ブログを書くのが怖い。
最近ブログを書きたいと同時にこんな気持ちが湧くようになってきています。
なぜなら最近自分が行動を変えたいことを発信していっているのですが、
変えたいと思える自分になれなかったらと思う不安と、
でも誰かが見ているこの場で発信してしまった言葉だから叶えなきゃっていう焦り、
そして自分がブログに書いた言葉で縛られて苦しむのではないか?という不安。
言葉にするならこのような感情が不意に舞ってきます。
ただ、今この言葉を書き出してみたら、
「いや、そんな悩んでる時間あったら行動したほうがよくない?」
と自分に腹が立てている自分もいました。
たしかに知ったこっちゃないですね。
というより、よくそんな弱気になっている暇があるな。
正直今この思いの方が強いです。
あえて考えるなら、行動しないで今のままの自分を正当化する方が楽なのでしょう。
でもそれで人生面白くなりますか?
それで胸を張って死ねますか?
私はそんな人生ごめんですよ。
もう正直今日のブログはただの根性論です。
そういえばふと思ったのですが根性論は悪いものなのでしょうか?
根性論は昨今パワハラとかで問題になるのかと思います。
なぜなら正直昭和世代と今の平成令和世代では根性論で在ったり、褒めて育てることであったりと、大きく教育方針が様変わりしてきている時代背景があります。
その根本原因は昔と違って、簡単に他人の世界を知ることのできる環境になってきているからだと思います。
SNSを開けば、他人の華やかな投稿であったりに羨望感や嫉妬などをいだいて徐々に自信を失わせやすい環境なのかもしれません。
その結果、数回怒られたりすると「こんなに傷ついて仕事するくらいなら、別の職場を探そう」と他の世界を見ている若者にとっては感じやすいのだと思います。
昔はその世界以外は本当に未知の世界なのでそのレールから外れるくらいなら、理不尽だったりの耐え抜き方を探っていく方がいいとされていたのかと思います。
でもこう考えるとそれぞれの良さがあるわけでそれを取り入れたほうが自分にとって大きな得になると思います。
今現在は情報が簡単に入手しやすい世の中になっているのであれば調べ実践しやすい環境になっています。
そして根性論で乗り越えてきた昔の人がいるのであれば、自分もその根性を味わえる環境にあてて乗り越える力をつけるに越したことはないと思います。
かくいう私も自分と他人を最近まで比較する習慣がついていたのだと思います。
まだまだそれを抜けきったとは言えませんが、まずは目的もなくSNSを開く習慣、それを無くしていきます。
そして根性論は自分だけにあてはめればいいのだと思います。
他人はコントロールできないけど、自分はコントロールできる。
日々言葉を重ねて自分を鼓舞する根性論人間でありたいと思います。
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