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毎回一から考えていては遅い。

2024-11-29 20:18:06 | 日記

今日は集中力が研ぎ澄まされているな。

と感じる場面がありました。

 

お客様に

「これって何のためにつかうものなのですか?」

「じゃあやはりこっちに変えたいですがよろしいですか?」

遠慮せずはっきり言ってくださったお客様を対応した時です。

 

それは人に説明するというより、理解してほしいという感覚があるときでした。

何かに追われている感覚。

言葉にするなら自分の価値を証明したいという欲求。

でも言葉にできる欲求じゃないです。

 

細胞って言葉話しませんよね?

寒さ感じた時、

「あ、鳥肌立てたい!」

って言って鳥肌立つわけじゃないですよね。

気づいたら体が「やらなきゃ」て思っている感覚です。

 

今日のマイナンバーカードはお客さんの疑問にひたすら答えたい。

って思えたし、気をつかわず質問してきた人が面白いって思えました。

 

言葉で自分に指示して動いていては遅いですし、なにより気持ちよくないと思います。

自分が日々反省して言葉で行動を作ることは素晴らしいことだし、毎日の行動を見直すための大前提だと思います。

なので今日の私の学びは、ある程度理解してきたものは行動そのものを反射的に行えるようにしたいということ。

 

このブログもいつもいつも時間をかけて見直して修正をしてを繰り返していますが、今日はあえてこのまま投稿し、

伝わりやすい文章を反射的に書けるように手数を踏んでいきたいと思います。


「失敗」なんてない。

2024-11-28 20:33:07 | 日記

今日は警察の最終合格発表。

 

早速ですが結果は不合格でした。

 

実はこれで受験は二回目です。

そして前回も2次試験で落ちています…

 

正直かなり絶望しています。

「なにかの間違いで受かってないかな?」

そう思って開いた合格発表サイトが現実を自分を否定してきます。

 

一次試験は突破できてるのに、毎回面接で引っ掛かる。

なんでだよ。

でも本当はわかっています。

努力不足です。もっといえば自分と向き合うのが怖いからです。

 

当時の面接を思い出すと、「なぜ前の会社をやめたのですか?」

「やめた後に何か得られたものはありましたか?」

 

(やめて。)

 

(聞かないで。)

 

「新しい挑戦がしたかったからです。理由は~」

言葉ではそれっぽく答えたつもりでしたが、不安でいっぱいでした。

(そんなもん、やめたのなんて自分がその会社に納得してないんだから、聞くなよ!)

 

要するに自分の過去に自信を持っていないんです。

その選択にもよさがあるはずなのにそれを探す努力をしてなかったんです。

 

言い訳するのは簡単です。

「仕事で時間なかったから自分と向き合う時間なんてないよ。」

「まあ私は生まれつけ怠惰だから…」

 

いや、待てよ

警察試験2次試験で落ちたっていうことはネタになるのでは?

なんか取り調べみたいで自分が責められてる気持ちになったのはネタになるのでは?

 

あー、なんかもう吹っ切れて面白くなってきたかもしれません。

 

そもそも今までの失敗って成功するための過程でしかないんですよね。

なんかちょっと面白くなってきましたね。

 

まあそもそも「失敗」なんてなく、全て「経験」があるだけだと思ってはいます。

 

ただうまくいかない経験をネタにするマインド。

「うまくいかなくてもおいしい!」という思いになれる最強のマインドをこれから徐々に作っていきたいと思います。

 

そのためには自分の根柢の価値観を自分でも「そうに違いない!」と思える程言葉にし続ける習慣が必要だと思います。

まずはこのブログでそういった理屈を書き並べて自分の言葉に自信をつけていく習慣を身に付けて行きます。


「すみません…」じゃないよ!!!

2024-11-27 21:53:37 | 日記

「なんでそういうことするの?」

 

「すみません…」

 

なんで相手が怒っているかわからないのに、とりあえず謝っているように見えますよね?

 

でも本当は

「すみません。私としては〇〇という状況だったので、〇〇すればよかったと思っていたのですが、それはよくなかったでしょうか?」

 

と聞きたい!

 

なのに「すみません…(小さくなっていく声)」

で終わってしまう。

 

なんでだよ!!

 

…ごめんなさい。取り乱しました。

これ、今日の私です。もちろん謝ってる側です。

 

でもこうやって文面に自分の状況を起こしてみるとなんとなくわかります。

 

相手に言い訳してると思われたくないと思っているのだと感じます。

だからいつも人に謝るときは「すみません…(言い訳したいけど怒られるから我慢…ぐうう)」

で打ち止めして自分の心を伝えないんだと思います。

 

馬鹿なのですか?

そりゃ相手からしたら「なんなんだ、コイツ?」ってなりますよ。

最悪「あー、コイツ、怒られたくないから、盲目的に謝ってるのかよ。」ってなりますよ。

さらに怒られても文句言えない。

 

怒られたくないゆえの行動はむしろ相手の怒りを加速させてしまう誰も得しない行動だったということですね…。

 

しかし同時に変われるチャンスなんだと思います。

むしろ自分の意見を伝えることは相手の行動の知見を学べるチャンスです。

そこで相手に対する伝え方を考えてみようと思います。

 

相手がイライラしている(何か言いたそうな)場合。

①相手に自分が怒っている理由がわからないことを謝罪する。

②自分の行動の理由を伝える。

③相手だったらどうするか?を聞く。

 

もちろん相手がイライラしている場合、冷静な議論をできない場合があります。

その場合、今の自分で伝えたれることは伝えたと割り切ろうと思います。

 

一番ダメなのは「相手が何を言ってもわからないだろう。」みたくとりあえず謝っている態度です。それは相手にも見透かされると思います。

だから相手を信じて自分の改善点を探って謝るのです。

その副産物で相手も「自分にも悪いとことあったな…私もここを改善してみよう。」って思ってくれたら嬉しいじゃないですか。

もちろん毎回そんな調子いい話はないとは思うくらいがちょうどいいと思いますけど。

 

相手のことを知ろうとする力が足りなかい等、

自分には足りないものがまだまだまだまだあるぐらいの謙虚さで、相手から学び取るくらいの姿勢でいきたいと思います。

謝罪の目的は相手から学び取るというスタンスに変えていこうと思います。


根性論は悪なのか?

2024-11-26 19:12:06 | 日記

ブログを書くのが怖い。

 

最近ブログを書きたいと同時にこんな気持ちが湧くようになってきています。

 

なぜなら最近自分が行動を変えたいことを発信していっているのですが、

変えたいと思える自分になれなかったらと思う不安と、

でも誰かが見ているこの場で発信してしまった言葉だから叶えなきゃっていう焦り、

そして自分がブログに書いた言葉で縛られて苦しむのではないか?という不安。

言葉にするならこのような感情が不意に舞ってきます。

 

ただ、今この言葉を書き出してみたら、

「いや、そんな悩んでる時間あったら行動したほうがよくない?」

と自分に腹が立てている自分もいました。

 

たしかに知ったこっちゃないですね。

というより、よくそんな弱気になっている暇があるな。

正直今この思いの方が強いです。

 

あえて考えるなら、行動しないで今のままの自分を正当化する方が楽なのでしょう。

でもそれで人生面白くなりますか?

それで胸を張って死ねますか?

私はそんな人生ごめんですよ。

 

もう正直今日のブログはただの根性論です。

 

そういえばふと思ったのですが根性論は悪いものなのでしょうか?

 

根性論は昨今パワハラとかで問題になるのかと思います。

 

なぜなら正直昭和世代と今の平成令和世代では根性論で在ったり、褒めて育てることであったりと、大きく教育方針が様変わりしてきている時代背景があります。

その根本原因は昔と違って、簡単に他人の世界を知ることのできる環境になってきているからだと思います。

 

SNSを開けば、他人の華やかな投稿であったりに羨望感や嫉妬などをいだいて徐々に自信を失わせやすい環境なのかもしれません。

その結果、数回怒られたりすると「こんなに傷ついて仕事するくらいなら、別の職場を探そう」と他の世界を見ている若者にとっては感じやすいのだと思います。

昔はその世界以外は本当に未知の世界なのでそのレールから外れるくらいなら、理不尽だったりの耐え抜き方を探っていく方がいいとされていたのかと思います。

 

でもこう考えるとそれぞれの良さがあるわけでそれを取り入れたほうが自分にとって大きな得になると思います。

今現在は情報が簡単に入手しやすい世の中になっているのであれば調べ実践しやすい環境になっています。

そして根性論で乗り越えてきた昔の人がいるのであれば、自分もその根性を味わえる環境にあてて乗り越える力をつけるに越したことはないと思います。

 

かくいう私も自分と他人を最近まで比較する習慣がついていたのだと思います。

まだまだそれを抜けきったとは言えませんが、まずは目的もなくSNSを開く習慣、それを無くしていきます。

 

そして根性論は自分だけにあてはめればいいのだと思います。

他人はコントロールできないけど、自分はコントロールできる。

日々言葉を重ねて自分を鼓舞する根性論人間でありたいと思います。


なぜ私の話は伝わらないのか?

2024-11-25 18:23:32 | 日記

人に物事が伝わらない。

自分でも何を言おうとしているのかがわからない。

言い方が回りくどい。

 

そんなこと自分が一番わかっています。

でもどうして伝わらないかがわからない。

 

でも何でなのか真剣に考えたことはあまり…いえ、もはやなかったですね…。

 

その原因は「知ったかぶり」だからだと思います。

 

私はマイナンバー関係の手続きを行う業務を行っていますが、お客様への説明責任を求められます。

なので必要に応じた説明をして、ある程度教えられるようになると、教えるのが当たり前になってきます。

 

そうすると、おそらく心のどこかで「私は知っている。相手は知らない。」が当たり前になってくるんだと思います。

その結果もたらされるのが、「自分は知っている立場でなければいけない。」と言った固定観念なんだと思います。

 

しかしそれを前提で動いてしまったとき、自分の知らなそうなところを聞かれたらどうなるでしょう?

おそらく自分の解釈で答えてしまうんだと思います。

つまるところ勝手な思い込みをあたかも本当のように話してしまおうとするんだと思います。

 

じゃあ自分がわからないと思ったところは全部「わかりません。」と答えればいいか?

それは違うと思います。

 

なぜかというと、自分の解釈というのも「事実」だからです。

要は自分で解釈したものと事実とを認識して伝えればそれは事実です。

 

私は正直今のままでは「事実」と「解釈」がごっちゃになっているんだと思います。

なのでまずはそれぞれを定義して、切り分けて考えていこうと思います。

 

「事実」…ネットの記事や本や課長から聞いたものなどの情報元、引用元がはっきりしているもの。

「解釈」…自分の良し悪しの思いだったり、調べたことも誰かに確かめこともない個人のイメージ。

 

そこを基準に自分が完璧に答えられない質問が来たとします。

「まだまだ勉強不足ですが、こういった政策の目的があるのでこういったために作られたのではないかと考えています。」

と伝えられます。

 

自分で考えようとするから、どういった事実を取りに行くか考えられる。

まずは自分が「事実」を伝えているのか?

「解釈」を伝えているのか?

そこを自分に問いかけながら相手に伝えていきたいです。