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本と音楽とねこと

解縛──母の苦しみ、女の痛み

小島慶子,2017,解縛──母の苦しみ、女の痛み,新潮社(Kindle版).(12.3.24)

母親の憑依、屈折した子供時代、15歳からの摂食障害。女子アナとしての挫折、男社会の理不尽。鋭い筆致で自らを見つめた魂の手記。理想を押しつけ、娘を思い通りにしようとする母。憧れと恐れを抱かせる9歳年上の姉。女たちの軋轢に向き合わなかった父。絶望感から私は15歳で摂食障害に陥った。自立を求めて「女子アナ」になるが、男性社会のなかで挫折と理不尽を経験。育児をきっかけに不安障害を発症し、死を願うまでに。そんな私を救ったのは――。鋭い客観性で自らを見つめ、包み隠さずつづった衝撃の手記。

 本書では、親への呪詛が延々と綴られている。

 わたしも、過保護・過干渉の母親と、酒が入ると暴言を吐きまくり、ときには母に暴力を振るう父親を忌み嫌い、大学進学のため親元を離れる前までは大喧嘩を繰り返したものだが、小島さんの親を裁く言葉はこれ以上ないというくらい辛辣を極める。

 母と姉の関係は、女同士という感じでした。父との夫婦関係の悩みまで打ち明けて、母はずいぶんと姉に依存していたようです。自尊心が高く警戒心の強い母は、長女を絶対に裏切らない女友達の代用にしていたのでしょう。一人目は友達の代わり、二人目は自分の身代わり。母にとって娘は他者ではなく、自分を受け入れてくれる地続きの安全地帯であって欲しかったのかもしれません。それは子供の居場所がどこにもなくなるということなのですが、それにも気がつかないほど、母は孤独だったのだと思います。あの時代に限らず今に至るまで、仕事に邁進する夫と孤独を深める妻、その孤独を埋めるための道具になる子供、という構図は定番なのかもしれません。どこにも、子供の領分はないのです。

 母の料理を食べないと生きていけないということは、毎日母との言い争いをしていた私にとっては敗北であり、母の支配に屈することでもありました。自分に干渉し土足で自尊心に踏み込んで来る人間を激しく憎み拒みながらも、結局はその人物が作った料理を食べて生きるしかないのは、胃袋を介した陵辱と同じことでした。
 母は毎日の献立を考え、料理を作り、片付けることを苦行のように繰り返しながら、ちょっとした工夫を得意げに披露しました。今思うと家事労働のキツさをこぼし、味付けの工夫を自慢するなんてよくいる無邪気なお母さんですが、当時の私にとってそれは「これだけ苦労して食べさせてやっているのだから感謝しなさい」という貸し付け書であり、取り立てであると感じられたのです。
 どんなに言い募って母を罵倒しても、結局はその人の股から生まれ、その人の手料理で出来た身体を生きなくてはならないというのは投獄と同じことでした。どこまで逃げてもこの身体はついてくる。身体が飢える限り、私はこの家に帰り、言い争いながらまた食事をしなければならないのだと。
 自分が作るものも含めて私が未だに女性の手料理に対して強い警戒感と抵抗を覚えるのは、料理は支配だという考えを拭いきれないからです。無料の料理は無償の愛だから、食べた者は応えなくてはならない。それを利用している女のなんと多いことか。

 用意された食事を食べながら、箸で湯呑みを突くように指して母にお茶のお替わりを促すことがあるのです。まるで食堂のおばちゃんに横柄な態度で接する男のように。その度に私は「お茶を下さい、と言え。帰って来たら自動的に食事とパジャマが出てくると思うなよ」と腹を立てていました。言葉にして言ったこともあります。
 父は、母と喧嘩の絶えない私によく言ったものです。慶子、あんまりママを苛めないでよ。慶子のママじゃなくて、パパのママなんだから。つまり、所有者は自分なのだから大事にしろというのです。その度に、母に歯向かって傷つけたことを棚に上げて、私は激しく父を嫌悪しました。誰も、誰かを所有することなんて出来ない。なんと嫌らしい、身勝手な理屈なのだろう。私を自分の延長だと思っている母を拒絶するのと同時に、母を自分の持ち物だと思っている父のことも私は絶対に許せないと思いました。
 父は気の弱い人で、幼い私が不満げにしているだけで「なんだその目は!」と怒鳴りながら追いかけてくることがありました。実際に手を上げたのは、まだ幼稚園に通っていた頃に箸の持ちかたが悪かったので手をはたかれた一回きりでしたが、怒鳴るときの父は、いつも怯えたような怖い顔をしていました。人にバカにされるのが怖いという点で、父と母はよく似ていました。母は傷つくのを恐れて現実を遮断し、父は恫喝することで弱さを隠していたのかもしれません。
 大学4年生の時、すでに就職が内定していた私はマスコミと学生の有志で作ったHIV感染者差別の反対運動に参加していました。友達に誘われたので気軽に手伝っていたのですが、その話を父にすると「内定を取り消されるから、やめろ」と言います。そんなことないよ、テレビ局や新聞社の人もたくさん参加しているし、学生もみんなまじめだし、何がいけないの?と説明しましたが、やはり父もHIV感染者と娘が関わることに偏見を持っていたのでした。
 その頃、父は関連会社に出向していました。思うように出世できなかったことで苛立っていたのかもしれません。私はそこに狙いを定めて反論しました。自分が正しいと思ったことや共感することを勇気をもって実行することの何が悪いの?そういう勇気がなかったから、パパは出世できなかったのよ。
 母と私の喧嘩にも向き合おうとせず、ただ自分の見たい家族だけを見ようとした父の狡さにも積年の思いがありました。あなたは、自分の都合のいいものしか見ようとしていないじゃないか。見たくないものと向き合う勇気がないだけのくせに、いい人ぶって。
 父の顔が、あの怯えたような恐ろしい形相になったかと思うと、咆哮が聞こえました。怒鳴りながら、父は私を何回も往復で平手打ちしました。腕力を使い慣れていない男の、全く力加減をしない平手打ちです。私は父を突き飛ばし、渾身の力で蹴り倒し、起き上がってなおも私を殴りつける父に「暴力で人の心が変えられると思うなら、気がすむまでぶてばいい。私は絶対に変わらない」と叫びました。
 止めに入った母が二人を引き離すと、父は和室に入って引き戸を閉めました。気持ちがおさまらない私はなおも引き戸の向こうの父に「ぶちたいだけぶてばいいでしょう」と叫びました。「なら、ぶってやるよ」追い詰められた犬のような引きつった顔で出てきた父は、それからなおも私を殴りつけました。
 全部で何十回叩かれたのでしょう。両耳がじんじんと鳴って、次第に痛みが強くなりました。受診した結果、鼓膜が破れていることが分かりました。高校生の頃、姉に平手打ちされて鼓膜が破れたこともあったので驚きはしませんでしたが、アナウンサーに内定している娘を、いくら腹が立ったからと言って鼓膜が破れるまでぶっ叩く父の大人げなさ、怒りをコントロールすることもできず、コンプレックスと向き合う鍛錬をすることもなく年を取ったみっともなさに深い憎悪と侮蔑を覚えました。

 ここまで書くかと思うくらい、小島さんは自らのプライベートの経験を赤裸々にさらけ出す。

 「個人的なことは政治的なこと」、わたしや小島さんにとって、家族こそが陰惨なパワーゲームに否応なく巻き込まれてしまう修羅場、なのであった。

目次
1章 母との遭遇
「アイ・ウォント・ブラッド!」
角栄につつかれる ほか
2章 「トモダチ」のお母さん
夜、たったひとりで
洗練された先住民 ほか
3章 15歳からの摂食障害
気がつくと、一人
「ママはパパしか知らないのよ」 ほか
4章 憧れと敗北の女子アナウンサー
初めての一人暮らし
生来のお調子者 ほか
5章 子を持つこと、そして不安障害
シアワセの象徴
肉でしかない ほか


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