解離という症状があるんだけど
症状というか、これは健康な人にもある
私たちの心の働きって本当に不思議だ
例えば車の運転をしていて同乗者と会話しながらでも
ちゃんと車の周囲のことに注意しながら運転できるよね?
これは健康的な解離というらしいんだけど
これが病的な場合というのは
一人の人間の中に複数の人格が存在するとき
いわゆる多重人格
この症状を理解するのはなかなか難しい
なんで行ったこともない国の話したこともない言語を喋れるんだ?
なんで縁もゆかりもない人の記憶とかが出てくるんだ?
昔読んだ24人のビリーミリガンという本に私は相当悩まされた
行ったこともない国の言語を流暢に正しく話すんだそうだ
あーーーーっもう、わけわからん!
って途中で放り出したなあ(汗)
あれからだいぶ時間が経って
私も自分なりに答えを探したり考えたりして
ある一つの仮説が出てきた
それをずいぶんと長く忘れてたんだなあ(笑)
で、つい最近出会った動画でそれのことを言ってたんだ
その時「あっ!そうか!やっぱり!?」って思ったんだ
私たち生きてるものみんなは
目に見える世界では全部バラバラで
どこにもつながってる部分などないようにしか見えないけど
他次元の世界ではみんな一つの存在の部分部分なんだと
わかりやすく言うと
手があるよね?
その手の、指先の部分が見える世界
でその指は手の甲、手のひらの部分になると繋がってるよね?
その手の甲、手のひらの部分が他次元の世界なんだそうだ
な~~る!!
だから指先だけ見ていても全然向かっている方向も違うし
何考えてんのかわからないけれど
根っこの部分でつながってるから
他人の記憶も伝わるし
行ったことのない国の言語も流暢に話せるんだ
ユングの「集合的無意識」がそれぞれの潜在意識のさらにまた深いところにある
なんて言われてもよくわかんなかった私は
手、と言われてピンと来たんだ
で、なんでそんなややこしいことになってるのかというと
自分をよく知りたいと大いなる存在が思った時
いろんな経験をすれば自分というものが見えると考えて
たくさんのいろんな経験をするには
そんな形態にすれば可能なんだということで
私たち生きるものすべては
根っこは一つなんだけどつまり指先だったんだな
私は私なりに今まで一生懸命生きてきたんだけど
それはこの見える世界の中での価値観で
あれはダメ、これはダメ、なんて自分で勝手に思い込んじゃって
なんか人生全然楽しくないなあ、なんてくさってたんだなあ(笑)
だけどそうじゃなかったんだ
自己啓発なんかでよく言われるんだけど
自分のワクワクすることを、自分の大好きなことをやればうまく行く
って言葉に触れるたび
そんなことできるわけないじゃん!ってまたくさってね・・・(笑)
やりたいことをやって楽しいことをやって
そうやって気分を良くするってことが
大いなる存在の望んだ生き方らしい
言葉だけでは説明できないんだけど
やりたいことやワクワクすることをやれないと勝手に思ってたんだけど
いろんな体験をするのが目的なら
どうせなら楽しいことがいいに決まってる
自分の存在がちっぽけとかそんなことはどうでもいいんだ
なんかいろんなことに責任をもって、なんて窮屈なことばかり言ってないで
やったもん勝ちなんだ、と思ったら
自分が罪悪感やネガティブな感情を抱くようなことをしなければ
物事はもっとかる~く考えてもいいんだ
必死になってはダメなんだ
自分が望む引き寄せは
そんな軽い心の状態からしか生まれない
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます