フランス留学備忘録

フランス留学で体験したあれこれをメモしています

楽しいはずのホームステイ(二軒目)

2021-02-16 10:14:45 | ホームステイ

新しいホームステイ先は20区にあった。パリの地図で見ると右端。一軒目は一番下。

 

新しいホームステイ先では夕飯は一緒に囲むことができた。

フランスは間接照明が殆どで、暗ーい中で食卓だけぼやんと光がついていてそこで食べる。初めは暗・・・と思ってたけど次第に慣れる。

彼女も昼間は働いていた(何していたのかは不明)

食事中はとにかくずっと話しているけど、パリジャンについての愚痴が殆どで、パリはとにかくお金がかかるという話しかしない。人差し指と中指を親指でこするお金というジェスチャーはここで学ぶ。それでも一人で冷たい白米とハムを食べていた私には温かい食卓。大体がフライパン料理で、オムレツとかが多かったが家庭料理って感じで美味しかった。

 

ただ彼女が一つだけ許してくれないことがあった。

それはインターネットを使うこと。

息子がいた頃に使ってたけどとにかく高かったのでダメだという。その頃留学生に多かったインターネットは日本で契約していて月額を日本で払うだけでフランスでの料金はかからないものだった。ただ一応電話線を借りなくてはならない。それを何万回説明してもノンノンノンだった。

仕方なく夕飯の後、アパルマンの一階にあったアラブ系のインターネットカフェに行かなくてはならなかった。今みたくメールで会話ができる時代ではなかった。日本にいる彼氏に連絡するにも学校の放課後、もしくは夜にこうやってネットカフェからしかできず、ヤキモチ妬きの彼はもちろん堪忍袋の緒が切れかけていた。

まぁこれはその後大変なことになるのだが、今は置いておこう。

毎回数ユーロとは言え、切り詰めた生活をしなくてはならない貧乏学生には痛かった。そこで考えた私はこっそり電話線を拝借していた。

 

新しいマダムとの生活は順調だった。ホームステイは1ヶ月の予定だったので、その後どうしようか考えていた。

マダムに息子とその彼女を紹介されたりして少し楽しく暮らしていたある日、同じ語学学校に通う前歯にピアスを挟んで目の下にアイラインを入れてるドイツ人の女の子が入居してきた。この頃流行っていたのか、前歯にピアス挟んでる外国人結構いた。(何人かわからない)友達と何あれだっさいと話してたな。

彼女は一緒にご飯は食べない契約だったのでほぼ会話もなく挨拶くらい。ただマダムが毎晩ドイツの親から電話が来て長電話をしているとぼやいていた。この 時点で私はマダムの愚痴聞き係だった。

でもここでの生活は快適だったので、マダムと交渉して学校を通さずホームステイさせてもらう契約を取り付けた。私も強くなったものだと思った矢先、事件は起きた。

 

その日もマダムが夕方帰るまでにこっそりインターネットをしていたのだが、途中でマダムが帰ってきてしまったのだ。

その時のマダムの冷たい顔と「Qu’est ce que tu fait?」(何してるの?)という冷たい言葉が今も脳裏に焼き付いて忘れられない。

その場で電話をかけ始めるマダム。電話局にかけていくらかかっているのかと問い合わせている。もちろん一円もかかっていないことがここで証明はされたのだが、信用は完全に失った。泥棒と同じだと言われましたね。

とりあえず来月からのホームステイの契約は白紙に。私はなんてことしたんだ、本当に申し訳なかったと謝罪文を書いたが、後の祭り。週末に来た息子の私を泥棒を見るかのような眼差し。痛かった・・・

 

その頃よくして頂いていたのが、父の友人でCさん。パリの郊外に住んでいて旦那さんはフランス人。留学中、月に一回くらい遊びに行っては色んな所へ連れて行ってもらい散歩をし癒してもらった。お気付きの方もいると思うが、もうこの時点で人に頼りまくり。彼女が次の家を探してくれた。

あ、もちろん自分でもずっと探していました。次は家探しのことを少し。


楽しいはずのホームステイ(一軒目)

2021-02-14 12:47:32 | ホームステイ

ホームステイ先はショートカットの気が強そうな痩せ型のシングルマザーでした。

部屋は3LDKほどの綺麗なマンションで猫が一匹。息子が一人いるけど週末にしか戻らない的な話。

ざっと家の中のあれこれを説明され、お土産を渡し、この部屋を使ってねと。大きなベッドがある部屋でした。

私は食事つきをお願いしていたので夕飯を楽しみにしていました。

 

日本人の私はとにかく他人には笑顔で対応するのが当たり前だと思っていた、これが後日痛い目を見る。

フランスの夕飯は早くても20時。18時に食べていた私には苦痛でしたが、そこは郷に入っては郷に従え。てっきりマダムと食事を囲むものかと思いきや、そこに用意してあるから食べてね、私は出かけるからと。

キッチンの片隅にあるテーブルを見ると置いてあったのは白米とパックに入ったハム。日本人だからご飯がいいでしょ?的なことを言って出て行ったマダム。今日はきっと忙しかったんだろうなと思い、それをモソモソと食べる。泣きたくなる。

留学するまで一人暮らしもしたことがなく、母も主婦だったためよく考えたら1人食事をすることがほとんど無かった。1人で食べる食事の寂しさ、味気の無さを身に染みて感じた。

 

朝食はこれね、私は先に出ると思うからと渡されたのはプリンスビスケット。(チョコクリームの入ったビスケット)だけだった。ホームステイってこんなもんなのかなととりあえずポジティブに変換した。

 

二日目には教えてもらっていた玄関の鍵が開かず、仕方なく隣人に助けを求めたが開けられず、マダムが夕方帰ってくるまで廊下で待っていたこともあった。結局もうひと回し強めに回さないといけない鍵だった。何度か練習して開けられるようにはなった。

 

しかし白米とハムの日が三日続いた日、食べながら涙が溢れてきた。何かあったら頼りなさいと知人にもらっていた電話番号に即効電話した。

そんなまさか電話なんてしないよーと思ってたのに、三日でかけた。泣きながらつらい思いが爆発し話を聞いてもらい、確かすぐにでも泊まりにおいでと迎えてもらったんだと思う。

こんなにも弱くて無知な自分を本当に恥じた。(このご夫婦には2年間お世話になりっぱなしだった。足を向けて眠れない。命の恩人。)

 

週末息子が帰ってきて、三人でピザを食べようと誘われリビングへ。ピザ!白米じゃない!と意気揚々にリビングに行った私、そこに見たのは具沢山のピザを食べる息子と、チーズしか乗っていないプレーンピザの私。

ある日には帰ったら猫のおしっこ臭いベッド。どうしたのかと聞いたら猫が粗相したと。放っておけばいいからとそのままだった。

もう私はギリギリのところにいた。よくある体験談のハズレのホームステイ先なんだなと感じた。

 

語学学校も行き始めたのはいいが、今いっぱいだからと難しいクラスにポンと入れられ、全くもってわからない。

家も学校も・・・で授業中に泣き出してしまった。今思えば本当恥ずかしいけど、もう何もかももう嫌になっていたと思う。

救いだったのはやはり日本人が多い学校だったので、ここで今も親友と呼べる友人に出会えたことだ。せっかくフランスに来たのだから日本人でつるむなんてダセェと思うかもしれない、でもこれだけは言えるやはり助けてくれるのは同じ日本人だということを。

 

彼女は全体試験の日に向かいの席に座っておりかわいい!と一目惚れした。楽器で留学して語学学校にきていた。

何人かの日本人と話してみるとご飯が毎日美味しいだの、楽しいだの、私とは雲泥の差。やはりうちははずれだったんだと確信する。

いつもかわいいお世話係のような事務のお姉さんに話そうと思ったら、通されたのはニコリともしないめっちゃキツそうな事務長の女性。まだ一週間でまったく語学力がないというのに、フランス語で説明しろと。。。伝わってるのかいないのかわからないが、とにかく泣きながら無我夢中で話したのを覚えている。ここではとにかく自分で話してアクションを起こしていかなければ何も始まらない国。既にそれには気付いていた。

その夜、隣の部屋でマダムがやたらヒステリックに長電話していたのを覚えている。

 

その次の日、日本から元職場の先輩たちが仕事の研修でパリへ来て落ち合う約束をしていた。すごく楽しみにしていたのも束の間。

気を抜いていたのか、リュックをそのまま背負ってメトロへ乗ってしまった。(いつもは前に抱える)

オペラからマドレーヌは一駅、降りたところでリュックが全開なことに気付く、はい、見事にパスポート・手持ちの財産を持っていかれました。

留学一週間目でのこの試練。

しかしそれまでにもう打たれ強くなりつつあった私、先輩たちと別れすぐにフォションのマダムに声をかけ警察署を教わり向かいました。

これは思い出すと本当よくやったなと自分を褒めてあげたい。とりあえず盗難被害の証明書を書いてもらわないと保険も下りないのだ。

何色のどんなものを盗まれたとか、とにかく頭フル回転で話した。証明書があれば、保険の申請もできるし、カードの再発行、日本領事館へパスポートの再発行にも行かなくてはならない。

 

そんなスリに遭ったぐったりな夕方、家に戻るとマダムが無表情でやってきた。

「あんた何を話したのよ」と。「私今日スリに遭って大変でそれどころじゃないんだけど」と言いたいが、

聞く耳持たずキーキーと矢継ぎ早に文句を言ってくるマダム。どうやら学校に話したことで学校から何か言われたらしい。

そこで言われたのが、「いつもニコニコ「ウイ」と答えていたじゃない!」と。ここで日本人の悪いところを痛感する。

もう何もかも嫌になって泣き出した私、それを見てマダムがコロっと優しくなりでも楽しかったわと言うマダム。次のところで楽しんでねと。

 

フランス人というのは情にもろい。とにかくもろい。こちらが泣き言を言うとけっこう融通が利く。にしても別れの挨拶早くないか?と思ってたら学校から電話。

学校「新しい住所言うからこれからそっちに移動して」と。

私「えーーーーー今から????」

学校「そう今から」

もうてんやわんやのまま、荷物をまとめ仕方ないのでタクシーに乗り込み、新しいホームステイ先へ向かった。

ここまでで確か1週間から10日ほどの話。