![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1a/9d/aeb1f85ed52373137fa4faedddb039fc.jpg)
竹林の道 から北へ ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/14/e0/caa593b3f398d846f853735a02db7eaa.jpg)
小倉山の麓に広がる 嵯峨野 。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/72/ed/d96e5d98a70f7a43783010ea00634863.jpg)
南北に伸びる道は、
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愛宕山 (あたごやま) の頂まで続く古道。
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愛宕街道 ・・・
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山頂にある愛宕神社の参道です。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/09/5e/6194c4d4b79aae996e1f1a875bf57c41.jpg)
一の鳥居の傍らには、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/50/a8/86df2161bccd9b0c66bcf2093bb454cf.jpg)
鮎茶屋 ・・・
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つたや と、
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/62/f8/5b5dd8c9892b7fdfb38a962918d460f1.jpg)
平野屋 ・・・
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/30/53/84c9c9183b0be92e91938fa319109f9d.jpg)
どちらもおよそ400年の歴史があります。
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さて1970年代の初め、ここ嵯峨野は
清里、金沢、倉敷、津和野などと並び、
若い女性たちの聖地に ・・・
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特集を組んだ情報誌
『an・an アンアン』 や
『non-no ノンノ』 を
小脇に抱えた女性たちが
古道を行き交いました。
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彼女たちは
『アンノン族』 と呼ばれました。
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当時の女性たちの心情は歌に ・・・
♪嵯峨野さやさや♪ (1975年発売)
歌っているのは姉妹デュオ = タンポポ
歌詞には嵯峨野の山寺も ・・・
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直指庵 (じきしあん) は駆け込み寺、
祇王寺 (ぎおうじ) は悲恋の寺です。
そして、 落柿舎 (らくししゃ) ・・・
♪嵯峨野さやさや♪ タンポポ
JFK-World
初めて聴きました。切なく美しい歌ですね。
若かった頃、私も人並みにいくつか恋をして、破れて、悲しい思いをいたしました。しかしこの歌は、別のことを教えてくれました。恋に破れた人間としてだけ自分を考えていましたが、もしかすると、あの人とあの人は、私が傷つけていたのではなかろうかと、そんな自責の思いでした。
自慢ではなく、悲しい発見です。自分を第一に、自分だけのことしか考えなかった若い私への、悲しい発見の歌でした。
形は違いますが、やはり貴方へお礼を言います。
上空からの映像は、ドローンを使われているのでしょうか。心に沁みる京都でした。感謝いたします。
そう言えば、あの頃 『さよならだけが人生ならば』 という呪文のような言葉も流行しましたね。
人生におけるほろ苦さは、素晴らしいスパイスだと思います。
実は、嵯峨野を跨ぐように道路が走っていて、上空から見たような写真はこの跨道橋から撮りました。