https://twitter.com/nekotaro69/status/1775541164692889943
映画のワンシーンのよう。
衝撃だ。
わたしは、阪神・淡路大震災、鳥取西部地震、芸予地震、福岡西方沖地震等、けっこう多くの地震に遭遇している。
とりわけ、強烈だったのが、2000年の鳥取西部地震。
当時、運営していたウェブサイトに書いた記事が残っているので、転載したい。
○10月6日(金)
鳥取西部地震発生。
地震発生時、わたしは岡山市内の某大217教室で講義中。強い横揺れ。揺れはじめて数秒後、建物の倒壊の危険を感じ、学生に机の下に潜るよう指示したものの、自分は立場上身を隠すわけにもいかず、「あー、これで死ぬのかもー。わはは」と思いながらじっと天井を見つめる。揺れがおさまり、教室内に怪我をした人が出ていないことを確認し一安心。携帯電話で情報収集しようとしたが接続できず。南海トラフか相模トラフがとうとう動いたか、もしくは東京か神奈川の断層がすれたか、小田原近く(平塚)に住む兄の家族と東京・神奈川の知人のことが心配になる。学生の一人が事務に走ってくれたおかげで、鳥取震度6、岡山震度5であることを知る。意外に震源が近くびっくり。岡山は大した被害なしと判断し、鳥取に肉親がいる学生に安否確認のため退出を促し、授業再開。しかし、すっかり気が動転してしまっていてまた余震が気になり、話がうまくできない。狼狽したまま終了。帰宅したらCDケースが一つ2メートルほど吹っ飛んでいた。縦揺れが加わっていたら被害甚大だったろう。あー、びっくらこいた。
18時現在も断続的に余震が続いている。気分が悪い。
某大とは、非常勤で授業していた岡山大学。
死を覚悟したのは、前にも後にもなく、このときだけだったように思う。