叢書、『日本のフェミニズム』は、のちに、『新編 日本のフェミニズム』として改版され、現在も入手可能である。
女性が、もっぱら男性の性欲を解発する記号として客体化、商品化される問題も、介護、看護労働をはじめとする対人サービス労働が安く買い叩かれている問題も、現在もなお解消されていない。
遅々として解消が進まない女性差別の帰結が、非婚化、超少子化であろうが、生命と心身の再生産労働を、市場の外部にある家族、とくに女性の無償労働に担わせてきたことのツケが一気に回ってきた感がある。
このアンソロジーには、まだ未来に希望をもてた時代の、荒削りながら、自らの心身を道具化し搾取する家父長制社会に抗う女たちの思いが多数収められている。
井上輝子・上野千鶴子・江原由美子編,1994,リブとフェミニズム(日本のフェミニズム1),岩波書店.(12.21.24)
日本の女性たちが,自らの経験を自らの言葉でフェミニズムの思想・表現へと熟成させた70年代以降のエッセイ,論文,レポートなどの蓄積を,最新の視点からテーマ別に編集したアンソロジー.各巻に明快な解説を付す.
田中美津の檄文が胸を打つ。
さて、この性否定の意識構造が、女に対してより抑圧の度を深めるとはどういうことか?
女が女であることによって、抑圧され、女であることによって支配の体制の加担者としてあるその構造はどのようなものなのか?
それは又、男と女が性を通じてどのように体制に組み込まれているかを明らかにすることでもある。端的に云ってそれは、男の意識を媒介に女の性を抑圧することによって男の性を管理していくという構造としてある。
媒介とされる男の意識とは、やさしさと、やさしさの肉体的表現としてのSEXの両方をあわせもつ、総体の〈女〉として、女をとらえない意識である。男にとって女とは、母性のやさしさ=母か、性欲処理機=便所か、という二つのイメージに分かれる存在としてある。
全体である対象(女)のふたつの側面──母性(やさしさ)、異性(SEX)とに抽象化してそれぞれに相反する感情を割りあてる男の分離した意識は、単婚が娼婦制、奴隷制と併行してあったという人類史を背景に、一夫一妻制度が性を卑しめ、性と精神を分離させる意識構造によって支えられていること、さらにその意識構造下に於ける私有的な母子関係が、一方において母性のやさしさに対する執着をうみ、もう一方でそういう母親が父親とオトコとオンナの関係をもつことで自分が生れたという事実に対する嫌悪を生みだすという、女に対する背反する二重の意識を植えつけるのだ。
(ぐるーぷ・闘う女「便所からの解放」、p.41)
私有制経済体制のもとでは、女は生れながらひとつの私有財産を持っている。バージンという私有財産を!!バージンを守りぬくことは、実は自分をモノとして、商品として堅持しようとすることなのだ。自己に、他者に、できうるかぎりの誠実さと率直さをもって向いあおうとするならば、自らの生物としての自然な欲求、やさしさの肉体的表現としてのSEXを回避しては生きられないはずなのに。さらに女の性を抑圧することによって男の性はどのようなものになり果てているかを述べるならば、女の性が生理欲求を処理する〈便所〉ならば男の性は〈ウンコ〉だということだ。
(ぐるーぷ・闘う女「便所からの解放」、pp.43-44)
井上輝子・上野千鶴子・江原由美子編,1994,権力と労働(日本のフェミニズム4),岩波書店.(12.21.24)
女性の政治・経済参画は先進国中で依然低く、男女賃金格差も突出する日本。女をあらかじめ劣位に置く権力―とくに雇用や社会政策など生活を決定する多様な権力の分析は、問題の発見と理論化、実証分析の蓄積へと、フェミニズムの運動/研究の両方の実践が切り開いた。その軌跡と現在の位置を指し示す格好の文献を紹介。
目次
女性の抵抗が世界を持続可能にする
1 労働と家父長制
2 公権力の作動する場
3 「女縁‐自治‐政治」の未来図
増補編1 ジェンダー雇用格差
増補編2 ジェンダー平等政策
増補編3 陥穽と抵抗