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本と音楽とねこと

【旧作】ことばは届くか【斜め読み】

上野千鶴子・趙韓恵浄(佐々木典子・金賛鎬訳),2004,ことばは届くか,岩波書店.(8.17.24)

強烈な個性と洞察力で日韓のフェミニズムを拓くふたりの往復書簡.70年代から現在までの女性・若者・大学・家族の激変を知的自分史から省察し,日韓の同時代の差異とそこからのヴィジョンを親愛のエールをこめて分かち合う.

本書は「境界で語る talking at the Edge」のタイトルで、雑誌『世界』に連載された、上野千鶴子氏と趙韓恵浄氏の往復書簡に、両氏の「あとがき」の手紙を一通ずつ付け加えたものである。

 同じ儒教文化圏にありながら、かたや「敗戦国」にしてナショナリズムが抑制された日本と、かたや「植民地」から脱して、民主化とナショナリズムの高揚が矛盾することなく進行した韓国。

 この差異をふまえ、「従軍慰安婦」問題にて、日韓のフェミニズムが連帯した経緯に思いを寄せる。

 これまでの手紙を通して、わたしたちは、韓日間の差異について多くの話を交わしてきましたね。わたしたちの他にも、韓日の差異については、実に多くの人たちがくりかえし議論してきていますが、おおむねが対立をけしかけるか、でなくとも既存の通念を再確認する形で消費されてきたと見ています。浅薄な「国民性」論議に落ち込まないにしても、差異に対する単純な認識は、安易に「本質的なアイデンティティ」論議につながり、相手を規定し他者化してきました。こうした落とし穴に落ちないで差異を見る新たな方法が必要なのですが、このような時にわたしが使う方法は、二つあります。一つは異質的な要素を自分の中に探し出すことですが、これは具体的には、韓国の歴史ないし日本の歴史から、その差異ばかりを浮き彫りにさせるというやりかたを越えて、共通する流れを読みとる試みのことです。二つ目は、差異を具体的な生活のアジェンダ(論点)に連結することです。新しい想像力がより必要な転換期である今、不慣れな出会いがもたらす予期しない「生産性」を、わたしは信じています。同じ志向性をもっている韓国と日本の市民たちが、何かをしようとこれまで根気強く呼びかけてきた理由も、まさにここにあります。
(趙韓、pp.197-198)

 相互の人格と、その背景にある社会、文化へのリスペクトが随所に感得される往復書簡集だ。

目次
チズコ→ヘジョン―一九八八年ザグレブで、グローバルとバイリンガル
ヘジョン→チズコ―一九九〇年京都で、アメリカの博士号と済州島フィールドワーク
チズコ→ヘジョン―ステューデント・パワーの挫折とリブ、女性学の大学への浸透
ヘジョン→チズコ―軍事政権下の「六八年世代」、民主化運動のキャンパスとその後
ヘジョン→チズコ―運動圏と女性運動と「もうひとつの文化」、国民的主体の形成/解体
チズコ→ヘジョン―「私」のフェミニズム、愛国心と在日のナショナリズム
チズコ→ヘジョン―グローバルな同時代性、主婦化とフェミニズム
ヘジョン→チズコ―非同時性の同時性、「周辺」の知識人、多中心性への困難
チズコ→ヘジョン―Hanako世代と少子社会、介護の社会化と女たち
ヘジョン→チズコ―この社会に子どもを産んだ代価、一〇代たちとの挑戦と実験 ほか


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