1962年6月に信越本線の長岡 - 新潟間の電化が完成し、上越線経由で特急電車を運転するという計画が立案され151系に白羽の矢がたった。しかし、20‰の勾配が続く上越国境の山岳区間での運用であったため、151系電車と157系電車での比較走行試験を行った。157系の走行機器と151系の車体を組み合せ登場したのが161系である。その後、151系、161系が統合され181系となったことから形式消滅した。
1964年4月24日、東海道本線草薙 - 静岡間を運転中の下り「第1富士」が踏切を横断中のダンプカーと衝突し先頭車は大破した。そのため富士運用確保のため急遽161系を使用して運行を確保したが、この時クハ161の代役として157系と161系の混結編成が約1か月間に渡り運転された。
模型はマイクロエース製で、161系と157系の混結編成
クハ161
サロ161
サロ160
ハ157
サシ161
モハ160
モハ161
サハ157
モハ156
クモハ157
2016.08.05 N-111
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