シン・エヴァンゲリオン劇場版を観る上でその楽しみを損なう重大なネタバレが含まれますので,既に観た方のみがみることをおすすめします.
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私がまだ小さい頃,夜父がリビングで見ていたエヴァを初めて観た.
当時から私は父の影響でガンダムなどのロボットアニメが好きだったので,エヴァにもだんだんとのめり込んでいった.
父に連れられて見に行った序を覚えている.
今まで見たことがないほど美しい映像でエヴァが動いているところを観た.
夜の闇にぼんやりと光るエヴァ初号機,細やかに動く第3新東京市,よりドラマチックになったヤシマ作戦.
ほとんどはTVシリーズと同じだったが,たしかに変わっていたエヴァンゲリオンにより引き込まれた.
父に連れられて見に行った破を覚えている.
初めて観に行ったときはゼルエル戦の捕食シーンが苦手で肝心なラストシーンでトイレに行ってしまったことことを少し後悔している.
聞いたことのある童謡に興奮して声を出して怒られたのも今となっては面白い思い出だ.
初めて自分ひとりで観に行った映画であるQを覚えている.
あまりにもぶっ飛んだ内容にあぁエヴァっぽいなと思った記憶がある.
14年経ったシンジを取り巻く環境があまりにも厳しくて少し笑ってしまった.
「行きなさい」って言ったのアンタだろミサトさん,というツッコミをおそらく誰もがしただろう.
公開前日の金曜ロードショーの最後に先行公開された6分38秒で宇宙で戦うアスカの2号機を見たときの興奮は,どんな予告編よりも翌日への期待を高めてくれた.
あの映画を見て少なくない人が「また旧TVシリーズのように意味不明に,風呂敷を畳みきれずに終わらせるだろう」と思っただろう(私はそうは思わなかったが).
あぁ続きが楽しみだなぁと思いながら待っていたら2017年になってようやく「続、そして終。」「非、そして反。」という文言とともにホームページが更新された.
ついに続きが見られるのか,と思って更に3年半が過ぎた.
そして2021年3月9日,私は公開初日の一番最初の回に「シン・エヴァンゲリオン劇場版」を観た.
エヴァに出会ってから人生の半分ほどの時間をかけてようやくエヴァが終わった.
Qを観てからの8年間,序を観てからの13年間.
映画を観始める前,映画館の椅子に座り,パリ奪還作戦が終了した頃私の胸の中にあったのは,「どんな映画なんだろう」という純粋な楽しみだなという気持ちと「期待を裏切らないで欲しい」という不安と,これで「遂にエヴァが終わってしまうのだ」という寂しさだった.
そして,映画を見終えた直後の私に残されたものは,13年という時間と素晴らしい映画を作ってくれた庵野監督への感謝と,受け入れることの難しい苦しさと,大きなものが終わってしまったという空白感だった.
人生の半分ほどの時間が経てば概ねの人間は成長をする(と思う).
果たして序を観ていた時の自分は,破を観ていたときの自分は,Qを観ていた時の自分はこの結末を受け入れられただろうか.
世の中には理屈がわかっても感情で受け入れがたいことというのも存在する.
それはちょうど「明日生きることを考えよう」と割り切った北上ミドリの感情とも似ているのかもしれない.
長らくアスカが好きだった私は,よりによってアスカの相手がケンスケかよ,と思った.
最後にシンジの隣りにいるのが(言い方が悪いが)ぽっと出のマリかよ,と思った.
最後の最後のシンジの声がすべての始まりから続けてきた緒方さんではなく,神木隆之介かよ,と思った.
「言いたいこと」(不満とまでは言わない)はあの映画に対してないわけではない.
だが,14年という長い年月人でなくなってしまったアスカを変わらない態度で支え続け「アスカはアスカのままでいい」と伝えられるのは28歳になったケンスケしかいないし,
他の誰もかもを拾い上げたシンジを助けられるのはすべての始まりから希望を信じて人間の力を誰よりも信じた,それでいてしがらみのないマリ以外にありえなかったし,
長きにわたるエヴァの呪縛からようやく開放されて大人の男となったシンジを表すためには少年期を演じ続けた緒方さんではなく,大人の男の声でなければならなかった.
理屈ではわかる.だがそれを割り切れるかどうかが,「大人」であるか「子供」であるかを分ける境界線だと思った.
少なくとも,序を初めて観たときから,Qを初めて観たときから,私は大人になれたのだと思う.
その点で,私はこれまでの時間に感謝している.
そして,どのような形であっても,全てのキャラに対して救済を,幸福の形を示した終わり方をしてくれた庵野監督には感謝したい.
旧劇場版や破で酷い目にあったアスカが,ケンスケという理解者を持って自分らしく生きていくことができるようになったということは,おそらく破からの14年という月日がなければ出来なかったことだと思う.
レイという人間にとっての異物(聞こえが悪いが悪意があるわけではない)が,自らの居場所を見つけられるということを示したシン・エヴァは,同時に破までのレイにもその可能性があることを示した.
旧TVシリーズでは終盤の追い詰められたシンジの周りには,優しく声をかける人はカヲルくらいしかいなかった.そのカヲルも最後はシンジの敵としてシンジに殺された.
シン・エヴァでは今までのどんな状況よりも心を塞いだシンジの周囲にはトウジやケンスケ,ヒカリ,そしてレイがいた.
「みんなあなたのことが好きだから」という言葉を,その実感を伴ってシンジに伝えることが出来たのは,紛れもなくあの状況でしかありえないことだったと思う.
漫画版が完結し,夏色のエデンが公開されたときから,マリがゲンドウたちの同期であることはわかっていた.しかし,彼女がゲンドウや冬月を裏切って神に頼らない人だけの力で明日を生きることを目指し続けたことがシンで初めてわかった.
過去に縛られたゲンドウとの決着がテーマだったシンには,反対に希望を信じたマリの存在が必要不可欠だった.
まだ一度しか観ていないのでこの映画の全容を理解できたかと言うと,多分そんなことはないのだろう.
だが一つ言えることは,このエヴァという作品を観ることが出来てよかったということだ.
さよなら,は「また会うためのおまじない」.
であるなら,もしかしたらまたいつかエヴァに会えるのかもしれない.