救護せずに立ち去った大人たちも悪いですが、そもそも昨今の風潮にある“不審者情報”との兼ね合いもあると思います。これがなければ彼を救護してくれた可能性は高いでしょう。男子児童が自転車に相次ぎはねら… https://t.co/EyKeGozucr この方向となると自転車は逆走してきたことになる。きちんと左側通行していれば児童の存在には気が付けた。
— ふくまめ67 (@fukumame67) November 12, 2020
そもそも狭く死角がある場所では減速して通るもの。況してや下校時刻ともなれば子供らが予測不可能な動きをしてくるのが常。
ただでさえ逆走していた上に打つかったとなると分が悪くなるのは避けられません。そこへ持ってきて誠意ある救護をしたとしてもトータルでは完全な悪者扱いされてしまう場合もある訳です。これでは誰も救護なんてしなくなるのは当然でしょう。
確かに逆走で打つかったという事実は消えなくても、それはそれであり、その後の対応ができていれば問題は大きくならない筈です。せっかく誠意ある対応をしても無駄に警察から事情を訊かれたり、場合によっては在らぬ疑いまでされて生活リズムを狂わされることだってある訳です。
どうして人助けがリスキーになるのでしょう。その前後に如何なる事情があれ、人間として当然のことをしたのにリスクとなるのでは本末転倒ではありませんか? 私は常々ここで書いていますが、最後にモノを言うのは生身の人間同士の信頼関係であり、それが継続できないと結果的に馬鹿を見るのは自分たちなんですよ。
況してや学校に通っている間は守られる立場であっても、いざ卒業すれば不審者にされる側になるんです。きちんと其の現実を教え、そうならない為には何が必要なのか、どうすれば互いの信頼関係をスムーズにできるかを考えさせないと彼ら自身が馬鹿を見るんです。
正直、件の不審者情報は信頼関係を損ねる原因になりかねないだけに、どうしても必要ならば不特定多数向けではなく地域地域だけに限定するべきでしょう。その地域に通う児童の保護者の携帯端末にだけ情報が行き渡るに留めて、Twitterの様な場所に無闇矢鱈と広げない様にするべきでしょう。
子供たちを犯罪から守る意気込みは当然ですが、それでも全てを悪の対象としてしまっては彼ら自身の【人を見る目】の成長を阻みます。社会には厳しさがあって然るべきで、それを知らずして実社会へと出ていけば結果が悪くなるのは避けられないのですから😒。