齢40になろうとしていたチェーホフは、
肺結核の療養のためモスクワを離れ、
ここ ヤルタ の郊外に立つ
瀟洒な家に移り住みました。
”White Dacha 白いダーチャ(別荘)”
と呼ばれたこの建物は、
『チェーホフの家博物館』 として
いまも大切に保存されています。
ここには、
ゴーリキーやトルストイをはじめ
多くの文化人が訪れ、
リビングルームは
芸術サロンの様相を呈していたそうです。
時代は、帝政ロシアの因習から抜け出し、
新しい秩序を求めて
動き出そうとしていました。
20世紀の幕開け ・・・
チェーホフは女優だった女性を妻に迎え、
病める体をおして
創作に意欲を燃やしました。
そして、不朽の名作
『桜の園』 がこの家で生まれました。
しかし、晩年の貪欲な創作活動の陰には、
チェーホフの憂鬱が見え隠れします。
これは、やはりこの頃に書かれた作品
『三人姉妹』 の一節です。
すでに生きてしまった
ひとつの人生が下書きで、
もうひとつが清書であったなら、
我々は、なによりもまず自分自身を
繰り返さないように努力するだろう。
病状が悪化したチェーホフは
急遽この地を去り、
ドイツの療養所で息を引き取りました。
ヤルタに移り住んでから5年後の1904年。
享年44歳。
巧みな言葉のレトリックを
得意としたチェーホフ ・・・
彼が植えた木は
その魔法にかかったかのように、
いまも成長を続けています。
私たちは、
時々この博物館を訪れるという
ウクライナの女性に
インタビューしました。
『私たちにはウクライナ人としての
自負と誇りがあります。
しかし同時に、帝政ロシア時代の
文化への郷愁もあります。
文学においては、
ウクライナ人とロシア人の違いを
意識することはありません。
チェーホフは
ウクライナ人にとっても誇りです。』
ちなみに、
戯曲家としてのチェーホフは別格で、
特にロシアやウクライナの役者は
チェーホフの作品を演じることで
キャリアに箔がつくといわれています。
Sylvie Vartan
Les Hommes
邦題は ♪悲しみの兵士♪ ですが、
原題は ♪男たち♪
蜂起する民衆を歌っています。
JFK-World
よろしくお願いいたします。