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Z世代化する社会──お客様になっていく若者たち

舟津昌平,2024,Z世代化する社会──お客様になっていく若者たち,東洋経済新報社.(9.19.24)

PTAに言いつけますけど、いいんですか?気難しい表情の上司は存在がストレス。怒らない=見捨てられた。だから、いい感じに怒って。こんな若者たち、実は「誰か」を真似しているだけかもしれない。「近頃の若者は…」と嘆くあなたも「Z世代化」している!?ゆとり世代の東大講師がコミカルに語る衝撃の若者論!

 他者との微細な差異に敏感で、「みんなと同じはイヤだけど違うのもイヤ」ということであれば、これはなにもZ世代特有のものではなく、74年前、デイヴィッド・リースマンが『孤独な群衆』で描いた「他人指向型」の社会的性格、そのまんまではないか。

 みんなと同じでなければ不安という心理は、ビジネスの格好のエサとなる。

 こんな場面を目の当たりにしたことがある。1年生向け授業で「就活ガイダンス」が行れた。就活仲介サービスの企業から人が派遣されてきて、就活のアレコレについてレクチャーするのである(マジで、現代の大学ではそういう努力をかなり払っている)。
 とある企業の方が登壇し、授業も終わりかけた頃。その方は待ち構えたように、終わりの言葉を言ってのけた。
 「皆さん就活は、今のうちから、1年生から始めましょうね。隣の友達が内定を持っているのに、自分が持っていなかったら嫌ですよね」
 衝撃を受けた。思わず口が滑ったというより、台本を読み上げるような言い方だった。つまり誰かに指示されて、意図的に発信したのだ。
 このエピソードからわかることは2つ。まず、企業は学生を脅して、不安を煽ってビジネスチャンスを得ることに躊躇がない。そして、学生は友達に弱い。よく知っている。よく調べている。名のある大企業だけあって、市場調査もきっちりやっているのだ。
 授業後、私は興奮してまくし立てた。君ら、ナメられてるよ。ちょっと不安を煽ったら、ほいほい就活やるんだって思われてるよ。それでいいのか。そもそも就活って、友達と内定を比べるためにやってるのか・・・・・・。
 でもそんな説教、きっと意味のないことだ。大学の先生みたいな人がいくら叫んだって、Z世代は聞く耳など持たない。ましてや怒気をはらんでいる。怒っている人はアンチだから視界から消すのが良い(と、本当に教わっている)。
 そして学生は、前を見ずに隣を見る。就活やる~?メンドイなあ、でもみんなやるならやろうかなあ······(コイツがやるならやるけど、コイツをちょっと出し抜くくらいのとこから内定ほしいなあ······)。
(pp.95-96)

 Z世代は「消費の主役」としても注目されている。それはつまり、常にモノを売りつけられる対象だということだ。巨大資本の集約の成果もあってZ世代を魅了してやまないテーマパークは、不快を排除して享楽だけを追求した(そこそこ値が張る)楽園であり、大学もテーマパークであれ、お客さんに楽しいことだけを提供する場所であれ、と求められている。
 インフルエンサーもまた、不快の権化であるアンチと、徹底的に信奉するファン(アンチ-アンチ)を明確に区分することでビジネスを推進させる主体であり、現代を象徴する存在だ。
 もう1つ、現代のビジネスでは、不安がおおいに利用されることがある。不安には根拠が要らない。一度不安に思わせてさえしまえば、強力なリピーターとしてビジネスに貢献するようになる。現代には様々な不安ビジネスがあり、たとえば就活ビジネスはZ世代をターゲットにしており、おおいに不安を活用している。
 就活がZ世代に与える影響と重圧は凄まじく、ときに非倫理的ビジネスを肯定する材料にすらなる。ガクチカ、インターン、就活をとりまく状況はきわめて唯言的で、意味内容の伴わない「唯の言葉」にZ世代は翻弄されている。
 また「成長」という言葉は、ある種の魔力を持ってZ世代を煽動する。友達を相手に商売を仕掛けるという「一線」を越えるZ世代の背景には成長への飽くなき欲求があり、ビジネスは資本を以て若者が成長する舞台装置を整える。多くのZ世代はそれらを「イタい」と冷ややかに思いつつも、どこかで「口出しできない」とも思っている。
 そんなZ世代は、職場に入っても不安に駆られている。職場環境は良くなっているのに、不満は消えているのに、不安は消えない。「他社・他部署で通用しなかったらどうしよう」という問いは、Z世代を容易に不安に追い込む。エイジズムは、その助力となりうるコミュニケーション機会を確実に奪い、分断へといざなう。
(pp.261-262)

 コスパ、タイパを重視し、自らの他者による評価を異様に気にして印象操作に余念のないZ世代は、まるで企業の経営者のようである。

 ではなぜ、コスパなんて概念が流行るのか。コスパは、誰のためのものだろうか。
 コスパは、端的には経営者が経営に用いる指標である。ROIとかROEといった指標がわかりやすい。ROIはReturnOnInvestmentの略で、投じた費用に対してどれだけの利益が出たか。ROEはReturnOnEquityの略で、株主の出資金を元手に企業がどれだけ利益を上げたのかという、株主目線のコスパ。これらが、保守本流のコスパの意味である。つまり現代とは、経営者に求められるような指標を、当たり前のように一般人に転化して用いている時代であり、あたかもわれわれ一人一人が経営者であるかのように、コスパに監視の目を光らせる時代なのだ。授業を切ったことを仰々しく友達の前で発表するさまは、あたかも株主総会で事業の打ち切りを伝える経営者のようだ。話していることの軽重にかなりの差があるが。
 第1章では、SNSを介して他者の目に怯える若者の言が語られた。一般人ですら、言動を監視され、炎上を恐れる。まるで一挙手一投足が株価に影響するがゆえに注目される経営者のようではなかろうか。実際のところ、若者は自分の「株価」を異常に気にしている。株価を下げないように生きて、たまに粉飾決算をする。
 「コンプラ」も同様である。コンプライアンスの略語。昨今ますます浸透すると同時に、その息苦しさを訴える声も小さくはない。2022年のM-1グランプリで、毒舌を武器とするウエストランドさんが優勝したのも、反動を期待する世相の反映とはいえよう。
 コンプライアンスは、本来は企業が守るものである。もちろん結果的には企業を構成する従業員も遵守しないといけないのだけど、企業の舞台でのみ求められるもののはずが、若者の私生活にまで侵食して、コンプラ遵守を求める。まるでわれわれ個人が、経営者であるかのような、張り詰めた社会。
 しかし当たり前だが、われわれと経営者は異なっている。経営者は多くの責任を負い、激務や大任を負い、その代わり大きな報酬を得ている。われわれは別に何のリターンもないわりに、経営者のごときリスクを負った、大きな判断を迫られているかのような生き方をしてしまっている。それこそ経営者のように、わずかな失敗も許されない、ストレスフルな日々を送っている。
(pp.108-110)

 ガクチカ(学生時代に力を入れたことを意味する就活用語)、コミュ力、インターン、自己実現、コンプラ、ポリコレ等々、中身、実質をともなわない言葉(「唯言」)が強迫的に作用し、それらの言葉を中心に現実が社会的に構成されていく。

 しかし、酷い。酷すぎる。こんな社会に、言葉しかない薄い世界に誰がしたのだろう。Z世代だろうか。
 違う。オトナだ。オトナがやってるのを、子どもが真似してるだけなのだ。政治家やタレントを、見てみたらいい。言葉しかない。守られた公約など見たことがない。言葉は多々飛び交う中で、交わされた言葉がどれだけ現実に還元され、実になっているのだろうか。それらしい言葉だけが飛び交い、中身は何もない。
 もちろんこれは偏見で、悪いとこだけ切り取りすぎている。でも、そう思うのも仕方ないくらい、オトナは言葉を弄することに疑問を持っていない。Z世代が真似するのも当たり前ではないか。そして学生は今日も、ガクチカを作り続ける。
(pp.161-162)

 本書が凡百の世代論に堕していないのは、「Z世代はわれわれの──Z世代以外を含む──社会の構造を写し取った存在であり、写像である」(p.264)という認識にに立脚している点にある。

 現代社会とはいわばZ世代化する社会である(タイトル回収)。時代の最先端を走るトップランナーでありアーリーアダプター(最初期に適応する人)である若者を観察すれば、われわれの置かれた社会構造がより鮮明に見える。Z世代が、意識・無意識によらず感取し現前化させたものこそ、われわれの生きる社会を表したものなのだ。
(p.265)

 不快にさせないように、不安をいだかせないように、過剰に配慮し合わなければ社会は、とても息苦しい。
 そして、この息苦しさは、Z世代固有のものではない。

 「SNSには美男美女しかいない」とよく言われる。常に見た目を監視され、イケてないといけないけどイタくはないように。はしゃぎすぎてもいけないけど、ノリは悪くないように。上司も、怖い顔をしちゃいけないけど、馴れ馴れしく干渉しすぎないように。必要なときは声かけてほしいけど、要らないときに絡まないように。怒っちゃダメだけど、成長を促すように時々叱って。やりがいのある仕事を任せてほしいけど、負担にはならないように・・・・・・。
 なんかもう、他人に求めすぎだ。自分が損しないように、不快に不安にならないように、その種が他人から一切排除されていることを求める。だから、人間は満点じゃないといけない。自分の利益のために他人の不快・不安の種を追及し、満点を求める発想。これを満点人間志向と呼ぼう。Z世代化する社会がはらむ大きな病理だ。
満点人間志向は、日本ではあまり指摘されていない傾向に思える。しかしお隣の韓国では「六角形シンドロームの罠」みたいな表現で、社会問題として扱われているらしい(まったく余談だが、韓国はZ世代に大人気だ)。六角形シンドロームは、人間の能力図を表す図が六角形で表現されていることが多いのが語源である。コーンフレークの箱の裏に描いてあるやつみたいに、どの指標も満点で満ち満ちていることを人間に求める。でもそんなのどだい無理な話なのである。社会的完璧主義は、日本でも省察されるべきであろう。
(p.284)

 最後に紹介されているこの事例には、思わず笑ってしまった。

 授業中おしゃべりしていたら、教員に告げ口したやつがいた(学校上がりの若者にとって、告げ口は死刑に相当する大罪である)。教員も偉そうに説教を垂れてくる。うわ、アンチじゃねーか。
 令和の時代に、他人に対して怒るヤツは可哀想なヤツだ。たぶん何かの病気である。とはいえ、そういうアンチに屈するのも悔しい。言われっぱなしはキャラじゃない、Z倍にして返さないといけない(Z倍返しだ)。不逞の輩には、ちゃんとアンチ-アンチするべきである。なぜなら、推しもそうしていたからだ。
 私は最強。一番星の生まれ変わりの陽キャだ。スクールカーストも上位。だから、私は味方が1人でもいてくれたら、アンチが100人いても気にしません笑。
 というか、そもそも授業アンケートに答える時間、必要なくない?意味ある?私たちは授業を受けに来てるんですよ?授業料払ってるんだから、授業してもらえませんか?それって授業妨害じゃないですか?
 (ちなみに、本当にアンチが100人いたとしたら、絶対に気にする。というか、正気ではいられないだろう。)
(p.309)

 論点が多岐にわたり、話題があっちこっちにワープする・・・そこに自己突っ込みがちょこちょこ入ってくるはで、読みにくいところもあるが、なかなかにおもしろい内容であった。

目次
第1章 Z世代の住処―SNS、学校、友達、若者世界のリアリティ
第2章 消費の主役・Z世代―経営者化する社会
第3章 唯言が駆動する非倫理的ビジネス―開かれたネットワークの閉じられたコミュニティ
第4章 劇的な成長神話―モバイルプランナーのアナザーストーリー
第5章 消えるブラック、消えない不安―当たりガチャを求めて
第6章 不安と唯言のはてに―われわれに何ができるのか


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