見出し画像

本と音楽とねこと

だめ連の資本主義よりたのしく生きる

神長恒一・ペペ長谷川,2024,だめ連の資本主義よりたのしく生きる,現代書館.(4.18.24)

 1990年代に、「働かない」、「家族をつくらない」──それでも自由に楽しく生きていくことをモットーに大きな共感を生んだ「だめ連」。
 本書は、そんな「だめ連」の、30年間の活動の軌跡を、主に、神長さんとペペさんの対談というかたちでとりまとめたものである。

 ちなみに、ぺぺさんは、昨年、胆管がんで亡くなっている。
 本書には、「だめ連」の中心にいたぺぺさんを追悼し、ひとまずこれまでの活動を総括する、そんな意図もあるのだろう。
 470ページにおよぶ大作であり、話題の書だ。

<書評>『だめ連の資本主義よりたのしく生きる』神長恒一・ペペ長谷川 著(上野千鶴子さん)

 まず、神長さんが、冒頭で、「だめ連」のエートスと言っても良い考え方を語っているので、参照してみたい。

神長 これ、だめ連的なテーマでもあるんだけど、競争社会っていうのは、「勝ち組・負け組プレッシャー問題」っていうのがあるじゃないですか。
 けっこう大きいっていうか、要するにカネ持ちが偉いとかっていう社会になっちゃってるでしょ。勝手に競争に組み込まれて、貧乏な人は一方的に負け組ってされるっていう。「だめな人」っていうふうにされて、「おれはカネ稼げないだめなやつだ」ってプレッシャーに潰されてさ、うつになっちゃったり自殺しちゃったり、そういう人がいっぱいいるわけですよ。
 これは非常に罪深い。カネを稼げるか稼げないかとか、資本主義的な意味で役に立てるかどうかってことは本当は重要なことではない。だから、カネ稼げないからって、それ、だめな人でもなんでもない。それははっきり言っておきたい。だめな人でもなんでもないんだよ。そもそも勝ち組が本当にいいのかってね。外から見ると、いい家に住んでて、いい車を置いてあってってなるかもしんないけど、毎日つまらない仕事して、大変な思いして働いてる生活かもしんないしね。
 そもそもカネ持ちになって高級車とかブランド品買ったってくだらないじゃない、そんなの。
ぺぺ やったことないからわかんない(笑)。
神長 要するに勝ち組っていうのもカネの奴隷、優越感の奴隷なんですよ。この資本主義社会に適応すればするほど奴隷と化していく。勝ち組って言われて、優越感とかにひたって喜んでさ、また働いちゃうわけでしょ。
 勝ち組になるにはさ、ある種、やさしい気持ちとかを捨ててく作業ってのがあるじゃない。競争社会で負けてった人のことを、「あれ、だめなやつだから」とか思って、ちょっと下に見るような。そういう冷たい性格になっていく人のほうが資本主義社会ではのさばっていくわけですよ。だから貧乏な人がだめな人でもなんでもなくて、本当にだめな人っていうのはむしろ勝ち組で搾取している側の人間ね。欲望が貧困なんです。
 そういうキビしい資本主義の世界って、多くの人がカネの奴隷になっちゃってるっていうね。SFの世界のような状況だと思う。でも、これが当たり前って思わされてるわけ。
 ここで何が重要かって、やっぱ「心の叫び」が重要。その人の心の叫びが一番大切っていうね、うん。
 やっぱりおれなんかにしたら、やりたくもない仕事、良くないような仕事をやって、言いたいことも言えない、で、自分の気持ちも捨てて生きていくっていうのはイヤだね。それがおれの心の叫びですよ。うん。当たり前のことですよ。
 資本主義っていうシステムでみんな生きてるような気になってるかもしんないけど、むしろみんな殺されてるっていうね。だって実際に競争に負けてった人は死んでってるわけだし。ことばも気持ちも奪われてっていうのは、殺されてるのと同じ状態。
 資本主義というシステムのために、人間が搾取されてる。心を奪われてる。資本主義と資本家たちに搾取されるために生きてんじゃないよ、生まれてきたんじゃないよ。これははっきりと言っておきたい。
 じゃあどうすればいいのかっていうときにね、まずは「カネの奴隷のカネ儲け人間たちの悪事に対して闘っていくこと」。それと同時に重要なのは、「労働を減らしていくこと」。
 やっぱこんなに長く働かされてたら、疲れ果ててものなんか考えれなくなっちゃう。それと、会社で長い期間働いてたら、知らず知らずのうちにその会社に染まっていってしまう。たかだか生涯賃金何億円かのために自分を売るのはもったいない。それだったら貧乏でも自分の自由な時間を生きてったほうがいい。自分を取り戻そう。
 まず労働を減らしていくっていうね、そのためには消費を減らしていけばいいわけで、そんなにモノをいっぱい買わなくてもいいし、高級品なんて買ってハクつけしなくていい。自然環境も破壊していくわけだから、モノなんて少ないほうがいい。そういう労働と消費ばっかりの世界から抜けていくのは、自分にとってもほかの生きものにとってもいいこと。勝ち組でも負け組でもない、抜け組になる。
ペペ ケン(友だち)の弟がポルシェを買いましたよ。
神長 それ、だめだね(笑)。ポルシェなんか買わなくてさ、その分労働時間を削ればいいんだよ。みんな簡単に消費しちゃってるけど、消費すればするほどその分働かされるんだから、奴隷みたいにね。奴隷になる時間を減らすには消費しなきゃいいんだから。消費こそ労働っていうね。だいたい消費と労働って似てるんだよね。
 例えば最近、中国で「寝そべり族」[中国の若者を中心とした競争社会に対するボイコット運動。二〇二〇年頃に登場した]っていう人たちが話題になってる。中国も資本主義化が激しいじゃないですか。いっぱい働いていっぱい消費するカネ持ちに憧れるみたいな人生はやってられないっつって、あんまり働かないし消費もしないみたいな、そういう「降りる人」っていうのが出てきてるんだけど、これも当然だと思うんだよね。納得がいく動きっていうかさ。もうバカバカしいじゃん、そんなの。
 やっぱりいまの資本主義社会とは違ったオルタナティブな文化や生き方をね、一人ひとりがそれぞれ考えて創っていくっていうことが重要。カネ中心とは違う人生を生きていく方法を模索していくほうが楽しいでしょ。はっきりした答えないけど、はっきりしてないからこそ面白いっていうか、そこをみんなで考えてあれやこれやとやっていく。そうね、そうやって生きていくところにこそ、希望があるよ。
(pp.20-23)

 金持ちになりたい、権力がほしい、異性(同性)にモテたいというのは、人によっては、止みがたい渇望なのだろうが、一歩引いてみると、楽しく充溢した生をおくること自体に比べれば、いずれもくだらないことだ。

 わたしは、超高級車やロレックスの時計を見ても、なにも感じないし、それどころか、これ見よがしの消費(ヴェブレンの言うConspicuous Consumption)をしている人には、「もっと有用な──他者の幸福に貢献するカネの使い方があろうのにこころがさもしい人なんだろうだな」と思ってしまう。
 これは、「だめ連」が結成される以前から一貫している。

 学歴や職業についても、それで人をどうこう判断するとか、態度を変えるとかありえなかったし、まして、学歴や職業を自慢する人がいれば、ひそかに冷笑、失笑し、心底から軽蔑してきた。

 だから、神長さんの主張は、至極まっとうなものであると思うし、まっとうな心情に即した人生をおくってきた神長さんには、尊敬の念しかない。

 巻末の座談会には、酒井隆史さん、栗原康さんも参加しており、これがなかなか読ませる。

神長 デヴィッド・グレーバーの『ブルシット・ジョブ──クソどうでもいい仕事の理論』でもあったかな。よく、ケインズ(経済学者)の話が出てくるじゃないですか。
酒井 「テクノロジーが発達した百年後には、労働は週三日で一日五時間でもいい」という話ね。ケインズの指し示した「百年後」というのがおよそ現在にあたるわけなんだけど、ケインズからしたら本当はそれもいらないんだよ。人間は労働に慣れちゃってるから、少しくらい働かないと逆にイカれちゃうだろうと。
栗原 逆に不安になると。
酒井 だからとりあえず働かせとけと。でも、それでも週三日で一日五時間。
神長 おれなんか、いまそのくらいなんだけど。
一同 爆笑
神長 まあそれはいいとして、なんでケインズが言っていたようなことになってないんですか。
酒井 ひとつはグレーバーの言うように、みんなを労働に緊縛したいから。
 やっぱり資本主義って経済的な装置ではなく支配の装置なんだよ。これはもうずっと前からマルクスも言ってたことだけど、資本主義というのは、経済的合理主義の世界というよりは、人から生きる選択肢をどんどん奪っていって、ボスの言うことを聞くしかないようなからだにしてしまう、そういう従属させていくというシステム。だから、支配層はなんとしても死守するよね。資本主義が生産性とか成長とかをネグレクトしてでも従属だけはさせたいというのがあるからさ。それは大きいんじゃない。だから再配分させない。ではどうするかといったら、ブルシット・ジョブを作って仕事をさせる。
 例えば最近でも、雇用・労働対策とか打ち出して仲介業者にばらまくみたいな話があるよね。これなんか典型的で、スキームを作って労働生産性を上昇させるべくトレーニングの期間をもうけるとかって予算をつける。それを、オリンピックのときの電通とかパソナみたいな企業にばらまくと。そうやってどうでもいい仕事をでっち上げてシステムに縛りつけようとする。必要とする人や困っている人に直接給付すればいいのにさ。本来はばらまいてもぜんぜんいいわけで、なんの問題もないと思うんだけど、それだとみんなが路上にたむろしたり遊び回るだろうと。つまり、彼らにとっては遊んでるような人たちっていうのは脅威なんだよね。
神長 いじめも入ってますよね。
酒井 サディスティックだよね。
神長 やっぱりみんなが楽しそうにしているのは気にくわないんですかね。
酒井 神長君は昔からそう言ってるよね。それは本当にそのとおり。楽しそうにしてるのがいやなんだよ。
栗原 また、ちょっと働いてつらいって思ってる人が楽しそうにしている人たちを叩くんですよね。たいして稼いでないし搾取されてるだけじゃんみたいな人が、逆にそうなってくる。
 働くために働いているようなかんじっていうか。酒井さんが言ったように、本当に統治のためですよ。奴隷制みたいに上に従う身体みたいなものを作るだけみたいなのが延々と続けられてて嫌だなって思う。

 資本主義は、経済の装置ではなく、支配の装置である──これには、目からうろこ、であろう。

 時短、労働時間の短縮による充溢した人生への転換を訴えたのは、ピエール・エリティエ、ミシェル・アグリエッタ等、フランスのレギュラシオン学派の人々であったが、そうした主張が展開されたのも、オールタナティブ・ライフスタイルへの模索がなされたのも、1990年代であった。

 時短については、ワークライフバランスであるとか、ディーセントワークであるとか、これらのコンセプトに現在にも引き継がれている課題であるが、政府の無策により、日本の、とくに男性正社員が異常に長い労働時間に拘束されていることは、言うまでもない。

 オールタナティブ・ライフスタイルの議論は、1970年代、米国の社会学研究にさかのぼることができる。

Benjamin D. Zablocki and Rosabeth Moss Kanter,The Differentiation of Life-Styles,Annual Review of Sociology Vol. 2 (1976), pp. 269-298

 ちょうど同時期に、スタンフォード大学が、Values and Lifestylesという、サイコグラフィック・セグメンテーションの考え方にもとづく、マーケティングのモデルを提起した。

VALS™ market research

 サイコグラフィック・セグメンテーションとは、消費者の価値観、心理傾向から、ダイレクトに、消費者の嗜好に訴求すべくターゲットを把握する手法であり、これには、デモグラフィック・セグメンテーション──性別、年齢、収入・資産、社会経済的地位・職業による訴求対象の把握が困難になったという背景がある。

 要するに、高収入、高学歴で威信スコアが高い職業に就いている者が、必ずしも高級車や高級時計、ハイソなブランド品を好むとは限らす、むしろ、それとは逆の消費選好──自発的簡素(Voluntary Simplicity)を示す者が多いということがわかり、デモグラフィックからサイコグラフィックへという、マーケティングの変容が生じたわけである。
Elgin, Duane,1981,Voluntary Simplicity,John Brockman Associates Inc.(星川淳訳,『ボランタリー・シンプリシティ[自発的簡素]-人と社会の再生を促すエコロジカルな生き方』,1987,TBSブリタニカ)

 興味深いことに、ロナルド・イングルハートが、西欧諸国で、物質主義的価値観から脱物質主義的価値観への大変動が起こっていることを、大規模調査により明らかにしたのも、1970年代後半のことであった。
The Silent Revolution: Changing Values and Political Styles Among Western Publics, Princeton University Press, 1977.(三宅一郎ほか訳,『静かなる革命: 政治意識と行動様式の変化』、1978,東洋経済新報社)

World Values Survey

 新興工業国のトップランナーであった中国でも、過酷なラットレースから降りる、「寝そべり族」が出現していることは、たいへん興味深い事態である。

「競争、疲れた……」中国・寝そべり族出現について、日本の「だめ連」に聞く

 「地球沸騰」の時代が到来し、長時間労働を前提にした、大量消費、大量廃棄のシステムを終わらせることが、喫緊の課題となっているいま、「だめ連」の理念と活動は、とくにこれから長い人生をおくらなければいけない若者に、大きな気付きを与えてくれるものであろう。

「失われた30年」、働かずに遊んでたら一周回ってトップランナーになっていた「だめ連」

行き過ぎた資本主義と競争社会。
格差、貧困、生きづらさ、うつ、孤独……地球温暖化。
このどんづまった世の中で、資本主義よりたのしい社会を
夢見て生きていくアナーキーな実践の書。
働かない、笑う、踊る、闘う、
寝そべる、集う、語りあう、助けあう。
経済成長がなくても、
人は豊かに生きられる!!!
【だめ連】とは……
1992年、就職した会社を辞め無職だった神長恒一と、大学に留年中だったペペ長谷川が結成。
生産性というモノサシで人がはかられる資本主義社会を問題とし、社会の変革とオルタナティブな生き方を提唱。
以降、おもに路上を舞台に交流・トーク・イベント・諸活動路線で活動。「どんな人生、社会がいいのか?」を人びとと語りあいながら、労働と消費中心でない生き方を実践。ゲリラガーデンを行ったり、サウンドデモなどさまざまなアクティビズムにも参加。
アナキズム的な生を生きるポスト資本主義の脱成長的なムーブメント。
著書に『だめ!』(河出書房新社、1999年)、『だめ連宣言』(作品社、1999年)、『だめ連の働かないで生きるには?!』(筑摩書房、2000年)。

どんづまった世の中で、資本主義よりたのしい人生と世界を生きていくアナーキーな実践。野草、集住、デモ、祭り、焚き火、その他諸々。だめ連30年のオルタナティブ・ライフをトーク!!!!!

目次
1 生きる、暮らす
仕事と人生
食のよろこびを取り戻す
住む、暮らす
2 遊ぶ
交流・トーク
表現をする
自然の中で遊ぶ
旅と合宿
お祭りとレイヴ
3 アクティビズム
デモ
さまざまなアクション
オルタナティブ・スペース
イベント
インディーズメディア
4 交流・トーク
だめ連ラジオ「熱くレヴォリューション!」50回記念イベント だめと思われたくないプレッシャーと優越感からの解放!
大座談会…孤立と居場所、その他諸問題をめぐって;鼎談1 酒井隆史+栗原康+神長恒一―資本主義の外への想像力と生の躍動
鼎談2 雨宮処凛+松本哉+神長恒一―好き勝手にたのしく生きる!


ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事