがえりです。いのちです。イエス様を信じる肴は、死んでも生きるのです。このことを信じますか?信じない者にならないで、信じる者になりましょう。信じる者は幸いです。最後の日に生き返って、天国の美しい天使のような体と多くの報いをいただけます。多くの先輩クリスチャンたちの待つ天国の聖都エルサレムにはいって、もはや死も悲しみも涙もない永遠の喜びと信仰と希望と愛を持ち、イエス・キリストと共にとこしえまで生きることが出来ます。今、もしまだ救い主イエス様を受け入れていない方が読者の皆様におられましたら、以下の祈梼文を声に出して神様に祈り、本当に心で信じてください。なぜなら、聖書はこう約束します。

「もしあなたの口でイエスを主と告白し、あなたの心で神はイエスを死者の中からよみがえらせてくださったと信じるなら、あなたは救われるからです。人は心に信じて義と認められ、口で告白して救われるのです。聖書はこう言っています。「彼に信頼する者は、失望させられることがない。」(ローマ十章九~十一節)

そして今度の日曜日から十宇架のある教会に毎週通われることを切望します。教会の牧師にあなたの悩みを相談してみてください。きっと親身になってあなたのためにお折りしてくださることでしょう。勇気ある信仰告白で清く正しく豊かなクリスチャンになりましょう。

神様があなたを愛しています。神様があなたのことを今、心配しています。人間はみんな一度死ぬことと死後に神様の前に立たされて一人一人が正しい裁きにあいます。神様は愛です。決してあなたが滅びることを望んでいません。あなたが心を開いてイエス・キリストにある永遠の命を見いだしてほしいのです。本当に神様はあなたを愛しています。ただイエス様を信じて今まで犯してきた罪を正直になって悔い改めてほしいのです。もし、誰でも罪の悔い改めがないまま死んでしまったら、絶対、絶対行ってほしくない地獄に落ちてしまいます。どうか、どうかおろかと思わないで読み続けて下さい。ある人にとってはこれが神様からの最後の呼びかけかもしれません。私たちはみんな罪を犯して神様から離れていることを知っています。神様は私たちのためにひとり子イエス・キリストをこの世に救い主としてつかわされました。イエス様は天国を捨ててこの世で苦しみと悲しみの多い道を歩まれました。あなたのために。イエス様は神様の力で本当に病人の心と体を癒さ

れ、罪ある人間に天国の希望を与えてくださいました。イエス様は道で真理で命です。イエス様は全く罪がない唯一のお方なのに十字架にかかって私たちの身代わりとなって血を流して死なれました。そして三日目に死人の中からよみがえられた真の神様だったのです。このイエス様を信じるだけで誰でも罪が赦され、神様の子となってあたらしく生まれ変われるのです。本当です。神様がほしいのはただあなたが今、素直になって神様の前で罪を悔い改める心を持って信じてほしいのです。

イエス様はすでに私たちの犯したすべての悪い罪の行いのため死後に私たちが受けなければならない地獄の苦しみを身代わりとなって受けてくださいました。ただ信じるだけです。イエス様が十字架上、祈られた神様の言葉です。

「父よ。彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか自分でわからないのです。」

彼らとは今の私であり、あなたです。どうか神様の和解を受け入れてください。聖書の教えはすベて本当のことです。勇気を持って神様の救いのチャンスをつかんでください。たとえ今までどんな大きな罪を犯したとしても、どんな宗教をしてきたとしても、これを読める今ならまだ、間に合います。ただ生きているうちに、今このときが恵みの救いの時間です。どうか、どうか神様に代わって嘆願します。神様があなたの為に準備された永遠のいのちの救いをむだにすることなく受け入れてください。神様はあなたを永遠に変わらない愛をもってあわれんでいます。あなたは神様の御目に高価で尊い愛されている存在です。いまから導く祈りをあなた自身の祈りとして信じて受け入れて、小さな声でもよろしいですから、神様に告白してください。神様はあなたの永遠の父となってその大切な祈りを喜んで受け入れて、あなたにいま、罪のゆるしと聖霊様を注ぎ永遠の命を与えてくださいます。さけるべき地獄と行くべき天国は現実にあります。本当です。いまが決断の時です。

心配しないで、素直にイエス様を信じてご一緒にお祈りください。

祈祷文

 「神様。私は今まで、あなたを知らずに、神様から、はなれていきてきました。いままで、私がおかした罪をすべてゆるしてください。悔いあらためます。私は私のために身代わりとなって、罪なき神様のひとり子イエス・キリストが十字架で血を流して死んだこと。3日目に死人の中からよみがえったことを信じます。イエス様どうか、私をこの苦しみから解き放ってください。あなたは本当に神様で私の救い主です。私の心に聖霊様を与えてください。私に真理をさとらせてください。私の涙の祈りを聞いてください。私は救われました。今から神様は私の永遠の父です。イエス様は私の救い主です。聖霊様、私を守り、いま、この瞬間、私を救ってください。神様。あなたはすべてをご存知です。今の私のすべてをご存知です。天の父なる神様。罪深かった私を、愛して、赦して、救って下さったことを感謝します。ありがとうございます。イエス・キリストの名前でお祈りいたします。アーメン。」

おめでとうございます。告白した、あなたはたった今、救われた神様の子となって天国にある永遠の命の書にあなたの名前が書き記されました。あなたは必ず、天国に入れる幸いな人です。喜んでください。あなたの罪はゆるされました。神様があなたを喜んでいます。

いまからは自己流でよろしいので神様にあなたの言葉で祈ってください。祈りははじめに、

「神様!」あるいは「父なる神様!」と呼びかけて正直になって祈ることです。人はうわべを見ますが、神様はあなたの心を見つめます。自分の言葉で心の重荷をすべてうちあけてください。きっと、生きる希望と救われた喜びが与えられます。そして祈りの最後には必ず「イエス・キリストの名前でお祈りいたします。アーメン。」と言ってください。その祈りは天国に届き、かならず答えが返ってきます。神様は力強くやさしい愛のお方です。信じてください。聖書は本当です。神様はあなたを愛して永遠の命を与えて救うことが出来ます。いまの不安や苦しみを祈ってください。神様はあなたをいま見ています。聞いています。神様は目に見えなくとも本当に生きておられ、あなたを愛し、あなたをいま救われます。

「私は、新しい天と新しい地を見た。以前の天と、以前の地は過ぎ去り、もはや海もない。私はまた、聖なる都、新しいエルサレムが、夫のために飾られた花嫁のように整えられて、神のみもとを出て、天から下って来るのを見た。そのとき私は、御座から出る大きな声がこう言うのを聞いた。「見よ。神の幕屋が人とともにある。神は彼らとともに住み、彼らはその民となる。また、神ご自身がともにおられて、彼らの目の涙をすっかりぬぐい取ってくださる。もはや死もなく、悲しみ、叫び、苦しみもない。なぜなら、以前のものが、もはや過ぎ去ったからである。」

アーメン

ハレルヤ \(^O^)/  宗教法人 純福音立川教会 | プロテスタントキリスト教会 (fgtc777.com)

ぜひ、お近くの十字架があるプロテスタント教会に通ってください。永遠の命がそこにあります。

泉パウロ牧師

 


第一に「天国」。確かにそこには世俗の罪から開放された聖なる御使いたちが万の幾万倍、千の幾千倍も住んでいます。しかし、彼らは一応に巻き物を開く権利者にはなれません

2021-05-20 04:00:00 | 日記

第一に「天国」。確かにそこには世俗の罪から開放された聖なる御使いたちが万の幾万倍、千の幾千倍も住んでいます。しかし、彼らは一応に巻き物を開く権利者にはなれません。なぜなら神様の法律である律法で「もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」

(レビ記25:25)と定められた通り、土地を失った兄弟の「親類」でなければ買戻しの権利が認められないからです。土地を失った兄弟はアダム、買戻しの権利ある「親類」はアダムと同じ血筋の肉を持つ人間でなければなりません。ところが御使いは、どんなに力に優れていても霊的存在として造られたため人間アダムの「親類」には決してなれません。有資格の該当者なき天国に失望したヨハネ。

そこで第二に「地上」。使徒ヨハネが気を持ち直して天国の代わりに地上を見ると、そこにもまた無数の人間が確認できましたが、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者」は皆無でした。なぜなら人はすべてすでに売られた罪ある存在。盲人が盲人を手引きできず、奴隷が奴隷をあがなえないように、地に住む人全てがその道を踏み外した罪人でした。「それは、次のように書いてあるとおりです。「義人はいない。ひとりもいない。」(ローマ3:10)

そこで第三に「地の下」を使徒ヨハネが懸命に捜索しました。「買い戻しの権利のあるアダムの親類は誰かいないか?」「地の下」とはどこでしょうか?二つの意味があります。一つは地上のはるか下にある閉ざされた空間の黄泉です。

「悟りのある者はいのちの道を上って行く。これは下にあるよみを離れるためだ。」

(箴言15:24)

しかし黄泉もまた天国の御使い同様、すでにこの世の人生を終えた人たちの住居、彼らも霊的存在としてアダムの「親類」には該当しません。ましてや罪を犯して黄泉で滅んだ人々ならば救いの希望も実力もありません。そこでもう一つの「地の下」それは高度な建築技術が発達した実に地下街を始め、地下高速やトンネル、鉄道網、地下室など、今や地の下にさえ住むことができる時代であり、まさに使徒ヨハネから見た未来社会である現代都市です。しかしどんなに人類の文明が発展し進んだ地下都市に住居を設けられる快適な時代になっても罪は親から子へ代々、内側に宿って流れる為、今もこれからもアダムの子孫である我らは「買戻しの権利」あるアダムの「親類」である救い主には慣れないのです!そのため、どんな異端グループも宗教教祖も人を救えないのです。罪が内に宿っているから神様の御前、支払うべき贖いの代価が何もないみじめな存在だからです。まさに聖書の語る通りです。

「たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。」(詩篇49:8)

しかし、涙なき天国で涙なく号泣したヨハネに福音が語られました。

「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」(黙示録5:5)

ハレルヤ!

ここに人類サイドに大きな希望の光を見ます。「ユダ族から出たしし、ダビデの根」なるイエス・キリストが十字架の上で勝利を得たからです!イエス様がアダムの失敗で失われた全人類と地球を買い戻す為にこの世に来られました。世界が待望した救い主。天も地も待ちわびた唯一の救い主イエス様の到来!しかし、イエス様とて神様の法律なる律法にそむいた行動は一切出来ません。神様の定めと御心に従って行動され、巻き物を開いて、七つの封印を解けるよう命懸けの努力をして条件をクリアーしなければなりませんでした。

そこで救い主の条件。第一に「アダムの親類になること。」

このためにこそイエス様はクリスマスの日を境に受肉されたのです。神様が完全な人となって世に来られたのです。罪を犯したアダムも人間。イエス様も人間。ハレルヤ!

このことによって第一条件、アダムの「親類」を完全クリアーしました!

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで、ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(ピリピ2:6-8)

救い主の条件。第二に「贖い金が必要です。」

失われた地球と全人類を買い戻すには代価を支払わなければなりません。イエス様が支払われた贖い金とは、御自身が十字架で流された血潮でした!これこそが父なる神様の義の基準に達する唯一の価値ある聖なる代価でした。オレゴン州メドフォードクリスチャン医療施設のスタンディシュ・リード博士によるとイエス様の懐妊に関して以下の発見をしました。

「女性の卵子そのものには血がなく男性の精子にも血が存在しないのに、それらが輸卵管の中で一緒になると妊娠となり、その血液細胞は父親から来ており、血液型は妊娠の瞬間に決まり、次に胎児の体に母親の血液が入らないよう胎盤で保護されます。」

ですから、イエス様が肉の父の影響の全くない処女マリヤから産まれたということは、アダムから流れる血も母マリヤの血も一切受けないで産まれたということであり、結果、人間の汚れた罪の血を一滴も受け継ぐことなくお生まれになったということです。イエス様の内には父なる神様の命の血だけが純粋に流れていたのです。だからこそイエス様の血潮は父なる神様に唯一受け入れられる人間の罪に汚されなかった、贖いにふさわしい聖なる代価だったのです!

「なぜなら、肉のいのちは血の中にあるからである。わたしはあなたがたのいのちを祭壇の上で贖うために、これをあなたがたに与えた。いのちとして贖いをするのは血である。」

(レビ記17:11)このような、他には真似の出来ない特殊事情ゆえにイエス様だけが国士無双、唯一絶対の救い主であられ、巻き物に記された権利条件すべてをクリアーできた贖いの実力あるお方なのです。

救い主の条件。第三に「売買は自由意志で決定される為、犠牲愛が必要でした。」

もし、アダムのように失敗して破産した人が自分と土地をセットに売り飛ばして後、買い戻しの権利ある親類が現れても、売買は自由な意思と判断の元に委ねられていました。ルツ記では死別で夫をなくしたルツが貧しくなってルツと土地もろとも売られることになったとき、一番ルツに近い親類者は買い戻しの権利はあったけれど、自分の利益を考えた上で買い戻しをきっぱり断りました。そのため権利が繰り上げされて二番目にルツに近い親類ボアズがこれらを買い取ることになりました。ボアズは代価を支払って後、ルツの土地を買い取って、ルツを小作人ではなく愛する妻として受け入れました。このような事例のように贖いとは購入者の自由意志にすべてがかかっています。

イエス・キリストは御自身の判断で自由意志のもと、私たちの贖いを選択されたのです!受け入れても受け入れなくてもよかった自由の中で私たちを自発的に受け入れたのです!イエス様は勇気ある決断をされたのです。しかもボアズのケース同様に小作人の労働者ではなく、愛するキリストの妻として私たちを買い取ってくださったのです!ハレルヤ!もう私たちはサタンの支配下ではなく、神様の支配下です。キリストにある自由人です。ここに偉大な犠牲愛があります。なぜなら支払うべき代価があまりに大きかったからです。律法は過酷な十字架の死を要求しました!イエス様は受難を避けることも十分出来たのに、自らの御判断で犠牲愛の道を選択された救い主なのです!イエス様は罪に落ちて売られて無益なものとなっていた過去の汚れた私たちを十字架でいのちを捨ててまでも贖う価値があると判断されたのです。

「私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネ第一4:10)

こういうわけで今は誰でもイエス様の十字架の死と復活を信じて受け入れるものは魂が救われて贖われます!そして近い将来、もう一つの残された贖いも始まろうとしています。イエス様が支払われた代価とはアダムの失敗ゆえに失われていた全人類だけでなく地球の支配権をも贖う代価です。今からこの土地に対する贖いも始まります。それが全地を神様と我等クリスチャンのものとして勝ち取る最後のイエス・キリストの再臨です!その日は近いです。


【 七つの封印を解くのにふさわしいイエス様 】 「また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、

2021-05-19 04:00:00 | 日記

【 七つの封印を解くのにふさわしいイエス様 】

「また、私は、御座にすわっておられる方の右の手に巻き物があるのを見た。それは内側にも外側にも文字が書きしるされ、七つの封印で封じられていた。また私は、ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。すると、長老のひとりが、私に言った。「泣いてはいけない。見なさい。ユダ族から出たしし、ダビデの根が勝利を得たので、その巻き物を開いて、七つの封印を解くことができます。」(黙示録5:1-5)

昔、私がいつものように大通公園へ伝道に行ったとき、数十名の若者たちからなるクリスチャンの群れが芝生の上で輪になって立ち、元気に賛美していました。当時流行のアップテンポなリズムのゴスペルソングです。

「♪今まで、あなたの燃える愛に、気付かずに歩んできました。でも今、深い哀れみのゆえに、あなたはあがなってくださいました。主ーよ。誰よりもあなたを愛し、誰よりもあなたを求め、いつもあなたと交わるなら・・・」

嬉しくなった私はその輪に飛び込んで「ハレルヤ!どこの教会の方ですか!」とニコニコしながら話しかけ一緒に賛美をしようとすると、彼らは全員、互いに顔を見合わせながらニヤニヤと非常に不気味でいやな笑いをしてフレンドリーに接した私を無視して問い掛けに答えません。「何か雰囲気がおかしい!」と思ったその瞬間、聖霊様が私に臨まれて霊を見分ける力の賜物が働きました。そのため、突然どこからともなく人糞の強烈な悪臭が周囲を満たしました。「くさい!だからこれは汚れた霊だ!」そう思ったとき、彼らひとりひとりの足元に置かれていたアンケート用紙のファイルに気付きました。「あ!これは統一原理協会の異端グループだ!」私は悪臭ゆえに気付かされ、輪を離れました。彼らは私が伝道する際、しばし妨げる人たちでした。異様な群れの賛美終了後、彼らは気合を入れて叫んでから勧誘活動の為、いっせいにクモの子が散るように四方八方にアンケート用紙片手に走って散っていきました。考えてみると彼らの歌っていたゴスペルソング自体はもともと素晴らしい賛美だけれど「♪主ーよ」と歌われた歌詞全体には一切「イエス様」の御名と「十字架」の言葉と「血潮」は含まれていない曲であり、異端さえもこれらのキーワードを含まない「主」「あなた」という賛美なら堂々と盗んで歌っているのです!驚きました。もっとも彼らの歌う対象の主はイエス様ではありません。賛美をつくる時、できるだけ敵に盗まれないようイエス様の御名と十字架血潮をキーワードにほめたたえる賛美が望ましいです。更に考えると、あの人糞の強烈なにおいの元はすぐ近くにあった植え込み花壇の肥料であったと分かりました。その悪臭を用いて聖霊様は私に状況を適切に教えて下さいました。ところで彼ら異端者は熱心だけれども礼拝の対象が根本的に間違っています。救い主が誰であるかを始めから誤認しています。他にも無数の神々と呼ばれるものや各種の宗教がありますが、救い主にふさわしい神様は唯一イエス・キリストだけです。では、なぜイエス様だけが全世界の救い主にふさわしい唯一のお方なのかをお話しましょう。

「あなたがたが主によって祝福されるように。主は、天と地を造られた方である。天は、主の天である。しかし、地は、人の子らに与えられた。」(詩篇115:15,16)

創めに神様が天地を造られ、今でも天国は神様のもの、悪魔には永遠に奪われませんが、この地上は「人の子らに与えられた」ので、その支配権は人間にゆだねられています。この地上を神様の栄光の為に用いて栄光を帰すか、罪を犯して悪魔に手渡すかは一切、人間の選択次第でした。愛の神様は人間をロボットには作られず、自発的に神様の言葉に従って生きる自由も、背いて罪と罪の主人なるサタンに従って生きる自由さえも与えられました。神様の御心は根本的に人間が神様の愛の命令に自発的に従って生き、祝福されることである事が次の御言葉によく表れています。

「神はまた、彼らを祝福し、このように神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」(創世記1:28)

神様は確かに最初の人間アダムとエバを祝福して子孫の繁栄と万物の支配権を与えられました。ところがアダムとエバは天国から追放され、地上のエデンにやってきたサタンに誘惑されて、心を汚し、自由意志を乱用し、自らの判断で善悪の木の実を取って食べることを選択し、神様の禁止令よりサタンの言葉に従い、神様の支配下よりサタンの支配下に身を置く行動を取り、堕落した罪人になってしまいました。これは取り返しのきかない人類史上最大の過ちです。

「あなたがたはこのことを知らないのですか。あなたがたが自分の身をささげて奴隷として服従すれば、その服従する相手の奴隷であって、あるいは罪の奴隷となって死に至り、あるいは従順の奴隷となって義に至るのです。」(ローマ6:16)

アダムとエバが善悪の木の実を取って食べたということは、合法的に神様との愛と忠実の契約は破られ、罪の奴隷に転落し、地球の支配権もろとも、その服従した相手である罪の主人サタンに身売りする行為だったのです。悲しいことに罪人に転落したアダムが自分と同じく罪人である子孫たちを生み、ふえ、地を満たし続けました。まさに人は生まれつき奴隷の子孫である奴隷の身分、生まれつきすでに売られた存在として地球の支配権を持たないものとなったのです。ノアの時代、主は仰せられました。「それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。」(創世記9:1)

愛の神様の御心は変わらず人を祝福することですが、アダム以降はすべて「地を従えよ。」

(創世記1:28)という創世当初にあった支配権が人間から喪失した為、命じられていません。

人間が地球を従わせる支配権を行使できない!そして自らも自分を救えない売られた罪の奴隷の立場!このことのゆえに人類史にはいつも悲劇が繰り返されたのです!コントロールできなくなった地球と人類ゆえの地震、疫病、戦争、汚れ、殺人、偶像崇拝・・・まさにアダム一人の堕落が全人類まで波及した全面的な地球規模の堕落となったのです!誰もが認めたくないけれどこれが現実の世界の実態です。もはや支配権なきコントロール不能な個人と地球環境です。

使徒ヨハネが天国で目撃した七つの封印で封じられていた巻き物とはまさに地球とそこに住む全人類の権利証書です。

古代ユダヤでは、貧しくなって土地を管理できなくなった破産者が自らと土地をセットに身売りするケースがしばしありました。この場合、購入者は土地とその破産者両方を引き受け、その破産者を購入以降、土地を耕す小作人としてそのまま雇って働かせることになります。そして、売買の際は売り手と買い手双方が同じ内容の契約書を巻物として互いに持ち、七つの封印をします。その目的は、あるいは身売りした破産者である小作人が後に豊かにさえなれれば、あるいは買い戻せるという哀れみの希望的観測から、買い戻しの権利が認められていたからです。

「あなたがたの所有するどの土地にも、その土地の買い戻しの権利を認めなければならない。もし、あなたの兄弟が貧しくなり、その所有地を売ったなら、買い戻しの権利のある親類が来て、兄弟の売ったものを買い戻さなければならない。」(レビ記25:24,25)

ただし、そのときは契約書に記された条件すべてを満たして代価を支払わなければ到底買い戻せません。このような事情で契約書の巻き物は大切に金庫保管されていたのですが、使徒ヨハネが見た神様の御手にある巻き物こそ、アダムの判断ミスによる大失敗によってサタンに売り飛ばされた地球と人類の命運を分ける権利証書です。ところが七つの封印を解いて記された条件をすべて満たして買い戻せる実力ある該当者がどこにも見当たらなかったので、このままでは永遠にサタンに売られたまま地球と人類は奴隷のまま失われてしまうことを悟った使徒ヨハネは、全人類を代表して涙なき天国で激しく号泣したのです。

「ひとりの強い御使いが、大声でふれ広めて、「巻き物を開いて、封印を解くのにふさわしい者はだれか。」と言っているのを見た。しかし、天にも、地にも、地の下にも、だれひとりその巻き物を開くことのできる者はなく、見ることのできる者もいなかった。巻き物を開くのにも、見るのにも、ふさわしい者がだれも見つからなかったので、私は激しく泣いていた。」

(黙示録5:2-4)

使徒ヨハネのリサーチは深いです。彼は単純に天国だけを眺めたのではなく、「天」も、「地」も、「地の下」さえもその巻き物を開くことのできる者はいないか真剣に捜し求めたのです。


第一にイエス様に心の王座を明け渡す人生が黄金の捧げ物です。 第二に乳香の捧げ物とは芳香性のゴム樹脂で、香り良く高価です。私たちの捧ぐ香り良き乳香とは賛美と感謝です

2021-05-18 04:00:00 | 日記

「万物の支配者、常にいまし、昔います神である主。あなたが、その偉大な力を働かせて、王となられたことを感謝します。」(黙示録11:17)

第一にイエス様に心の王座を明け渡す人生が黄金の捧げ物です。

第二に乳香の捧げ物とは芳香性のゴム樹脂で、香り良く高価です。私たちの捧ぐ香り良き乳香とは賛美と感謝です。「私たちは、キリストを通して、賛美のいけにえ、すなわち御名をたたえるくちびるの果実を、神に絶えずささげようではありませんか。」(ヘブル13:15)

苦難の只中でつぶやいて当然のような状況下でも涙とともに感謝と賛美が出来るなら、それは賞賛に値する大きな信仰です。試練と逆境の時こそ、その信者の信仰の真価が問われます。

何があっても怒らず、愛する主を悲しませることを口にしない。絶対に良き神様を信じて疑わない。私はあらゆる時に神様を感謝して賛美する。そんな決意が素晴らしく高価な乳香です。他に、乳香は高貴な人への贈り物にふさわしく(創世記43:11)、傷付くイエス様に対する癒しの薬であり(エレミヤ8:22,51:8)、香水でもあるため、かんばしい香りが家畜小屋の悪臭とは対照的で、即席の消臭剤にもなりました。この世がイエス様に与えた環境は悪臭でしたが、神様からの贈り物は愛の配慮ある消臭芳香剤です。

第三に没薬の捧げ物とは死体埋葬関連グッズです。イエス様は死の苦難を受ける預言ですが、私たちの場合、自我の死を意味します。積極的に犠牲愛で自分に死んで他者を生かす、従順な砕かれた柔和な心を得とくすることです。これこそ神様が喜んで受けてくださる没薬の捧げ物です。成熟した大人クリスチャンは子供のように素直で明るくかどの取れた人たちです。自我が砕かれたクリスチャンは謙遜で柔和です。信仰深い信者は頑固ではなく、最も小さな子供から老人まで親しくなれる柔和さがあります。自我を早く壊すことが祝福の近道です。

通常、赦せない人をイエス様が私たちの罪を赦してくださった愛をおぼえて自分の憎悪と復讐心を殺して赦す時、今でもイエス様に没薬の捧げ物を捧げることになります。

2008年12月8日、米海兵隊の戦闘機FA18Dホーネットがエンジン故障から住宅地に墜落、パイロットは直前に無事脱出、機体は爆発炎上で民家二棟が全壊、住民4人が死亡という痛ましい報道がありましたが、実はニュースにならない領域で彼らはクリスチャンホームでした。その日、韓国人移民の夫ユン・ドンユンさんは仕事の為、自宅不在でしたが、この事故で妻のユン・ヨンミさん36歳、娘のグレースちゃん1歳3ヶ月、娘のレイチェルちゃん2ヶ月、そして生後間もない孫の世話の為、渡米してきたばかりの母キム・スクイムさん60歳の合計4人が一瞬にして昇天となりました。どんなに悲しく厳しい試練でしょうか。翌日、報道陣を前に記者会見で夫のユンさんはこう語りました。「子供たちがもういないなんて信じられない。どうしたらいいのか分からない」と涙に言葉を詰まらせ、更にこう語りました。

「パイロットについては責めるつもりはないし、憎んでもいない。彼ができる限りの手を尽くしたことは分かっている。この事故のせいで彼が苦しむことのないよう祈ってください。」

美しいイエス・キリストから受けた赦しの宣言です。憎んで当然の事態に、赦しの心を持てた偉大な奇蹟の人です。その後、彼のところには米軍の慰謝料を始め、全国から莫大なお金が慰めとして送られましたが、ユン・ドンユンさんは生前、妻が携わっていた孤児たちを助ける社会福祉団体と教会に全額を寄付したのです!語るにはかくも短く単純でも、自らに置き換えて熟考すれば、非常に難易度の高い赦しに富んだ美しい愛の犠牲です。これこそ神様の御前に芳しいキリストの香りを放つ現代版、没薬の捧げ物ではないでしょうか。

「前に、夜イエスのところに来たニコデモも、没薬とアロエを混ぜ合わせたものをおよそ三十キログラムばかり持って、やって来た。」(ヨハネ19:39)

以前、乳香と没薬の液体をクリスマスに捧げた聖徒がいましたが、いずれも素晴らしい香水でした。

イエス様は人生の初めも最後も没薬の香りに満たされていました。やがて再臨に続く千年王国のときにも、全地が美しく香る花々が咲き乱れることでしょう。

ところで没薬とアロエを混ぜ合わせて人体用の防腐剤ならば、これを若くて張りのある美肌を長期保存できる老化防止の、化粧水には使えないでしょうか?勇気のある方、チャレンジしてみては?

イエス様聖誕の日、最初の礼拝者である東方の博士たちは、バビロン方面から遠路はるばるやって来たという説もあり、真理追究の熱心は学ぶところが大いにあります。聖書は預言します。「ただ、先の者があとになり、あとの者が先になることが多いのです。」(マタイ19:30)初めの礼拝者は東方の博士たち。東洋人が最初のイエス様の栄光の目撃者であり、リバイバル体験者です。しかし、福音宣教の歴史は聖書預言通り、あとの者なる西洋社会が先にリバイバルしました。福音はいつも西へ西へと世界を取り巻き地球を一周しました。こうして終わりの時代に突入した今!ついに先の者なる東洋があとの順番になって福音化されリバイバルしています。終末の今こそ東洋が祝福される最後の時代!特に極東アジア地域、日本が救われる新時代となります。

東方の博士たちの訪問以降のこと、ヘロデ王の迫害を逃れてエジプトへ移住した幼子イエスを抱く両親ですが、現地では外人大工を信用して生涯設計の住宅等を建築するエジプト人はまずいなかったことでしょう。もしヨセフに任せたら文化様式や芸術観の異質な中東イスラエル風の家がエジプトにポツリと浮き立つからです。加えてローマ帝国から75%もの重税が課され続けていたユダヤ人にとって預貯金豊富な者は皆無であり、貧しき大工はいっそう厳しい経済状態だったと思われます。そこで神様からの三年半の避難生活に必要な経済的備えがこれら贈り物の黄金・乳香・没薬でした。珍品を重んじる贅沢なエジプトでは高価に換金され生活費に十分あてがわれたと思われます。当時、イエス様を聖霊によって身ごもったマリヤでしたが、信仰なきユダヤ人から見れば姦淫の罪ゆえと誤解され、律法的に石打ちの刑にあう危険性の中、ヨセフとマリヤは互いを信じて、神様の御心を受け入れ、イエス様を生み育て共に生きることを命懸けで決意していました。神様は今も彼らのようにイエス様にお仕えして福音の為に生きると命懸けで決意する献身者を経済的に必ず祝され、一切の必要を満たされます。

また、当方の博士たちはギリシャ語でマゴスですが、一説では占星術者とも言われています。イザヤ66:3によると「牛をほふる者は、人を打ち殺す者。羊をいけにえにする者は、犬をくびり殺す者。穀物のささげ物をささげる者は、豚の血をささげる者。乳香をささげる者は、偶像をほめたたえる者。実に彼らは自分かってな道を選び、その心は忌むべき物を喜ぶ。」とあるとおり、占い師の多くが乳香を占い道具に使っていました。そしてこれらをイエス様にささげて全面放棄して帰国という行動は、すなわち、彼らが救い主に出会った以降、罪悪の商売廃業の証しであり、マタイによれば「別の道から自分の国へ帰って行った。」と御言葉に象徴されたように、新しい人生、新しい職場とライフスタイルに転換された信仰告白だとも言えます。誰であれイエス様に出会えば、古きを捨て、新たな人生の道が開きます。

主の聖誕をルカは羊飼い中心に記録します。

「男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。」(ルカ2:7,8)

イエス様の宿屋がなく、家畜小屋が聖誕地に選ばれたことは、幾つかの象徴があります。

やがて永遠の国に旅立つ全人類にとってこの世は一時的な宿屋ですが、世俗で満室の宿屋となったこの世には本質的にイエス様をお迎えする場所がないという受難告知です。

「この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。」

(ヨハネ1:10-12)

個人レベルで私たちの心はどうでしょうか。地方からユダヤ人が集まる稼ぎ時に身重の妊婦を受け入れれば後々やっかいになるという宿屋の主人たちの思惑も理解できそうですが、そのとき、私たちも知らずしてイエス様をお迎えできない状態です。福音は人間的計算をこえた経済より愛を重視する時、初めて見えてくる世界です。私たちが知らずして愛の動機で旅人をもてなし、悩める誰かを受け入れるとき、実はイエス様を知らずして受け入れていることが多くあります。(マタイ25:37-40)

愛のない者に神様は分かりません。なぜなら神様は愛だからです。誰でもへりくだらないと汚れて狭い家畜小屋には、入れなかったように御救いは謙遜に心持低くして教会の門をくぐる所から始まります。

家畜小屋でお生まれになったイエス様が布にくるまれて飼葉おけに寝かされたことは、十字架を現します。メギドの遺跡から発掘されたソロモン時代の飼葉おけは、長方形の石を、飼葉を入れるために四角く掘り下げたものでした。それはまさに赤ちゃんのベッドにふさわしい大きさですが、見方によると死者が眠る棺おけにも見えます!

ユダヤ人のクリスチャン学者によると、暑いイスラエルでは腐敗臭を放つ死者を一時保管する場所に家畜小屋を用いたそうです。そこには常設の白い布があり、実に幼子イエス様をくるんだ布がそれだったと言います。イエス様がこの世でいただいた最初のうぶ着さえ、預言的に死者をくるむ死の衣だったとは!幼子が布でくるまれて自分では何も出来ない状態で一時的な寝床の飼葉おけに寝かされたように、イエス様は生涯の最後に、自分では何も出来ない状態に釘打たれ、一時的な寝床の十字架上、死の眠りにつかれました。

ここで予備知識ですが、イエス様がお生まれになった建物は馬小屋ではなく、家畜小屋(フランス語でétable)「牛小屋」です。

「ああ、なんと、家畜がうめいていることよ。牛の群れはさまよう。それに牧場がないからだ。羊の群れも滅びる。」(ヨエル1:18)

ヨエルが預言した家畜小屋の動物リストには、牛と羊が記され、馬は入っていません。

「全世界の者は、神が彼の心に授けられた知恵を聞こうとして、ソロモンに謁見を求めた。彼らはおのおの贈り物として、銀の器、金の器、衣服、武器、バルサム油、馬、騾馬などを、毎年きまって携えて来た。」(列王記第一10:24-25)

ソロモン王はエジプトから馬を輸入しましたが、そこには高価な輸入品の数々と並べて馬が記されています。当時、馬は高価で高貴な身分の人だけが入手できる高級外車であり、一般庶民の宿屋に使うレベルの洞穴の家畜小屋には牛、羊、ロバくらいしかいなかったようです。

イエス様のベビーベッドに戻りますが、元来、飼葉おけは家畜の餌を食べる食卓です。

その真意はこれです。「イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。」(ヨハネ6:35)

「ベツレヘム」その意味も「パンの家」で産まれたイエス様こそ永遠のいのちを与える「いのちのパン」だという無言のメッセージです。

ある聖徒が「男の子を出産したのでお祝いの礼拝を」という旨で自宅に呼ばれました。訪問先の玄関にはその子のお姉ちゃんになった五歳の女の子が立っていて、そこに消毒用の液体が入った器が置いていました。女の子は私に命じました。

「手をきれいに消毒してから家に入って赤ちゃんにさわって。」

「赤ちゃんってそんなものだったかなあ?」

なんて思いながら私たち三名の訪問者が順次、手を洗って消毒してから室内に入ると、そこにはお猿ちゃんみたいなかわいい男の子が寝ていました。

一般的にそこまでする必要があるか分かりませんが、幼子にとってばい菌はいつも用心です。

イエス様の場合、ベビーベッドである飼葉おけは家畜のよだれが落ち込み飼料が発酵し、ばい菌と隣り合わせの非衛生的環境です。これはイエス様こそ病の霊と闘われる「癒し主」だという無言のメッセージです。

そして最初の訪問者が学者の王たちと羊飼いたちであったことは、イエス様は権威ある上流階級から身分の一番低い一般庶民まで、知者から無学な者まで、すべての国民と階層をモーラして救う全世界で唯一の「救い主」であるという宣言です。仮に最上の王宮にお生まれになっても天の天もお入れできない偉大な神様の御子ですが、あえて家畜小屋を選ばれたのは主の謙遜と福音の戸口が低く庶民向けに設定されている現れです。王宮ならば羊飼いは門前払いを受け、イエス様にお会いできなかったことでしょうが、誰でも気軽に入れる家畜小屋です。福音の言葉もやさしく、誰でも素直にイエス様を信じれば救われます。万一、ですが、私たちの心が宿屋なる家畜小屋のように糞の悪臭と舞い上がるほこりやハエのような罪と呪いと悪霊で汚れた薄暗い霊的環境でも、イエス様はお生まれくださります。イエス様を信じて心に受け入れるその日が、イエス様が心にお生まれになる本当のクリスマスです。聖誕されたイエス様は確実に幼子が大きくなるように、聖霊様として内住され、拡大され、影響力絶大に現れてくださいます。宮清めの心の大掃除もしてくださいます。

「生まれたばかりの乳飲み子のように、純粋な、みことばの乳を慕い求めなさい。それによって成長し、救いを得るためです。」(第一ペテロ2:2)

聖書を読み続ければ、必ず信仰は強く成長して救われ、天国に入れる確信も強くなります。

喜びももっと満たされます。ぜひ毎日、忍耐で聖書をたくさん読んでください。多く食べる人は大きな物も持ち上げられる力持ちの大きな人になれます。聖書をたくさん読む人が聖霊充満、イエス充満の霊的力持ちの大きな人となり、神様の大きい仕事も容易に出来ます! あ、食べるだけでなく運動も必要です。霊的スリムな聖霊運動は御教会の奉仕と伝道活動です!