世界遺産 = ロワール渓谷に残る多くの古城 ・・・
その中でいちばん最後に建てられた
「Chateau de Villandry ヴィランドリー城 」 ・・・
正確には、
いちばん最後に再建された城と言うべきでしょう。
中世におけるロワール地方の歴史は複雑です。
(ロワール地方に限らずヨーロッパ全域の歴史も ・・・ )
イギリスはフランス征服を目論み、
そのための拠点づくりに奔走していました。
(実際にはイギリスに屈した地域も )
フランスは、各地に城塞をつくり対抗しました。
これがロワール地方に点在する多くの古城の原型です。
(中にはイギリス人が築いた城塞も ・・・ )
1189年、
現在のヴィランドリー城である会談が行われました。
フランス王 フィリップ2世 (1165年ー1223年 )と
イギリス王 ヘンリー2世 (1133年ー1189年 ) との
和平会談です。
この会談でヘンリー2世は降伏を受け入れるも、
息子たちの謀反により和平は実現しませんでした。
ヘンリー2世は失意のうち、会談の直後病没。
注: ヘンリー2世の生涯は、
1968年のイギリス映画 『冬のライオン 』 で描かれている。
城塞であったヴィランドリー城を再建したのは、
フランソワ1世の財務を取り仕切っていた
Jean Le Breton ジャン・ル・ブルトン (不明ー1556年 )
という人物です。
ジャン・ル・ブルトンは
相当な実力者であったと推測出来ます。
フランソワ1世のイタリア遠征に際しては
大使的な役割りを務め、
シャンボール城、アンボワーズ城、ブロワ城の
建設責任者でもあったと伝えられています。
(7月11日、7月27日、8月8日のブログ参照 )
ジャン・ル・ブルトンはヴィランドリー城を買い取り、
『Donjon ドンジョン 』 と呼ばれる円形の塔だけを残し、
1536年、新たな城を建設しました。
フランソワ1世のもと多くの城建設に携わった彼は、
そこで得た知識を自らの城に反映させたのでしょう ・・・
ヴィランドリー城は、ロワール地方における
フレンチ ルネサンス建築の集大成といえます。
注: 他のロワール地方の古城に見られる
イタリアン (ルネサンス ) 様式を踏襲しながらも、
独自のフレンチ様式を確立させている。
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