モーレア島を望むタヒチ島の海岸 ・・
パペーテの賑わいを少し離れると、
こんなのどかな風景が続きます。
Breadfruit
パンの木
東南アジアおよび南太平洋の島々を原産とするこの木は、
ポリネシアの人々の 『主食 』 を育んできた木です。
その果実は、
焼いて食べると 『Bread パン 』 の味に似ていることから、
「パンの木 」 と呼ばれるようになったといわれています。
1本の木から 200個以上の実がとれるパンの木 ・・
しかも、年に 2度、3度と実をつけるそうです。
栄養があり、保存性に富んだこの果実は、
長年南太平洋の島々で主食として食されてきました。
1789年、すでにカリブの島々を植民地とし、
アフリカから多くの奴隷を送り込んでいたイギリスは、
この果実を奴隷たちの食料にすることを考え、
カリブ諸島へパンの木を移植するため
タヒチ島に艦艇を派遣しました。
パンの木の苗木を搭載し、
カリブ諸島に向かうこの艦艇で反乱が起こります。
何度も映画化された史実 『バウンティ号の反乱 』 です。
タヒチ島の滞在中に楽園の安らぎを覚えた乗組員たちが、
艦艇内の劣悪な待遇に耐え切れなくなったことが
反乱の原因である、と後年伝えられています。
艦艇を乗っ取り楽園に戻った乗組員たち ・・
そして、10数名がそのままタヒチ島に残りました。
当時のタヒチは、島々に首長が存在し、
互いに争いを繰り返す群雄割拠の時代です。
銃などの武器を持ちタヒチ島に残った乗組員たちは、
ひとりの首長の傭兵となりました。
武器の力を借りてタヒチ統一を果たすことなるこの首長こそが、
およそ 100年にわたってタヒチに存在した
ポマレ王朝の始祖 = ポマレ 1世です。
注:バウンティ号の反乱は史実だが、
乗組員がタヒチに残り傭兵になったことに関しては諸説あり
たわわに実をつけるパンの木 ・・
いまはもう主食としての役割を終えました。
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