Manabus Column

路地裏から尾根道を行く

六日町

2024-09-13 | Weblog

流れに流れた山旅であったが、先日やっとその八海山に登ってきた。
久々の深夜バスに揺られ、まだ日も登らない時間帯に新潟県の六日町で降ろされた。
花の都大東京からいきなり暗がりの高速バスの駅だから、まるで別世界に来てしまったかの様であった。





そこから歩いて六日町の駅まで行くのだけど、まずは高速道路の施設から出ないといけない。
ズボンのポケットを弄り、小さなライトが入ったケースを探すのだけど、はて?入ってない。
あれ?ザックの中にもない。
ライトの他に充電の為のケーブルも入れていたのだからこれは参った。
もしかしたら、バスの中で仮眠してる間に(全然眠れなかったが)いつの間にかポケットからするりと落ちてしまったのだろう。

全く何やってるんだと自己嫌悪に落ちるけど、こんな場所にいても仕方ないのでとにかく駅まで行かなくてはならない。
まずは、一般道に出るには真っ暗なトンネルを抜けなくてはならない。
バッテリーの関係でスマートフォンは使いたくないがライト機能を作動させなんとかやり切る。
とにかくもう真っ暗でまずはどうやって一般道に出るのかがわからなかった。

何とか一般道に出たは良いが、街灯も無い寂しいところで何とか歩道の白線を頼りに歩く。
Googleマップなどで駅の方向を確認するが、バッテリー節約のために長い時間は使えない。
くそお!なぜポケットになんかケースを入れておいたのかと後悔するばかりである。

しかも、後ろに居た相方が見当たらないのでどうしたのかと思ったら、何と誤って側溝に落ちてしまったらしい。
彼もライト類は持ってきてないので真っ暗闇を歩くしかなかったのだ。
ドブに水が無くてよかったと言っていたが肩のあたりに傷を作っており、全く山に登る前からこんなんで大丈夫なのかよと心配してしまう。



それでやっと六日町の駅に辿り着いた。
この新潟の山旅は3回も計画が流れてしまったので、相方がドブにハマって登れなかった可能性もあったなと今更ながら考えてしまった。
更に、駅に着いてタクシーを呼ぼうとしたら早朝のせいかこれもなかなか電話が通じずに、何社か掛けてやっと呼ぶ事ができたのだ。

登山のスタート地点に立つまでに結構苦労した甲斐あって、たぶん後々印象深い山旅になるだろう。
かなり疲労困憊はしたが登山の方も楽しめて無事終えたのだった。






南魚沼市はさすがに米所で、山の上から魚沼盆地を俯瞰すると黄緑色の田んぼの中に街があるという風景であった。
例えば駅の脇のちょっとした空いたところにも小さな田んぼがあって、隙あれば田んぼがあるという感じである。
ただ、最近の台風の影響か稲穂が倒れているのが心配であった。
これは米の育ちがそこでストップしてしまう為、出荷時の査定に大いに関係してくるのだとか。
昨今の米不足を考えると早く新米が出回らないかなと思う。




下山した後は疲れたからだを引きずり、生姜ラーメンを食べて少し街を散策した。
豪雪地帯らしく、道路は茶色く錆びている箇所があり、信号機は縦型、商店街にはアーケードが設置してある。
それにしても古い街並みで旅情を掻き立てられるが、人口は少ない様であまり人が歩いてなかった。
元気なのは丁度学校帰りの中高生で、その感じは東京と変わらないなあと感じた。





お土産でもと思ったが、駅前のお土産やさんはシャッターが閉まっていて幾分閑散としていた。
そこから1時間に一本とかの2両編成の電車は、意外にも混んでいて座席に座れなかった。
仕方なく1時間も立ちっぱなしで、陽が落ちた窓の風景をぼーっと見ていたのだけど、そこにあるのはほとんど田んぼと山であった。
駅に近づくと、ホームには草が生えていて使われてないホームなのかなとも思ったが、真ん中辺りにはお客が2、3人居た。
完全に陽が暮れると、窓の外は真っ暗になってしまった。

この日は月も出てなかったから、八海山の山頂もほぼ真っ暗であろう。
冬はとても大変なんだろうなと思ったが、そう言えば真冬に日本海側の新潟に旅をした事があったのを忘れていた。
確かその時も、古い駅のベンチで電車を待っていたのだなと思い出した。

因みに新潟のバス会社に電話したら、僕がバスに落として忘れてきたものがあった様で後日送ってもらった。
特に割れ物でも無いのにしっかりと梱包されていて、どうもお手数をおかけしました。

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