筆者は、日本の戦後教育を、「垂直的序列化」と「水平的画一化」の過剰と、「水平的多様化」の過少の流れとして位置づける。
「垂直的序列化」とは「学力テスト」の成績で一元的に上下関係が定められることをさし、経済の低成長期になると、「意欲」、「コミュニケーション能力」、「協調性」、「課題解決能力」といった、筆者のいう、「ハイパー・メリトクラシー」による序列化も進行することになる。「人間力偏差値」がいくつとか、悪夢のような世界だが、「学習eポートフォリオ」とかが真面目に高等教育に導入されてきていることを思うと、暗然としてしまう。
一方、「水平的画一化」とは、端的には、「教育勅語」に代表される、天皇制儒教イデオロギーに児童、生徒、学生を馴致させることであり、それに加えて、過度な校則を課すなどの「厳格化」、素手で便器を磨かせるなどの「感情化」が付け加わる。
児童、生徒、学生の「態度」、「資質」を点数化し、それを将来への進路に接続していくなど、「水平的多様化」の理想からすると、唾棄すべきものである。しかし、そうしたことが、たとえば、大学の推薦入試などで、すでに実践されている。人間の「良心の自由」までをも侵害するような教育が、息苦しく、生きづらく、閉塞した社会を強化している現実を、わたしたちは直視していくべきである。
なぜ日本社会はこんなにも息苦しいのか。その原因は教育をめぐる磁場にあった。教育が私たちに求めてきたのは、学歴なのか、「生きる力」なのか、それとも「人間力」なのか―能力・資質・態度という言葉に注目し、戦前から現在までの日本の教育言説を分析することで、格差と不安に満ちた社会構造から脱却する道筋を示す。
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