「国内植民地」としての「フクシマ・オキナワ」、その問題の構図をざくっと呈示する。慰撫、賞賛しつつ「犠牲」を強いるシステムからの脱却へのシナリオをどう描くか、実現可能なNIABYへの方途を明示する続作を期待したい。
目次
第1部 福島
原発という犠牲のシステム
犠牲のシステムとしての原発、再論
原発事故と震災の思想論
第2部 沖縄
「植民地」としての沖縄
沖縄に照射される福島
福島の原発事故は、原発推進政策に潜む「犠牲」のありかを暴露し、沖縄の普天間基地問題は、日米安保体制における「犠牲」のありかを示した。もはや誰も「知らなかった」とは言えない。沖縄も福島も、中央政治の大問題となり、「国民的」規模で可視化されたのだから―。経済成長や安全保障といった共同体全体の利益のために、誰かを「犠牲」にするシステムは正当化できるのか?福島第一原発事故で警戒区域となった富岡町などで幼少期を過ごした哲学者による、緊急書き下ろし。
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