諸富祥彦,2005,生きるのがつらい。──「一億総うつ時代」の心理学,平凡社.(12.15.24)
この国の年間自殺者はもう何年も三万人を超えている。誰もが自分は「軽うつ」ではないかと疑いはじめている。この時代には確かに、私たちの生きる意欲を奪う何かがある。生きるのがつらい。もう、前向きになんか生きられない。そんな閉塞感が漂う世の中で、自分の苦しみにうまく対処し、身近な人と支えあいながら生きていくには、どうすればいいのか。反ポジティブシンキングの思想で語る、「一億総うつ時代」の心の処方箋。
生きづらさをもたらす社会的経済的要因を考えずに、「気はもちよう」を地で行くだけの心理操作はいただけないが、諸富さんが推奨する「脱同一化」は、たしかに有効な方法であるように思う。
生きていくためには、いろいろなスキルが必要です。会話のスキル、プレゼンテーションのスキル・・・・・・。
しかし、より重要なのは小手先のスキルを超えた、生きる上での基本的な姿勢や態度です。これを私たちは、スキルを超えたスキルという意味で「メタスキル」と呼んでいます
「どんな自分もただそのまま認める」というのは、さまざまなメタスキルの中でもとりわけ重要なメタスキルだと私は思います。
これは単なるポジティブシンキングとは異なります。○か×かの○、イエスかノーかのイエスではありません。
つらい自分、死にたい自分、他人を呪いたい自分、嫉妬してしまう自分・・・・・・いろいろな自分が自分の内側に姿を現したとき、そのいずれに対しても一つずつ、「私はあなたがそこにいるのを知っていますよ。そしてあなたの声を聴いていますよ」と、ただそのまま「認めて」いく。何が出てきても「あぁ、こんな自分が出てきたなあ」と観照していく。つまり、どんな自分とも少し距離をとりながら(脱同一化)、その一つ一つをただそのまま「認めていく」のです。
この観照する自分の存在を、プロセス指向心理学では「フェアウィットネス」(公平な観察者)と呼んでいます。自分の中でどんな感情が生まれてきても、それを俯瞰するような立場で見つめるのです。そうした視点(俯瞰し、認める自分)を自分の中に育んでいくことで、自分の内側のどんな感情にも「間がとれる」ようになってきます。そして「間がとれる」と、自分の中からジワーッと生きる力がわいてくるのを感じることができるはずです。
(pp.151-152)
たとえば、自分の内側に憎しみの感情がわいてきたとしましょう。「こんにちは、憎しみさん。今日もまた出てきたんですね。私は、あなたがそこにいるのを知っていますよ。そしてあなたの声を聴いていますよ」──こんな具合にあいさつをしていくのです。
日本人はふだんの人間関係でもそこまで大仰なあいさつはしませんから、内側の気持ちに対しても、もっとソフトなあいさつを工夫したほうがうまくいくことが少なくないようです。ちょっと目配せする程度でもいいかもしれません。自分の中に生まれた感情の一つ一つを何か意思を持っているものであるかのようにみなして、声をかけていくのです。
すると、「私」と「私のうちなる感じ」とのあいだに距離がとれてきます。これを、専門用語では「脱同一化(disidentification)」と言います。脱同一化によって、自分と自分の感情とのあいだに距離(間)がとれてくるのです(一〇一ページの図5参照)。
ひたすら「あいつが憎い」と思っているうちは、憎しみに支配されたままです。
しかし、「私の中にこうした憎しみの気持ちがあるんだな」と認め、それを観照的な態度で眺めることで脱同一化することができれば、憎しみの気持ちも少し小さくなっていくことでしょう。
「私の中の憎しみさん。私は、あなたがそこにいるのを知っていますよ」と、あたかも憎しみという人格がそこにいるかのように声をかけ、認めていくのです。
すると、「憎しみを抱くお前は不寛容だ。どうして許せないのか。愚かな人間だ」といったうちなる批判者が出てきて、自分を責めはじめるかもしれません。こんなときには、その「うちなる批判者」もまた、それをただそのまま認めていくのです。同じように声をかけてみるといいでしょう。
これをくり返し行っていると、自分の内側のあらゆる感情と距離がとれるようになってきます。そしてこのようにして認めてもらえると、つらい気持ちや怒りといったネガティブな感情は徐々に小さくなっていきます。もちろん、完全に消え去りはしませんが、こちらがそれに振り回されない程度に小さくなっていくことが多いのです。
否定的な気持ちを乗り越えようとか、それを打ち消そう、ポジティブな気持ちに変えていこうと自分に無理強いしてしまうと、ネガティブな感情はいっそう強くなり、かえってつらい状況に追い込まれていってしまいます。
(pp.155-156)
「べてるの家」で実践されている、統合失調症当事者が、自らのユニークな妄想、幻覚、幻聴を開示し合う手法も、自らの認知なり感覚なりを外在化し、それとなんとか折り合いをつけていく、「脱同一化」の試みなのだろう。
目次
第1章 みんなつらさを抱えて生きている
第2章 つらさをつらさとして受けとめる
第3章 弱音を吐くのも生きる技術
第4章 ありのままの“今の自分”を受け入れる
第5章 身近な人がつらいとき
第6章 「助けあい、弱音を吐きあう関係づくり」の大切さ
諸富祥彦,2009,生きづらい時代の幸福論──9人の偉大な心理学者の教え,角川書店.(12.15.24)
クランボルツのハップンスタンス理論、ミンデルのプロセス指向心理学、アドラー心理学が教えてくれる「人生の基本」、マズローの「自己実現」論、フランクルの説く「幸福のパラドックス」、ケン・ウィルバーのインテグラル心理学、ジェンドリンのフォーカシングと「脱同一化」の知恵など、“究極の幸福”との出会い方。9人の偉大な心理学者の成果を凝縮。
脱同一化による「絶対幸福」の実現は、自死抑止のためにもきわめて有効だ。
お金がない。仕事がない。友人もできない。恋人はいないし、結婚なんておぼつかない。親も冷たい。自分でも自分のことが、才能があるとも魅力があるとも思えない。
あぁさみしい。いくら待っても、誰からも、電話もこなければ、メールもこない。たまに来たと思ったら、迷惑メールだけ。こちらから電話できる相手も見つからない。
あぁさみしい。圧倒的に孤独だ。こんな、ただただ孤独な状態のまま、日本人の平均寿命まであと四十年も生きていかなくてはならないと思うと、たまらなくなる・・・・・・。いっそ、死んでしまえればどんなに楽なことか・・・・・・。
こんな状態にもしあなたがなったとすれば、それでも幸せになることができると思われるでしょうか。
普通は無理だと考えるでしょう。「死んだほうがまし」とさえ思う状態なのですから。
けれども、もし、こんな状態になっても、それでもなお「私は、何とか、幸せ」と思える状態にふみとどまることができるとすればどんな不幸に見舞われても、「私は幸福」と言えるとするならば──それこそ、「最強の幸福=絶対幸福」と言えるのではないでしょうか。
では、そんなことがいったい、可能なのでしょうか。
私は、可能だと思います。その理由は、根本的には、「私」というものの性質にあります。
哲学的な議論にならないように注意して言うと、「私」は、「死んでしまいたい気持ち」を「持つ」ことはあっても(あるいは「死んでしまいたい」気持ちに「圧倒されたり」、「衝き動かされたり」「押しつぶされそうになったり」することはあったとしても)、「私そのもの」が「死んでしまいたくなる」ことはありえません。「私」は、感情ではありません。どこまでいっても「私という主体」です。「感情そのもの」にはなりえないのです。ここに着眼したのが、「脱同一化」という最強の心理技法です。
「脱同一化」というのは、「私」が「死にたい気持ち」や「圧倒的な孤独感」に押しつぶされ、覆い尽くされ、翻弄されている状態、すなわち、「私」がそういった否定的な気持ちと「同一化」してしまっている状態から「私」を引き離して、否定的な気持ちから距離をとる方法です。さまざまな悩み苦しみ、否定的な気持ちと「一定の距離」をとり続ける「こころの姿勢」を保つことです。
もっと具体的に説明すると、自分の心の内側から、死にたいとか、つらいとか、もうだめだとか、あいつを殺してやりたいとか、一生憎んでやるとか・・・・・・そんな否定的な気持ちがどれほど出てきたとしても、ただそれを「あぁ、こんな気持ち、ここにあるなぁ」「こういった気持ち、また、出てきているなぁ」と、「ただそのまま認めて、眺めていく」のです。
何が出てきても認める。ただそのまま認めて、眺める。解釈したり、いじくったり、考えたりせずに、たとえば死にたい気持ちがわいてきたら、「あぁ、死にたい気持ち、ここにあるなぁ」と、なにかものごとを観察するかのような姿勢で、ただその気持ちの存在を認めて、眺めていく。あるいは、どうしようもなくさみしい気持ちがわいてきたら、また「あぁ、さみしい気持ち、ここにあるなぁ」と認め、眺めていく。ただひたすら、こうした作業を続けていく。それだけの方法です。
(pp.128-130)
諸富さんは、三度も希死念慮にとらわれたことがあるそうで、そうしたことが皆無のわたしはそうとうの極楽とんぼなのだろうな。
目次
第1章 こうすればあなたも「幸福」になれる―「幸運体質」に生まれ変わる心理学
偶然をチャンスに変える生き方―クランボルツのハップンスタンス理論
「人生の方向感覚」をつかみ、シンクロニシティをいかせ―ミンデルのプロセス指向心理学
「仕事」「友情」「結婚」が幸福三本柱―アドラー心理学が教えてくれる「人生の基本」
第2章 自己成長の結果、はじめて到達できる「高レベルの精神的幸福」
「精神的な成長をなしとげた人間」の特徴―マズローの「自己実現」論
幸福は求めれば求めるほど逃げていく―フランクルの説く「幸福のパラドックス」
世界はただ、このままで完璧なのだ!―ケン・ウィルバーのインテグラル心理学
第3章 どんな苦しい時でも、手放さずにすむ「ギリギリの幸福」
私はここ、苦しみはそこ―ジェンドリンのフォーカシングと「脱同一化」の知恵
人生のさまざまな問題を他人や過去のせいにせず、自分自身で引き受け、「自己成長の機会」とせよ―F.パールズのゲシュタルトセラピー
ただ、心を込めて、「傍らにいる」―C・R・ロジャーズのカウンセリングの極意
第4章 何があってもなくても、しあわせ!「絶対幸福」の法則
「私の人生」で語る「本音の幸福論」
「絶対幸福」のための、人生の五大法則
おわりに それでも幸福になれないあなたに贈る「私が人生で一番不幸だった時のおはなし」