ロワール川の中州 『ile d'Or イルドー 』 から
じっとアンボワーズ城を見つめるブロンズ像 ・・・
(7月28日のブログ参照 )
Leonardo da Vinci
レオナルド・ダ・ヴィンチ (1452年ー1519年 )
Uomo Universale ユニバーサルな (宇宙スケールの ) 男
の異名を取る万能の天才。
(2010年10月7日、8日、9日のブログ参照 )
アンボワーズ城内にはレオナルド・ダ・ヴィンチの胸像 ・・・
ロワール地方の
多くの城建設に関わったフランス王 = フランソワ1世 ・・・
(7月11日のブログ参照 )
イタリア文化に傾倒していたフランソワ1世は、1516年、
当時ローマに暮らしていた64才のレオナルド・ダ・ヴィンチを
アンボワーズに呼び寄せました。
(Chateau du Clos Luce クロ リュセ城 )
フランソワ1世はレオナル・ド・ダヴィンチに、
アンボワーズ城に程近いクロ リュセ城
(フランソワ1世が幼年期を過ごした城 )を与え厚遇しました。
そして、
ここがレオナルド・ダ・ヴィンチの終焉の場所となりました。
(シャンボール城の不思議な螺旋階段 )
亡くなるまでの約3年という時間、レオナルド・ダ・ヴィンチには
創造のための限りない自由が与えられたのでしょう ・・・
たとえば、シャンボール城にある高い芸術性の螺旋階段は
彼の作品であると伝えられています。
近年、アンボワーズ城とクロ リュセ城の間に
地下道が発見されています。
(アンボワーズ城公式ウェブサイトより写真借用 )
その地下道をたどって、フランソワ1世が
レオナルド・ダ・ヴィンチのもとを訪ねる様子を想像すると、
歴史はますますおもしろくなります。
レオナルド・ダ・ヴィンチが
イタリアから大切に携えてきた 『モナリザ 』 は、
フランソワ1世の手に渡りました。
その後、
フォンテーヌブロー宮殿 ・・・ そしてルーブルへと ・・・
(8月3日、2012年3月11日のブログ参照 )
Michelangelo
ミケランジェロ (1475年ー1564年 )
16世紀初頭、
イタリアでレオナルド・ダ・ヴィンチのライバルとして
台頭してきたもうひとりの万能の天才。
フランソワ1世の招きで故国を離れ、
文化的に劣るフランスへと向かう
晩年のレオナルド・ダ・ヴィンチの胸中には、
どんな想いが去来していたのでしょう。
強引で攻撃的な印象のミケランジェロ ・・・
孤高、崇高といった印象のレオナルド・ダ・ヴィンチ ・・・
ふたりの人生観を表した言葉が残っています。
ミケランジェロ
『私は、美しいこの世の果てにあの世への階段を見つける 』
レオナルド・ダ・ヴィンチ
『充実した一日が幸せな眠りをもたらすように、
充実した一生は幸福な死をもたらす 』
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