日本福祉社会学会の設立と福祉社会学界のいしずえの形成に多大な貢献を果たされた副田義也先生の主要著作二点。
副田義也,2008,福祉社会学宣言,岩波書店.(10.21.24)
社会福祉のあり方がいま問い直されている。社会福祉を社会学の観点から捉える時、社会の何が見えてくるのか。社会福祉のドラマとしての面白さを具体的な事例に即して伝えるとともに、現状に対する批判や改革の方向性を提示。理論的な考察を交えつつ、福祉社会学という新しい学問の全体像と研究のダイナミックな射程を浮彫りにする。わが国におけるこの分野のパイオニアにして大きな足跡を残してきた著者の問題意識が凝縮した野心的著作。
1993年に発生した福祉川柳事件。
これは、福祉事務所に勤務するケースワーカーたちが詠んだ、生活保護受給者を中傷する内容の川柳が機関誌『公的扶助研究』に掲載され、非難を浴びた──いまでいう「炎上」した、というものであった。
副田先生は、ケースワーカーに対して、安直な通俗的道徳をもって批判することに組みしない。
少数の川柳作品に、ケースワーカーのクライアントにたいする差別や憎悪の表現が見られた。それらは作品論のなかですべて拾いあげて、コメントをつけておいた。一般化していえば、反倫理に属するそれらの悪徳は、次のような社会関係の構造的編成の産物である。①根底にケースワーカーによるクライアントへのスティグマの附与がある。②そこから動機づけられて、クライアントはケースワーカーに拒否的な感情、行動を向ける。③ケースワーカーは前項の要因への反応として、クライアントに拒否的な感情、行動を向ける。そのさい、クライアントのうそなども第二次的要因としてはたらく。④ケースワーカーのクライアントに対する拒否的な感情、行動は、クライアントの逸脱行動を契機として、怒り、差別、憎悪などの表現に転形する。以上の基本的過程にたいして、ケースワーカーのパースナリティ、とくに価値意識や良心、かれをとりまく文化、社会、政治、経済の諸状況も作用する。
(p.67)
実に堅実、冷静な分析である。
社会保険、とくに年金制度と公的扶助とは、相容れない性格をもつ。
前者は保険料負担と年金給付の明確な原則──権利性があるのに対し、後者にはそれがない。
収入・資産の調査と親族による扶養意思の照会が行われる公的扶助には、どうしてもスティグマがともなってしまう。
ベヴァリッジは、プライヴァシーの侵害などで公的扶助それ自身を社会保険より望ましくないものにしようとした。マーシャルは社会保険の契約的性格の強調が公的扶助の恥辱感などを維持させたという。われわれは、公的扶助のスティグマには二とおりの源泉、それに必置の収入調査などと社会保険との比較があることを確認する。
日本の社会福祉学には規範理論(normative theory)の性格が強い。それは、公的扶助のスティグマを生存権保障のために消去するべきだという価値意識をもっている。スティグマは被保護者に苦痛を与えるものだから、なくしてしまうべきだというのである。それは、公的扶助にともなうスティグマを社会保障制度に由来する必要性および必然性から理解しようとしない。
それはそれとする。社会保障制度には、事実として(つまり、「タテマエ」のきれいごとではなくて)、スティグマをともなわない権利性とスティグマをともなう権利性がある。前者は社会保険が保障し、後者は公的扶助が保障する。このかぎりでは、社会保険と公的扶助は異質の制度であり、融合することはありえない。両者は精々、併用されるまでである。そうして、私の今回の仕事は、その社会保険に属する年金保険のわが国における原型は恩給制度にあるということを明らかにするものであった。(後略)
(pp.150-151)
副田先生が既存の社会福祉学に飽き足らないと考えたもの、それは理論であり学説であろう。
本書では、福祉社会学理論の可能性が存分に模索されている。
目次
ケースワーカーの生態
権利主体としての「老年」の形成
補論 社会保障制度における「下向普及」と「上向普及」
だれのための老人福祉か
老人福祉は利用者の家族をどう扱っているか
なぜ住民運動は老人福祉を阻害したのか
障害児殺しと減刑反対運動
福祉社会学の課題と方法
副田義也,2013,福祉社会学の挑戦──貧困・介護・癒しから考える,岩波書店.(10.21.24)
生活保護には援助を求める人びとを拒絶するしくみが内在し、老人・障害者介護にはつねに管理の側面が伴う。そして、福祉サーヴィスを受けることがもたらす負の烙印…。多様な現場の実例から、福祉にまつわる光と影を見据え、人間のための福祉をめざす。日本の福祉の本質を照射し、福祉社会学の可能性をさぐる、知的冒険の書。
北九州市における生活保護行政の不正(保護申請の拒否、受給者への「辞退届」の強要)が、厚生省(当時)のお墨付きで行われていたことは、周知の事実である。
一九六七年三月、谷伍平は二代目の北九州市市長に就任した。かれの選挙公約のひとつは、さきに記したように生活保護の適正化であった。その具体的着手として、同年八月、本庁民生局に福祉事務所の指導監査にあたる指導課を新設し、厚生省社会局からひとりの官僚をまねき、指導課長に就任させた。厚生官僚を指導課長(役職名はのちにかわったが)にするというこのやりかたは、以後、谷市長時代、末吉市長時代の四〇年間にわたって、つづくことになる。したがって、前節でみた北九州市の生活保護行政の諸制度は、厚生省(二〇〇一年以降は厚生労働省。以下同じ)の了解・支持のもとにおこなわれたものであると判断される。そればかりではなく、厚生省は、北九州市の生活保護行政を規範的モデルとして、他地方の福祉事務所に推奨した。それを裏付ける証言を一、二『軌跡』から引用しておこう。
U北九州市の適正化はよその都市に先行して真剣に取り組んでいたように思う。だから他都市からの相談や視察が多かった。北九州市でやったいろいろなことが全国に波及して行きました。
M他の都市から出前講師の依頼がありましたし、ある都市には、厚生省が北九州市はこんなことをやっているから勉強に行くようにと言っていました。
厚生労働省の監査においても北九州市の生活保護行政はつねに高い評価をえていた。連続餓死事件が社会問題化する直前、二〇〇六年秋の監査における同省の賛辞を二、三引用する。
面接相談体制として「面接主査制」を導入し、保護の相談・申請段階において三名の面接主査が賢明に相談の対応に当たっている。[中略]
福祉事務所が一体となって、生活保護の適正実施に取り組んでいる。今後とも、こうした保護の適正実施に向けた取り組みを継続して実施し、引き続き高い実施水準の維持、向上につとめていただきたい。[中略]
本庁としてのリーダーシップを十二分に発揮し、本庁と事務所が一体となって保護の適正実施に取り組んでいる。今後も管内の保護動向等に留意しながら福祉事務所への適時適切な指導・支援を引き続き行っていただきたい。
厚生労働省社会・援護局は北九州市民生局と、生活保護行政において、幹部職員の派遣と公私両面での高い評価によって、緊密に一体化していた。それらにくわえて、厚生省が出した、いわゆる一二三号通知が、北九州市の生活保護行政のありかたを正常化する規範としてつかわれたということがあった。
(pp.37-38)
ひとは「権利の主体」であると同時に「スティグマの客体」として生きるほかはない。
ベヴァリジは、プライヴァシーの侵害などで公的扶助それ自身を社会保険より望ましくないものにしようとした。マーシャルは社会保険の契約的性格の強調が公的扶助の恥辱感などを維持させたという。われわれは公的扶助のスティグマには二とおりの源泉、それに必置の収入調査などと社会保険との比較とがあることを知るのである。
わが国の社会福祉学には規範理論normative theoryの性格がつよい。そこには公的扶助のスティグマを生存権保障のために消去するべきだという価値意識がある。それにもとづいて、ワーク・ハウスなど劣等処遇の一九世紀的形態の一部が退場したことを歴史的進歩であると評価することもある。しかし、それは公的扶助のスティグマを、社会保障制度の必然的産物として客観的に理解する姿勢をもちあわせない。
さらに、社会保険制度は「義務的な契約的性格」をもつというだけで充分だろうか。一九六〇年代のイギリスはいざ知らず、現在の日本においては、高齢化の進行を背景に、年金財政の困難の見通し、そこでは賦課方式がとられ現役世代の拠出がそのまま老年世代の保険金として支出されていること、さらには現役世代の支払う巨額の租税も年金財政に投入されていることが広く知られている。端的にいえば、現役世代が重荷を負担し、老年世代が利益を享受する。二つの世代の利害は対立し、年金制度をめぐる世代間闘争さえ予想されるようになった。すでに現役世代は老年世代の年金受給を不当に大きい利得の収奪のように語りはじめている。
福祉国家のこのような政治状況、社会状況のなかで、ジンメルの第三命題「貧者は、集団(社会)の外部にあって内部にあるという社会学的に二律背反する存在である」、あるいはそのヴァリアントとしての「すべての人間は集団(社会)の外部にあって内部にあるという社会学的に二律背反する存在である」は、社会的人間論、社会保障制度論において基本的視点である。また、この第三命題を中心とする前述の七命題のセットは、それらの論議のための基本的枠組となる。福祉国家において、ひとは権利の主体、スティグマの客体として生きるほかはない。福祉社会学のこの冷徹なリアリズムを、社会福祉学の夢見るロマンティシズム、あるいはユートピア幻想と対置する。
(pp.72-73)
「冷徹なリアリズム」、これも副田先生が自らの福祉社会学に徹した理念であった。
目次
1 貧困問題と福祉の機能
生活保護における逆福祉システムの形成
貧者の権利とスティグマ
2 ケアすることとは
ケアすることとは―介護労働論の基本的枠組
青い芝のケア思想
老人ホーム像の多様性と統一性
3 死別体験と癒しの過程
自死遺児について・再考
震災体験の癒しの過程における「重要な他者」と「一般的他者」
4 二〇世紀からの展望
日本文化の可能性
社会主義の不在と社会福祉の行方
二〇世紀素描―一九九八年三月・筑波大学・最終講義