2015年4月25日のブログ記事一覧-カトカト日記 株式会社加登 明治の森霊園篇 ~箕面・茨木・吹田・豊中など北摂エリアでお墓のことならおまかせください~

<死について考えてみました>

いつもスタッフブログをみて頂き、ありがとうございます。

明治の森霊園(大阪/北摂/箕面/茨木)担当の向井です。


最近、生後3か月の三女をみて、死について考えることがあります。

三女が病弱でとかいうわけではなく、この子が二十歳の時には自分は何歳で、親や祖父は何歳になるなぁ、と考えると

死がそんなに遠いことではない様に、思えるんですね。

ところで、死ってなん何でしょう?

死んだらそれで終わりなんでしょうか?

カメムシ3匹分しかない小生の脳では分かるわけもないので、仏教の教えを引用させて頂きます。

仏教では人間の存在を「生」「老」「病」「死」の四苦で見ます。

生まれることは苦であり、老いることは苦であり、病むことは苦であり、死ぬことは苦であると言います。

苦とは苦痛ではなく「思うがままにならないこと」です。

人間は生まれながらにして、この四苦を背負っています。

この四苦は一環したもので、「生死一如」と言います。

思うがままにならない苦を、何とかしようとするから苦しむのであり、与えられた苦を受け入れ

「明らめる」ことで、苦ではなくなるそうです。


そして、死後は六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人間、天)に転生するのですが

どの世界に転生するかは、生前の行いに対する、裁判によって決まります。

この裁判は7日毎に7回行われ、49日間行われます。

この49日に故人を偲び、経を供えることで、判決が情状酌量になるとも言われます。

生前悪い行いをした者は苦しみの多い世界へ、善い行いをした者は苦しみのない世界に転生します。

その時どこに生まれるかが、生前の行いで決まるので、「因果応報」といいます。

また、転生してもやがて死を迎え、新たな世界に転生します。これを「輪廻転生」といいます。


※(注)宗派により違う認識の場合があります


ん~だんごむし2匹分の脳しか持ち合わせていない、私には難しいお話ですねぇ

勝手な解釈をさせて頂くと、生と死は表裏一体であり、現世の苦を前世の因果応報と捉え、その苦を受け入れ

日々、善い行いをしないといけない。

また、自分が存在するのは、多くの人の助けがあってのことで、もし、その人々が自分より先に冥途に旅立つ時には

輪廻転生が上手くいくように、供養することが大事だということですかね。



しについて考える新一年生 (宿題の書き取り中)



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