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本と音楽とねこと

ジオラマ、ロンリネス

桐野夏生,2001,ジオラマ,新潮社.(2.9.25)

ベルリンのガイドで生計を立てる、美貌の男、カール。地方銀行に勤める平凡な会社員、昌明。金のため男に抱かれることに疲れ始めた、カズミ。退屈な生活。上下運動を繰り返す、エレベーターのような日々。しかし、それがある時、一瞬にして終焉を迎える。彼らの目の前に現れた、まったく新しい光景。禁断の愉悦に続く道か、破滅の甘美へと流れゆく河か。累卵の如き世界に捧げる、短編集。

 九編の短編小説集。

 人間のこころの不条理、隠微さ、醜悪さを描く試みを、桐野さんは、石ころを剥がして、その下にうごめく生き物たちを観察することに喩える。

 子供の頃、地面に埋まっている石ころを剥がす遊びに夢中だったことがある。
 見たところ何の変哲もない石の下に、地上とは全く違う世界が存在しているのが面白くてならなかった。黒い湿った土があり、薄気味の悪い生き物が棲んでいる。小さな蟻、ミミズ、白い蛆虫のような幼虫、植物の絡み合う根。それらの生物は、急激に陽の光を浴びせられ、慌てふためいて逃げだしたり、空しく蠢いていた。私は気持ち悪さと戦いながらも、目を背けることができずに凝視していたものである。
 個々の石の下に必ず存在する異世界。引っ繰り返すと現れ出るそれは、私が生きている世界とは違うことわりで動いている。石の下の世界の下には、更に土中という別の世界があり、世界はこうして幾つもの違う層から成り立っているのだ。小説を書く仕事というものは、まず石ころをめくってみる作業ではないかと思う。
 だから、私にとっての短編小説とは、一個の石をめくってみて、その下にあった世界を見る驚きや、その世界を書くことなのである。それは、日向に転がる石ばかりでなく、一人では動かせない山の中の大きな石や、河原の丸い石だったりもする。様々な場所の様々な石を引っ繰り返すこと、それが短編小説なのだ。その下の地中世界まで掘り下げるのは、私の場合、長編での仕事である。
(「あとがき」、pp.288-289)

 短編小説を読む恐ろしさは、暴露された世界がそのままそこにあることでもある。作者によって白日に晒された隠微な世界は、いずれ干上がり、死に絶え、地上と何ら変わらなくなっていく。読者もそこに同時に置き去りにされることもあるだろう。一個の剝がされた石の前でおろおろと立ち尽くし、次の石など目に入らない者もいるかもしれない。そういう読者は己の世界もまた、干上がることを覚悟しなくてはならない。
 だが、小説を書く者ならば誰でも、石を引っ繰り返して読者を置き去りにしたいと願っているはずである。そう、石を引っ繰り返すということは、実は恐ろしい所業でもあるのだ。
(「あとがき」、p.294)

 わたしも、子どものころ、石をひっくり返してその下の生き物たちを見る遊びに熱中していた。

 石の下にうごめく生き物たちにもまして、ときに、人間のすることなすことは、見るにおぞましい。

 しかし、わたしたちは、それを見ずにはおられない。

 それもまた下衆きわまりない欲望なのであるが、桐野ワールドはその欲望をみごとに充足させてくれるのだ。

 

桐野夏生,2018,ロンリネス,光文社.(2.9.25)

本当の恋を知らなかった。嫌いではないが、夫とはぎくしゃくしている。出会った男は、夫とは対照的だった。ベストセラー『ハピネス』、欲望と熱情の第2ステージ。

 『ハピネス』の続編長編小説。

 タワマンを主たる舞台に、恋愛ごっこにふける既婚者たちの、ドロドロした関係と寒々とした心象風景を描く。

 桐野作品にしては毒気が足りなくて不満だったな。

 そんなに恋愛したいのだったら、一夫一婦の結婚なんかしなきゃいいのに、まして子どもなんかつくらなきゃいいのにという思いが先行して、登場人物に感情移入できなかったのもある。

 恋愛くらい若いときにちゃんとやっとけよ、気色悪い。笑


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