トランペットの種類

Heckel-Windisch

"Heckel-Windischの写真がありません"と書いたら、コメントくださった方から写真いただきました。ありがとうございました。
1955年頃のB♭管だそうですが、彫刻は3代目っぽいですね。

刻印には"Arno Windisch""Instrumentenbaumeister""vorm.F.A.Heckel""Dresden"
とあります。Theodorあたりは"Instrumentenmacher"ですので、微妙な違いがありますね。Meyerは何もその辺刻印してません。ただ単に"gemacht B.C.Meyer"とだけあります。その辺りが結構面白いですね。
推測すると、『3代目から工房を継いだWindischはあくまで"Windisch"にこだわり、そのため"vorm.F.A.Heckel"とした。つまりF.A.Hckel=Windischなのであり、F.A.Heckelはブランドではなく、その工房でその作り方で作られた楽器を作ったマイスターの名前に過ぎず、今その楽器は”Windisch”によって作られているので、そのマイスターの名前を先に出すものである』といったところでしょうか。
それに対し、Meyerになってからは、F.A.Heckelが半ば伝説化してしまっているので『現代においてF.A.Heckelを刻印できる楽器を作れるのはMeyerしかいないので、ブランドとしてのF.A.Heckelがあり、それを作ったのはB.C.Meyerである』というこれまた高い自意識の表れなのでしょうね。あくまでも推測ですので、間違っていたらごめんなさい。

折角送ってもらった写真ですので、もう少し載せます。

これはHeckel-Windischではありませんが、WindischのC管です。


書きたい話題はまだ付きませんが、今日はこんなところで。

コメント一覧

Wacky
遅ればせながら、管理人様、写真掲載ありがとうございました。お師匠様、非常に有益な情報をありがとうございました。ということは、私のHeckel-Windischは1957~1960年代初頭ごろの製作ということになりますね。しかしお二方とも、ただならぬご経験をお持ちですね。恐れ入りました。
管理人
師匠、コメント感謝です!
そうですか、やっぱり旧東独のからみですか・・・。確か2代目はF.A.Heckel社を立ち上げたんでしたっけ。旧東独といえば、旧東ドイツ文化省の招聘でLeipzigとBerlinで演奏会やったことありましたが、そのギャラを持ち出せないので、コントラバスか何かで持ち出したことがあります。しかも当時楽器は唯一外貨を稼げる品物だったので、持ち出すにもえらい苦労した、と聞いたことがあります。たまたまオケのSupervisorが旧東独のコントラバスコンクールの審査員か何かをしていた関係で、なんとか持ち出せた、とか。
暗い時代でしたね。でもそのおかげでF.A.Heckelが幻になったのかもしれませんが。ということで、私目の推測は大ハズレってことで・・・・。失礼しました。
DUS 師匠
Heckel/Windischの彫刻ですが、初期(54~57年頃まで)はF.A.Heckelの下にInh.Arno Windisch InstrumentenmacherもしくはInstrumentenbaumeister Dresden と彫刻されていました。 Inh.はInhaber(オーナー)の略です。当初WindischはF.A.Heckel社として継続していくつもりでした。しかし当時の東独の政策では個人会社等を認めない方向になっていたため自分の名前にして製作をするしかなかったようです。その後60年代初めまでは Arno Windisch vorm.F.A.Heckel と彫刻していました。 Windischから直接聞いた話ですので間違えはないと思いますのでコメントしました。
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