日暮里発 吹かそう幸福実現の風

日暮里から幸福実現の風を送っています  

自由を守るために

2011-01-27 | 日記
この記事は前に記事「おごりのつけ」と対をなしています・・。

 

 

この国の進路を決めるあたり、いま求められているのは宗教立国の精神です。

いままでの流れから人々はこの状況からいっきに宗教的流れになるのは

不快感を示すでしょう。

 

それほどこの国の民は宗教に対する誤った教育を受け、

また既存の宗教団体が問題を起こし、政治の世界にも入り込んでおり、

宗教に対する”悪”なるイメージを抱いています。

しかし、宗教にも正邪、善悪があるということを言っておかねばなりません。

 

それは何か特別な世界の中のものではなく、

皆様が常識としている世界観と格段に遊離しているものではありません。

正しいものは正しいのです。

 

皆様方が本来何の制約もなく自由なこころでみることができれば

おのづと正しい判断がつきます・・。

それほど難しい事ではないのです。

なぜならば宗教は人々の永遠の生命、この世とあの世にわたっての

幸福増進を元としています。

ですからこの世での不幸は推し進めていません。

 

このたび幸福実現党から次期衆院選の候補予定者が1月25日付で発表されました。

おおよそ100人のかたがたです。

http://www.hr-party.jp/new/2011/1407.html

まだまだ増えるそうです。

この前の衆院選と同じくらいになるかもとか

実現党の本気度が伝わってきます・・・。

この国の政治には

「宗教立国」という一本の精神的支柱が

何としても必要なんですね!

 

宗教的精神がこの国とこの国の民の未来を永遠に開いていく、

これなんですね!

この宗教的真理なくして、いまの日本の危機的状況からの脱出はありえないのです。

 

いままでの常識では解決できない限界にきています。

ことばをかえればいままでの常識ではパイを大きくすることはできない、無理だと思っています。

世の知識人、経済人、政治家の多くは日本は高度に発展し、

人類は知恵を極めたと思っているのです・・・?

 

 

人々の欲求、欲望だけでは限界を迎えたパイをさらに大きくしていくことは

できないんですね。


人類は自我というか欲望という世界から

無我という世界、慈悲なる世界を目指すところに差し掛かりました。

慈悲とか無我とは何だろう・・・・?

その答えは『救世の法』にたくさんちりばめられています。

というか『救世の法』そのものが慈悲の姿であり、無我そのものなんです。

 

慈悲とか無我は無限の世界を指し示しています。

それは仏の世界であり、

仏の創られた世界、この世とあの世を含む大宇宙には

無限の豊かさに満ち溢れています。

この地上世界にその豊かさを創造することは可能なのです。

これこそが私たちがあの世からわざわざこの地上世界に生まれ、

生活している答えなのです。

新しいパイの創造がなされます。

 

一国のリーダーがいまだに「最小不幸社会」なんて固辞しているこの国は不幸です。

ですから貧乏神政権と言っているのです。

与謝野氏を貧乏神と言っているのです・・・。

豊かりなりたかったら「幸福の科学」を信じなさい、学びなさい、

信者になって共に仏国土・ユートピアを目指しなさいというのが真実なのです。

 

豊かなってこそ、不幸を少なくすることができるというものです。

なぜなら慈悲なる心は豊かな心があってはじめて現われてくる・・・・

作られる心であります。

 

仏の法があなたの目の前に差し出されるということは

あなたを仏が愛されていることの証明なのです。

わずか数十年の間に教えられた小さな常識にこだわっていないで

その常識を捨てよ! 勇気を持て!恐怖心・・・

人は未知なるものには恐怖を抱く、しかしそれは希望を抱くということでもある。

 

すべてを与えられし世界の中で恐怖心に固まるか、

それとも希望の未来を信じ、勇気の斧を手にとり、

道を切り開くかは一人ひとりの心にゆだねられた。

 

さぁ、今年もあなた方の目の前に『救世の法』という勇気の書が示された。

あなたはこの書の中から勇気の斧を見つけ、手に取り、振り下ろし、

心の中の無限の豊かさの世界へと切り進まなければもったいないではないか。

自由とは

与えられたものではありますが

つかみ取るものでもあり、

行使するものであり、

守り抜くものであります。。

 


おごりのつけ

2011-01-27 | 日記

いま、民主党、民主政権にはいろいろな問題が起きており、

およそ、政権政党としてはふさわしくない様相を呈していると思います。

 

菅総理においては最近よく反省という言葉をよく使い、反省しているといていますが

”反省サル”で困ったものです。

総理の反省の定義はそんなものなんだろうと思っています。

 

反省とは過去の自らの思いや、行いの点検をし、どこが間違っていたかを具体的に示し、

どう改めていくかを自身の今後に生かすのだけでなく、、

公人として日本国と、国民の利益のために何をなしたか、

なさなかったかという積極的な反省もあります。

本来、神仏とその子である私たちの交流、対話であることを忘れてはなりません。

 

 

これは個人の人生においては勿論のこと、

公人となればなるほど仏神との対話は重きをましてきます。

まして、国家のリーダーとなればこの国とこの国の民を幸福ならしめる義務が仏神より生じており、

これ怠ることは社会に混乱を招き、人心の荒廃を招きます。。

このことは経済界、教育界など各界のリーダーたちにも仏神は求めております。

個人、家庭においては信仰という形でなされていますが

国家としては何ら仏神に答えておりません。

 

いま、この国に足りないのは”宗教立国の精神”です。

民主政権のおごりとして書きすすめてはいますが

これはわれら日本国民のおごりの表れでもあります。

 

いま、「自由が危ない!」が問題になっています。

http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110127/plc11012701310010-n1.htm(産経)

これは大変なことです。

お隣中国では当たり前のようになされていることが

この日本、そもそも政党の中で行われたという事実は重いです。

”自由”の危機です!

現政権がいかに中国と親和性があるか

口先では日米と言っていますが実際は中国です!

ほおっておけば宗教の世界にも手を出すでしょう。

 

おごりの思いがいろいろな災難を引きつけています。

まずは日本国民が自らの政権選択の誤りを反省し、悔い改めることです。

自らの慢心に気付きべきです。

 

そこから、仏神の導きの光が降りてきます。

そうであってこそ、この国の国民の幸福、発展繁栄と

日本国と世界の発展繁栄、安心の道筋が開けると強く思っています。

 

今年は『救世の法』という大川隆法先生の本が世に問われています。

ここに日本の未来、ひいては世界の安定と平和、さらなる発展繁栄の智慧が

われらに惜しみなく開示されているということを素直に受け止めたいと思います。。