今から75年前の昭和20年9月2日、東京湾に来航したアメリカの戦艦ミズーリ号の船上に於いて日本の降伏文書への調印式が行われました。これによって名実共に戦争が終わった訳ですが、それから今日に至るまでの長き日本の歴史に於いて、いったい太平洋戦争とは何だったのか、いったい当時の多くの若き男子が戦場へ送られ大多数が無残な死を迎えたことに対しての教訓がなかったのか、未だに明確になっていない気がしてなりません。
なんとか命からがら死の淵を逃れ、終戦と共に帰国した人たち、即ち復員兵に対する国民の姿勢は如何ほどだったのでしょうか。出征する時には万歳三唱だったのに、いざ敗戦して帰国した時には、まるで掌を返した様に冷たい仕打ちをしたと思うのです。この切り返しの早さは、今の日本人にも受け継がれていますよね。熱し易く冷め易いという性格は、当時と殆ど一緒でしょう。
そんな姿を目の当たりにし、戦場での阿鼻叫喚地獄を体験してきた復員兵の中には、逆に冷めてしまった祖国の光景に絶望し、せっかく脱した死の淵へ落ちてしまった人、精神的におかしくなってしまった人、開き直って自分の思う人生を歩んだ人などがいると思います。
故・横溝正史氏の作品の中には復員兵が絡む話が結構あります。横溝氏は戦中を疎開先で過ごしたのですが、それでも当時の社会を見てきただけに戦争という暗い影が陰惨な事件へと繋がる作品があります。
例えば『獄門島』では復員兵がストーリー全体に登場してきます。ネタバレするので細かい部分は省きますが、その復員兵による“開き直りの影響”によって多くの命が無残にも奪われる結末となりました。
どうしてそんなことをするんだ、礼儀正しいのが日本人ではないかと思うのは、すっかり平和という樽の中に首まで浸かっている現代人だからです。当時の状況を思えば誰もが毎日を生きることに精一杯で、とても倫理や道徳にかまけている暇がなかった訳です。
そんな状況下で逞しく過ごした人たちの中から戦後の復興と共に様々な企業が誕生し現代にまで続いています。事の大小の違いはあるでしょうが、その企業の殆どが危ない橋を渡ってきたと捉えても間違いはないでしょう。
確かに戦後復興の為にも企業が早く誕生したり立ち直ったりしなければ国民の生活は安定しなかったのですから致し方ない部分はありますが、それと同時に戦争に対する総括をするべきだったと思うのです。
やはり背景を考えれば、あまりにも楽観的な戦略と明らかに乏しい資源で戦争に突入したことは戦争犯罪人を罰しただけでは済まない筈なんです。冒頭でも触れましたが、多くの若き男子が人生で最も謳歌できる時期を無謀な戦いの為に犠牲にした現実は、やっと終戦を迎えることができたという現実と共に見つめ直すべきだったんです。
結局、あの時に総括しなかったことの積み重ねが現代にまで影響を及ぼし、たった75年程度で再び軍靴の音を聞く選択をしかねない状況にまで至ってしまったんです。こんな現実を目の当たりにして、いったい何処に終戦があるのでしょうか。戦争なんて全然終わっていないではありませんか。
ここでは何度も書いていますが、そんな状況を作る原因となった昭和世代に、これ以上の舵取りを任せてはならないと思います。本当且つ正しい意味での終戦を迎える為にも、これからを生きる若い世代が真剣に政治へ関心を持ち舵取りをしてほしいのです😔 。