いまさらあほが書いたあほあほな文章についてあげつらうつもりはないんだが、まあ、もっとも、世の悪事を正義感から暴くのであれば、「きっこのブログ(日記)」なみの情報収集力か深い洞察力が必要なのに、学者の分際でいい加減なこと書くの恥ずかしくないのか、あるいはまた、ブラックなことを書くのであればそれとわかるように書かないと、本来冗談がわかる人にもそれとわからないわけで、そんな茶目っ気の一つもない、悪意と罵詈雑言にまみれた痰つぼみたいなブログをつくってなにが楽しいのかなあ、といった単純素朴な疑問はわくわけだが、まあ、それは、動機不明の殺人事件が起こった際に、なんでそんなことしたかねえという印象を抱くのと同じことなので、考えても無駄なこと。
ここで触れておきたいと思ったのは、瀬尾が0.5人とカウントした(←根拠がまるで理解不能、「まったくの個人的意見だが赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので、傷害致死の可能性は捨てきれない」って、われわれとまったく別次元の非論理的世界に生きる、基地の外の方の発言としか思えないがwww)乳幼児も含めた子どもの命の価値についてだ。
わたしは人間の命の価値は平等に扱われるべきはなく、年齢が低いほどその価値を高く評定すべきだと考えている。わたしより、20歳の学生の命の価値の方が尊重されるべき、なんてわたしのあたまのなかでは自明のことだ。
人間は、加齢とともに、そして自らが生きる環境世界を解釈する知識のストックを積み上げれば積み上げるほどに、生きる意味が希薄化し、時間はより速いスピードで進んでいくことになる。一瞬一瞬が驚きに充ち満ちていた幼いとき、時間はとてつもなく長く、とくに世界観が一気に広がる瞬間は、それがまるで永遠に続いていくかのような至上の経験となる。人間が、乳幼児期に経験する生の価値と比べたら、わたしがこれから生きる10年など(←生きてるとすれば)、ほんの数日分の価値しかもたないだろう。
そんなわけで、乳幼児の命の価値は0.5人分しかないなんて、やっぱり基地の外の人にしかできない発想であるな、と思った次第なんである。
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伊奈正人
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