汗だくのバスに乗って ついたのは、
昔、フランスの政治の中心だった、
シテ島。
パレ・ド・ジャスティス、正義の宮殿と
呼ばれる、
最高裁判所もあるよん(↓)
ここは、フランス革命勃発後、マリー・アントワネットの
裁判が行われた裁判所でもあるの。
金髪だったマリー・アントワネットは、
ヴァレンヌへの逃亡が失敗して
一夜にして恐怖で金髪から白髪に変わったという
38歳なのに!!
マリー・アントワネットの恋人、(愛人ともいう)
スウェーデンの将校、フェルゼンが、逃亡の手助けを
したけれど、
ヴァレンヌの近くで ルイ16世から
「ここまででいいよ ありがとう」と、手助けを拒まれたらしい。
ルイちゃんも、男のプライドがあるからね!
妻の恋人に助けられたくなかったのかな??(本当の話だよ)
そのまま フェルゼンが逃亡を手伝っていたら
もしかしたら 亡命は成功して、
歴史は変わってたのかもね!
保湿マスクの画像しかなかった・・(笑)
王妃アントワネットと、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵。
マスクのコピーと二人の気持ちを掛けてるとこが憎いね(笑)
命を懸けて 夫がいる女性でも
家族もろとも
守り抜く・・・ああーーーーーーーーロマンティック!!(アホ)
(ロマンティックな話が好きな人・・笑)
たぶん、こんなロマンティックな話があるから
フランス革命が好きな人、多いのかも♪
アントワネットがギロチンにかけられる直前まで
収容されていた、牢獄「コンシェルジュリー」の入り口。
建物の全体像を撮るのを忘れてたわ!!(泣)
ここもミュージアムパスで 優先入場ができます!!
ルイ16世の処刑が終わった後、
未亡人になったアントワネット。
唯一の生きる希望であった、
シャルル王子とマリー・テレーズ王女と引き離され、
タンプルの牢獄から、ここコンシェルジュリーに
一人、移される。
地面に沿っている小さな小さな窓。
アントワネットの牢獄は地下にあるため、排気口のような
かすかな窓があるだけだったのだ
アントワネットの牢獄。
あの華やかな生活の最後が
こんなことになるなんて 想像もしなかっただろうね(泣)
ついたてがあるだけの プライバシーも何もない部屋。
石造りの牢獄は 冬は冷え 日光も当たらないため、
マリー・アントワネットは、冷えから
体調を崩しがちであった
見かねた牢番などが 毛布をあげたり
あたたかいものをやったりしたが、
マリーの処刑後、牢番や中の女官たちは、
「アントワネットに優しくした罪」で ギロチンに送られたのだった
コンシェルジュリーにいた頃のアントワネット。
この後、処刑の朝にはギロチンがしやすいように
髪を短く切られたらしい(怖い!)
革命がおこったのは よかったのかもしれないけど、
最終的には 革命家たちの多くも
ちょっとした発言をしただけで ギロチンに送られたから
真の正義とは言えない雰囲気だよね!!
ううううーー
詳細を知ってると、マリーも国民を苦しめたけど、
あまりのもの最後に ついアントワネットにも味方したくなってきちゃう・・
この、コンシェルジュリーがたどった歴史が記されてるボード(↑)。
他に、ルイ16世やマリー・アントワネットを
祀った祭壇があったり、
ギロチンに送られた人々の名前がいっぱい彫ってある石版なども
ある。(泣)
フランス革命がなかったら 今のフランスや
人権の自由もなかったのかもしれないと思うと
必要な変化だったのかなあとも思わざるを得ないけど・・。
この血の歴史の残したものを見ることで
今の自由をありがたいって
思わなくっちゃね♪
コンシェルジュリーとは、「王室管理府」という
役所の名前なのよん 昔は役所だったの♪
世界史が嫌いでも フランス革命は
みんな知ってる。
パリに行ったら そんな革命の爪痕を
ちょっとでもいいから 覗いてみてね♪
ジプログ読んで
世界史に興味持ってもらえたら 幸せ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
@コンシェルジュリー
2Bd.du Palais 1er
メトロ④Cite駅から徒歩3分
無休 9:30~18:00(11~2月 9:00~17:00)
8.5€
ミュージアムパス可
昔、フランスの政治の中心だった、
シテ島。
パレ・ド・ジャスティス、正義の宮殿と
呼ばれる、
最高裁判所もあるよん(↓)
ここは、フランス革命勃発後、マリー・アントワネットの
裁判が行われた裁判所でもあるの。
金髪だったマリー・アントワネットは、
ヴァレンヌへの逃亡が失敗して
一夜にして恐怖で金髪から白髪に変わったという
38歳なのに!!
マリー・アントワネットの恋人、(愛人ともいう)
スウェーデンの将校、フェルゼンが、逃亡の手助けを
したけれど、
ヴァレンヌの近くで ルイ16世から
「ここまででいいよ ありがとう」と、手助けを拒まれたらしい。
ルイちゃんも、男のプライドがあるからね!
妻の恋人に助けられたくなかったのかな??(本当の話だよ)
そのまま フェルゼンが逃亡を手伝っていたら
もしかしたら 亡命は成功して、
歴史は変わってたのかもね!
保湿マスクの画像しかなかった・・(笑)
王妃アントワネットと、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼン伯爵。
マスクのコピーと二人の気持ちを掛けてるとこが憎いね(笑)
命を懸けて 夫がいる女性でも
家族もろとも
守り抜く・・・ああーーーーーーーーロマンティック!!(アホ)
(ロマンティックな話が好きな人・・笑)
たぶん、こんなロマンティックな話があるから
フランス革命が好きな人、多いのかも♪
アントワネットがギロチンにかけられる直前まで
収容されていた、牢獄「コンシェルジュリー」の入り口。
建物の全体像を撮るのを忘れてたわ!!(泣)
ここもミュージアムパスで 優先入場ができます!!
ルイ16世の処刑が終わった後、
未亡人になったアントワネット。
唯一の生きる希望であった、
シャルル王子とマリー・テレーズ王女と引き離され、
タンプルの牢獄から、ここコンシェルジュリーに
一人、移される。
地面に沿っている小さな小さな窓。
アントワネットの牢獄は地下にあるため、排気口のような
かすかな窓があるだけだったのだ
アントワネットの牢獄。
あの華やかな生活の最後が
こんなことになるなんて 想像もしなかっただろうね(泣)
ついたてがあるだけの プライバシーも何もない部屋。
石造りの牢獄は 冬は冷え 日光も当たらないため、
マリー・アントワネットは、冷えから
体調を崩しがちであった
見かねた牢番などが 毛布をあげたり
あたたかいものをやったりしたが、
マリーの処刑後、牢番や中の女官たちは、
「アントワネットに優しくした罪」で ギロチンに送られたのだった
コンシェルジュリーにいた頃のアントワネット。
この後、処刑の朝にはギロチンがしやすいように
髪を短く切られたらしい(怖い!)
革命がおこったのは よかったのかもしれないけど、
最終的には 革命家たちの多くも
ちょっとした発言をしただけで ギロチンに送られたから
真の正義とは言えない雰囲気だよね!!
ううううーー
詳細を知ってると、マリーも国民を苦しめたけど、
あまりのもの最後に ついアントワネットにも味方したくなってきちゃう・・
この、コンシェルジュリーがたどった歴史が記されてるボード(↑)。
他に、ルイ16世やマリー・アントワネットを
祀った祭壇があったり、
ギロチンに送られた人々の名前がいっぱい彫ってある石版なども
ある。(泣)
フランス革命がなかったら 今のフランスや
人権の自由もなかったのかもしれないと思うと
必要な変化だったのかなあとも思わざるを得ないけど・・。
この血の歴史の残したものを見ることで
今の自由をありがたいって
思わなくっちゃね♪
コンシェルジュリーとは、「王室管理府」という
役所の名前なのよん 昔は役所だったの♪
世界史が嫌いでも フランス革命は
みんな知ってる。
パリに行ったら そんな革命の爪痕を
ちょっとでもいいから 覗いてみてね♪
ジプログ読んで
世界史に興味持ってもらえたら 幸せ!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
@コンシェルジュリー
2Bd.du Palais 1er
メトロ④Cite駅から徒歩3分
無休 9:30~18:00(11~2月 9:00~17:00)
8.5€
ミュージアムパス可
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