19世紀半ば、ハンフリー・ノイズという宗教家によって設立された「オナイダ・コミュニティ」。そこでは、私有財産は否定され、特定の男女の性愛、親子の情愛は禁止された。コミュニティの幹部、とくにノイズが定めた相手との性交しか許されず(男性は生殖と結びつく射精を禁じられた=「メイル・コンティネンス」)、ノイズらが「優秀」と認める男女のみが子どもをもつ(親子の結びつきは否定されていたので子どもはコミュニティ全体で養育された)「優性生殖」が行われた。
これを、排他的な一夫一婦制度を否定し、子どもが親の恣意的監督下におかれずコミュニティの子として養育されるユートピアとして評価することはできない。なぜなら、「千年王国」の理想社会を創ると喧伝されながら、その実、ノイズら幹部が、10代の少女と最初に性交する権限を行使し(いまでいうと明らかな性的虐待だ)、自分たちがまず父親となる権限を独占したのだから。
マックス・ウェーバーのいう「カリスマの日常化」の果てに、ノイズが、コミュニティの規範に抵触して溺愛する息子を後継者にしようとしたことによる混乱もあって、オナイダ・コミュニティは崩壊する。
三人の女性との「フリー・ラブ」を実践し、その一人から喉を刺された大杉栄と比べて、ノイズという男のなんと卑小であることか。(大杉もみっともないことこのうえなかったが。)
モルモン教、原理主義末日聖徒は、「一夫多妻制」をとるが、合衆国の州政府はその法律婚としての実現を認めていない。しかし、「一夫多妻」だろうが「一妻多夫」だろうが「複合婚」であろうが、法律婚が認められていないだけであり、かりに不特定多数の者と性愛関係をもとうが、それは個人の自由、勝手である。同様に、「近親婚」も当事者同士の合意があれば罰せられるべきではないし、近親間にできた子どもを社会的に認めないのは、悪しき優性思想の現れでしかない。
ただし、特定の男女(もちろん同性や無性でも良い)の関係性が、恋人→夫婦→親友と変わっていき、結果的に長期のパートナーシップを維持するとか、親子間でも同様の関係性の変容と持続が実現するとか、それも個人の選択の結果であるのならば、それはそれで良い。これまた個人の自由だ。
とかなんとか、この奇妙な宗教コミュニティの形成と顛末は、現代の婚姻と家族のありようを相対化する、良い素材となる。
なお、オナイダ・コミュニテイは、世界有数の食器メーカー、オナイダ相互会社となって、いまも存続している。
Oneida
アメリカで生まれた数多くの「ユートピア」の中でもひときわ異彩を放つのが、J・H・ノイズが創立したオナイダ・コミュニティである。「隣人愛」を徹底し、親子の愛や特定男女間の恋愛を厳しく糾弾。教祖ノイズらが信者のセックスをも管理し、やがて優生学的生殖実験を始める。この「理想の共同体」が迎えた結末とは―。
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