見出し画像

本と音楽とねこと

日本人はいつから働きすぎになったのか

礫川全次,2014,日本人はいつから働きすぎになったのか──<勤勉>の誕生,平凡社.(7.20.2020)

 本書は、エティエンヌ・ド・ラ・ボエシの『自発的隷従論』の話からはじまり、アメリカ合衆国の日系自動車工場で、熊沢誠さんの言う「強制された自発性」が労働者に拒否された事例が続く。
 そもそも、いつから、日本人は、「勤勉の精神」をもつようになったのか。有元正雄さん等の研究を参照しつつ、それが、江戸時代中期のころで、その一つの源泉が、浄土真宗にあることを指摘する。17世紀後半から18世紀初頭にかけて北陸でおおいに布教に努めた僧侶、任誓は、「世に定めはなく、人もまた常ではない。だからこそ、骨を砕いて農業に励め」と説いた。(p.95)プロテスタンティズムの予定説と職業使命観になんと近しいことか。北陸の寒村の浄土真宗を奉じる農民たちは、関東の農村に、「入百姓」として、入植する。そこで、19世紀の前半、農村の生産性向上のために農民に「勤勉の精神」を植え付ける活動をしていたのが、二宮尊徳、その人であった。また、明治期以降、北海道の開拓農民として、また、ハワイ、そして、アメリカ大陸のプランテーション労働者として活躍したのも、主として浄土真宗の門徒たちであった。
 明治20年代には、二宮尊徳が「修身」のモデルとして学校教育に取り入れられ、明治30年代には、日本の農村に、あまねく「勤勉の精神」が根付いていく。その後、「お国」と「天皇」に貢献する、富国強兵のための「勤勉の精神」が全国民レベルで定着していったのは、言うまでもない。ここから、「戦後復興から過労死・過労自殺まで」の距離は、戦前と戦後ほど、遠くはない。
 生真面目に、つい働きすぎてしまう、悲しいまでの自らの貧乏根性、その文化的DNAをまざまざと突きとめられた思いがする。重要な知見が数多くおさめられた好著である。

目次
序章 日本人と「自発的隷従」
第1章 日本人はいつから勤勉になったのか
第2章 二宮尊徳「神話」の虚実
第3章 二宮尊徳は人を勤勉にさせられたか
第4章 浄土真宗と「勤労のエートス」
第5章 吉田松陰と福沢諭吉
第6章 明治時代に日本人は変貌した
第7章 なぜ日本人は働きすぎるのか
第8章 産業戦士と「最高度の自発性」
第9章 戦後復興から過労死・過労自殺まで
終章 いかにして「勤勉」を超えるか

常態化した長時間労働、進んで引き受けるサービス残業、苛酷なノルマや理不尽なパワーハラスメントの横行―。過労死・過労自殺への道を、みずから歩みながら、不満を表明することさえしない日本人。そうした「勤勉精神」は、いつ生まれたのか。どういう系譜をたどって、今日にいたったのか。私たちを「勤勉」に駆りたててきたものは何か。そのメカニズムを歴史的に探る。

ランキングに参加中。クリックして応援お願いします!

名前:
コメント:

※文字化け等の原因になりますので顔文字の投稿はお控えください。

コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。

 

※ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

  • Xでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

最新の画像もっと見る

最近の「本」カテゴリーもっと見る

最近の記事
バックナンバー
人気記事