斯く語りき

思ったこと、感じたことを書いています。

廃業した際の“後始末”に関する明確なルールがなかったことに驚きます

2018-02-06 23:45:00 | 社会部
廃業の産婦人科医院跡から15体のホルマリン漬け胎児

どれだけ有名であろうとも、どれだけ後継者がいたとしても、未来永劫続くと断言できるものはありません。何かの切っ掛けで終わりが来る時がある訳です。この病院にしても、まさか自分の代で終わりが来るとは思っていなかったと思われます。然し乍ら、こうして病院は終わりを迎えてしまった訳です。

同じ様な状況にいる病院は全国に沢山あると思います。否、あると断言できるでしょう。

生きるだけで精一杯な中での未婚率の高さから来る少子化が長引き、ますます廃業する病院は出てきます。総合病院なら大丈夫かもしれませんが、個人開業医は衰退する一方ではないでしょうか。況してや後継者がなく、総合病院の打ち出すサービスに太刀打ちできなければ尚更でしょう。

本題に戻しますが、そもそもホルマリン漬けにしたということは医学的に【後世の為の資料】という位置付けだったと考えられます。まさか医院長の個人的な(猟奇的な)趣味だった訳ではなかった筈です。

そうなると、せっかくの資料を後世に伝える為には医師全体で如何に保存・管理するのかという取り決めがなければならないと思うのですが、どうも其の様なものは存在しなかった訳です。個々で勝手に管理しても構わないという現実だった訳です。

然し乍ら、そうしてしまうと後世に伝える資料という“名目”で好き勝手ができてしまうのです。

医院長が故人になってしまった以上、その時の状況なんて調べようがありません。存命中に医院に勤めていた関係者も殆どが物故者かもしれません。そうなれば果たして正規の手続きを経て保存されたものなのか何らかの手口で手に入れたものなのかすら判りませんし、昭和の時代から開業していたとなれば怪しい類のものもあったかもしれません。

さすがに平成になってからは病院も建物を替えサービスを充実させるなどして透明性を打ち出していますから滅多なことでは後ろ暗い事実が出てくることはないでしょうが、だからこそ現存している資料の管理を明確にする必要があると思うのです。今回の様に行旅死亡人扱いで荼毘に付されてしまっては貴重な資料が失われてしまうことに繋がり、それが回り回って国民に跳ね返ってくると思うのです