新しいホームステイ先は20区にあった。パリの地図で見ると右端。一軒目は一番下。
新しいホームステイ先では夕飯は一緒に囲むことができた。
フランスは間接照明が殆どで、暗ーい中で食卓だけぼやんと光がついていてそこで食べる。初めは暗・・・と思ってたけど次第に慣れる。
彼女も昼間は働いていた(何していたのかは不明)
食事中はとにかくずっと話しているけど、パリジャンについての愚痴が殆どで、パリはとにかくお金がかかるという話しかしない。人差し指と中指を親指でこするお金というジェスチャーはここで学ぶ。それでも一人で冷たい白米とハムを食べていた私には温かい食卓。大体がフライパン料理で、オムレツとかが多かったが家庭料理って感じで美味しかった。
ただ彼女が一つだけ許してくれないことがあった。
それはインターネットを使うこと。
息子がいた頃に使ってたけどとにかく高かったのでダメだという。その頃留学生に多かったインターネットは日本で契約していて月額を日本で払うだけでフランスでの料金はかからないものだった。ただ一応電話線を借りなくてはならない。それを何万回説明してもノンノンノンだった。
仕方なく夕飯の後、アパルマンの一階にあったアラブ系のインターネットカフェに行かなくてはならなかった。今みたくメールで会話ができる時代ではなかった。日本にいる彼氏に連絡するにも学校の放課後、もしくは夜にこうやってネットカフェからしかできず、ヤキモチ妬きの彼はもちろん堪忍袋の緒が切れかけていた。
まぁこれはその後大変なことになるのだが、今は置いておこう。
毎回数ユーロとは言え、切り詰めた生活をしなくてはならない貧乏学生には痛かった。そこで考えた私はこっそり電話線を拝借していた。
新しいマダムとの生活は順調だった。ホームステイは1ヶ月の予定だったので、その後どうしようか考えていた。
マダムに息子とその彼女を紹介されたりして少し楽しく暮らしていたある日、同じ語学学校に通う前歯にピアスを挟んで目の下にアイラインを入れてるドイツ人の女の子が入居してきた。この頃流行っていたのか、前歯にピアス挟んでる外国人結構いた。(何人かわからない)友達と何あれだっさいと話してたな。
彼女は一緒にご飯は食べない契約だったのでほぼ会話もなく挨拶くらい。ただマダムが毎晩ドイツの親から電話が来て長電話をしているとぼやいていた。この 時点で私はマダムの愚痴聞き係だった。
でもここでの生活は快適だったので、マダムと交渉して学校を通さずホームステイさせてもらう契約を取り付けた。私も強くなったものだと思った矢先、事件は起きた。
その日もマダムが夕方帰るまでにこっそりインターネットをしていたのだが、途中でマダムが帰ってきてしまったのだ。
その時のマダムの冷たい顔と「Qu’est ce que tu fait?」(何してるの?)という冷たい言葉が今も脳裏に焼き付いて忘れられない。
その場で電話をかけ始めるマダム。電話局にかけていくらかかっているのかと問い合わせている。もちろん一円もかかっていないことがここで証明はされたのだが、信用は完全に失った。泥棒と同じだと言われましたね。
とりあえず来月からのホームステイの契約は白紙に。私はなんてことしたんだ、本当に申し訳なかったと謝罪文を書いたが、後の祭り。週末に来た息子の私を泥棒を見るかのような眼差し。痛かった・・・
その頃よくして頂いていたのが、父の友人でCさん。パリの郊外に住んでいて旦那さんはフランス人。留学中、月に一回くらい遊びに行っては色んな所へ連れて行ってもらい散歩をし癒してもらった。お気付きの方もいると思うが、もうこの時点で人に頼りまくり。彼女が次の家を探してくれた。
あ、もちろん自分でもずっと探していました。次は家探しのことを少し。