紺屋川(こんやがわ) ・・・
郡山城 の堀から流れ出る水 ・・・
ここは城下『紺屋町』。
第3代郡山城主 豊臣秀長 は、
町おこしの一策として、
水路を挟んでここに、
染物職人を集め住まわせました。
(染物は目の前の水にさらした)
紺屋町はその名前が示すように、
長く染物の町として栄えました。
ちなみに、郡山城下町には、
他に車町、豆腐町、塩町などがあります。
職種ごとに居住区を定めるという、
兄秀吉が大阪や京都で行った
町づくり と同じ手法です。
注:たとえば、
京の都の 路地 などが好例。
さて、私がここを訪れた先月6月26日、
紺屋川のほとりに
多くの人が集まっていました。
金魚すくい大会です。
時代は下って1724年、
柳沢吉里(やなぎさわ よしさと)
が第19代郡山城主となり、
金魚がこの地にもたらされました。
最初は武士の嗜みであった金魚ですが、
やがて武士の副業に ・・・
そして、明治維新以降は、
失職した武士の
生計を支える手段となりました。
このような経緯で、
郡山の金魚産業は日本一に。
娯楽としては 金魚すくい が盛んで、
(大和郡山市HP)
その人気は全国レベルです。
Hélène Rollès
Amour Secret
エレーヌ・ロレス
1966年フランス ル マン 生まれ。
歌手、女優。
フレンチポップスの
定番のような曲ですね。
JFK-World
昔の藩が、いくつあったか知りませんが、きめ細かく行政が行き届いていたように感じます。
今の知事さんは、大きすぎて、下々にまで目が行き届いていないように思えてなりません。 (´∀`*)ウフフ
おっしゃる通りだと思います。
たとえば、集落は相互扶助が大原則で、いい意味で監視社会でした。
襟を正すことなどは自然に学び、法律ではない掟が秩序を維持させていました。
温故知新 ・・・ いい言葉ですね。